サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

日本代表の優勝で幕を閉じた第1回ソーシャルフットボール国際大会

2016年02月29日 | ソーシャルフットボール

 いやあ面白かったイタリアvsペルー。
大阪府堺市J-GREEN堺で開催された第1回ソーシャルフットボール国際大会2日目(最終日)の3位決定戦。心が震えました。両チームともに気持ちが入っていたし、ペルーは前日とは別のチームのようだった。
 印象に残ったのはペルーの最後尾(フィクソ)背番号2番のハビエル。前日は遠目から可能性の低いロングシュートを放っては無駄に相手ボールにしていたが前夜に監督からもいろいろと言われたのだろうか?3位決定戦では最後尾で我慢して無闇に上がることもなくパスを散らし集中したプレーを見せてくれた。
試合はペルーのパスが小気味よくつながりペルーが先制点をあげる。そしてよもや最下位で帰国するわけにはいかないカルチョの国イタリアチームの心に火がつく。この試合初めてドリブルで持ち上がろうとするハビエルからイタリアのピヴォ、エンリケがボールを奪ってそのままドリブルシュート。イタリアが同点に追いつく。
そして今度は右サイドからのパスを受けたイタリアのクリスティアンが一瞬タメを作り冷静にゴレイロの動きを見てゴールに流し込む。イタリア逆転。
しかし今日はペルーの選手たちの集中力が途絶えることはない。自陣深くからのロングパスを前線で受けたナバーロが同点ゴールを決める。
前半を2-2で折り返し迎えた後半の立ち上がり、ペルーの選手がお見合いをしたような形になり失点、再びイタリアにリードを許す。その後もペルーは気持ちを切り替え集中した守備を見せるものの、資金不足のため7人しか来日できなかった影響が疲れとして出てきたのだろうか?その後もイタリアがさらに得点を積み重ねる。
しかしペルーも粘りを見せる。残り3分をきったところで右サイドからのアーリークロスをヘディングシュートで叩き込み1点差に追い上げる。ハビエルは足が攣りいったんは担架で運び出されるものの再びピッチに舞い戻ってくる。
ペルーサポーターからのコールにもさらに熱さが増す。在日ペルー人らしき人々は前日の7~8倍!1人が7~8人になったということですが。
しかし残り1分を切りナバーロが放ったシュートは無情にもポストを叩く。負けられないイタリアは前線で懸命にボールキープ、何とか4-3で逃げ切った。

ペルーには来日当初物見遊山的な気分があったのかもしれない、イタリアには慢心があったのかもしれない。 きっちりと準備して大会に臨んだ日本チームに目を覚まされた両国が持てる力を発揮した見所溢れる一戦となった。(ペルーは日系3世である森岡薫氏の激励が効いたのかもしれない)。
覚醒するのがもっと早かったら日本チームとの対戦もどちらに転んだかはわからなかっただろう。

そして日本人同士の対戦となった決勝戦。
先制点をあげたのは、前日も切れ味鋭いドリブルから再三相手ゴールを脅かしていた日本代表中島選手。試合開始から1分もたたない時間帯。一瞬空いたシュートコースを見逃さず正確なインサイドキックでゴールネットを揺らした。大阪のゴレイロ細島選手は見方フィールドプレーヤーが死角になって動けなかったようだ。
流れは一気に日本代表へ。その後も野尻選手のゴールで前半を2-0で折り返す。そして後半に入り中島選手がこぼれ球につめこの試合2点目のゴールをあげ3点差にリードを広げる。このゴールが大きかった。代表よりも平均年齢の高い大阪チームには疲れも見え始め、その後、日本代表は八木選手のハットトリック、竹田、竹内選手のゴールで8得点をあげ失点はオウンゴールのみ。よもや国内のチームに負けるわけにはいかない日本代表としてのプライドもあっただろう、終わってみれば8-1の大差で日本代表が優勝した。

MVPを獲得したのは中島選手。左サイドからカットインしてシュートに持ち込む姿など五輪予選でMVPを獲得した中島翔哉選手を彷彿とさせるものがあった。 またゴレイロ佐藤選手の身体能力あふれるセービングには会場からもたびたびどよめきがおきていた。素晴らしいのは弾きだすのではなくしっかりとキャッチすること。

日本代表が優勝出来たのはホームの利もあっただろうが、きっちりと準備してきたからこそだろう。
グループリーグ初戦のイタリア戦で試合開始早々に先制出来たのも大きかった。竹内選手がスペースへ走り込みパスを受け起点となり竹田選手が決める。パスを出したのは中島選手だっただろうか(あるいは松嵜選手?)。チーム内で共有できていたイメージ通りのゴールが奪えたことにより波に乗れた面はあったように思う。

日本代表の皆様、優勝おめでとうございます!

そしてこの大会は開催されたこと自体も特筆すべき点だ。参加国は3カ国(ダジャレじゃないです)だったが、第1回がなければ第2回はない。大会会長の岡村氏が閉会の辞で述べられたように、この大会は確実に「世界につながるパス」になったのではないか。
イタリアもこのままでは引き下がれないだろう。サッカーでも精神医療の分野でも遙か先を走っていたのだから。

ソーシャルフットボール、精神障害のフットサル(あるいはサッカー)が、障害の面で他の6団体と異なるのは『治る』可能性があるということだろう。(もちろん現在難病と言われているものでも医療の進歩により『治る』ことはありえるだろうが)
『治る』ということは逆の言い方をすれば出場資格を失うということでもある。それはうれしい悲鳴だ。だがなかなかそう簡単に完治するものではないだろう。実際はフットサル(やサッカー)があることでなんとか社会や現実と折り合いをつけつつ生きていく、生きていけるという場合も多いのではないか。ピッチの中での自由、そして共有された規律、そして何よりも『何かを達成出来たという自信』が実生活にもフィードバックされていくことだろう。

また他の障がい者サッカー6団体と比較して、いわゆる健常者が当事者になる可能性が極めて高いにも関わらず精神障害のフットボールはとても理解されにくい。これは日本の精神障害者が地域ではなく『隔離』され続けてきた歴史と無縁ではないだろう。

そういった意味でも日本代表の優勝で幕を閉じたこの大会は、『偏見をもって見られてしまう影の存在』が、『輝ける存在』として表舞台に登場してきという意味でも意義深いものがあった。いや単純にカッコよかったんですけどね。

前述したように、ピッチの中では自ら瞬時に判断していなくてはならないフットサル(やサッカー)は、日本の精神医療を切り裂く(いい意味で)起爆剤になるのではないか、そういうサッカーの力を感じさせる大会でもありました。
(精神医療に関してそれほど詳しくはないですが、少々偉そうな書き方になっている点はご容赦ください。)

また大会にはデフフットサル男女の選手も観戦に訪れた。是非、タイミングをみはからってガチンコの強化試合をやってほしい。しびれるいい試合になると思います。

注)他の6団体とは、アンプティサッカー、知的障がい者サッカー、電動車椅子サッカー、脳性麻痺7人制サッカー、ブラインドサッカー、ろう者サッカー。