サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

アジアカップ開幕

2015年01月12日 | サッカー

アジアカップが始まりました。
過去3大会はDVDを作らせていただきましたが、今回は縁がなさそうです。

思い起こすと2004年の中国でのアジアカップは、準々決勝のヨルダン戦のPK戦が忘れられません。個人的には勝てば翌日中国に行く予定になっていて「俺はいったい中国に行けるのか?行けないのか?」ドキドキしながらスポーツバーで画面に見入った記憶があります。PK戦の様子はデンマーク・ノアシェランの観客席で川口選手からたっぷりと話を伺うことができました。PKを外した中村俊輔選手からもイタリアで話を聞かせてもらい…。もちろん俊輔選手はPKを外しただけでなく大活躍、大会を通じたMVPでもありました。
 で、無事に中国に行き準決勝、決勝と現地で撮影取材とあいなったわけですが、準決勝のバーレーン戦90分終了間際の中澤選手の同点ダイビングヘッドは眼に焼き付いています。決勝はなんといっても君が代へのブーイング。帰国してからTVで見ると結構君が代は聞こえていましたがピッチ付近ではほとんど聞こえませんでした。
でもなぜか中国のアジアカップで思い出すのは三浦淳宏選手。出場機会は全くなかったのですが、好調を維持していて「何故だ?何故、三浦淳宏を出さない?」とずっと思ってました。今でも2006年ワールドカップには三浦選手を選ぶべきだったと思っています。
中国での個人的な失敗は餃子事件。カメラマンと2人で魚の餃子を頼んだらなんと100個以上の餃子が目の前に!
さすがに食べられませんでした。

2007年アジアカップは準々決勝から現地取材。ベトナムでフォーを食べまくり。
練習もすべて公開でとっても興味深かったです。オシム監督の練習です。
準々決勝の高原選手のゴールも目に焼き付いていますが、中澤・阿部選手がサウジアラビアの選手に振り切られて決められたゴールはそれ以上に目に焼き付いています。敗れた日本はインドネシア・スマトラ島パレンバンでの3位決定戦へ。おかげさまでスマトラ島まで行かせてもらいました。
3位決定戦の延長では選手交代するべきだったのではないかという思いは今も変わりませんが、大会を通じて面白く且つ内容を伴ったサッカーをやっていたことは事実で、かえすがえすもその後オシム監督が倒れたことが残念でした。

そして2011年。残念ながら現地取材は出来なかったのですがドイツやイタリアでインタビュー撮影取材。ちょうどヨコハマフットボール映画祭の第1回の開催時期でオープニング作品として私の監督作品「アイ・コンタクト」を上映してもらったのですが、その日はイタリア・チェゼナティコでザッケローニ監督にインタビューすることになり映画祭に行けず。今話題の矢野通訳にもお世話になりました。
選手のインタビューでなかなか興味深かったのは、その当時FC東京在籍の今野選手。こんなに語るようになったんだというか、決勝で監督からのポジションチェンジの指示に対し「ノー」といったやり取りは忘れられません。
そして編集中に3月11日を迎えて。
当時DVDなどが発売延期になるなか、何故か「アジアカップのDVDだけは発売延期しません」と言われ、黙々と3月はアジアカップの映像に向き合うことに。自分のなかでカタールでのアジアカップの映像の記憶は大震災の記憶とともにあります。

そしてオーストラリアでのアジアカップ開幕!

追記 前回アジアカップ、韓国戦で本田選手のPKを押し込んだ細貝選手が忘れられません。書き忘れてましたが‥。 浦和レッズの時から、いつの日も助走をつけてペナ内に走り込んでいたそうで。 そんな細貝選手が選から漏れたのが一番のサブライズでしたが今野選手に押し出された形になったということでしょうか。今後は山口選手も招集されるでしょうが。 今大会、中盤の3人をどう回していくのかも楽しみです。

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」 吉田松陰の弟は聾唖

2015年01月12日 | 手話・聴覚障害

忙しさにかまけてブログの更新が滞ってました。
前回から1か月以上、そして今年初めての更新です。
この間いろんなことがあったのですが、今日はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」のことなど、さくっとということで。

大河ドラマを久しぶりに見ました。たまたまということは以前もあったけれど見ようと思って見たのはおそらく38年ぶり!38年前も吉田松陰を描いたドラマでもあったわけですが、今回見た理由は、吉田松陰の弟・梅三郎が聾唖でドラマで取り上げられると聞いたから。

大河ドラマ「花燃ゆ」は、主人公・文(ふみ)が遠くにいる吉田松陰の口形を読むというくだりから始まります。いわゆる読唇ですね。
2回目の放送を見ると、どうやら文は梅三郎の口形を読み慣れているからそういったことができるということでもあるようです。そこで疑問がわくのは、梅三郎の頭の中に日本語はあるのかという点です。
2回目の放送では、少なくとも江戸という文字を知っていて空書していました。学問の一家だということで書物を通じて書記日本語がある程度できたということでしょうか?
どの程度かは現時点ではよくわかりません。今後、取り上げられていくでしょう。

ちなみに梅三郎と文とのやり取りは手話ではありません。ホームサインと呼ばれるものです。ホームサインとは家族内や母子間だけで通じるサインのようなものです。身振り手振りで意思疎通をはかることもあるかと思います。 手話は英語で言えば、サイン・ランゲージ。ホームサインは言語ではないわけです。江戸時代以前、聴覚障害者が孤立して生活しているなかでは手話は生まれません。もちろん記録には残らないが手話を使っていたろう者集団、ろう者の2人が存在した可能性はあるでしょうが、少なくともドラマ上の現時点では、梅三郎は身振り手振り、ホームサインを駆使して家族間コミュニケーションをとっているわけですね。

梅三郎に関しては、米内山明宏さんがろう指導ということで関わっておられます。
(米内山さんから手話を習ったこともあります。奥さんからはさらに長期間習ってましたが)
梅三郎に関しての記録はあまり残っていないようです。ディティールに関しては米内山さんが作っていくことも多いと思います。

但し2回を観た限りにおいては、梅三郎の特色を描くべきとスタッフ側が認識しているシーンは米内山さんの意向も汲み取られきちんとしている感じですが、彼も、出ているシーンでは妙に察しのいい都合のよい子どもになり過ぎている印象もあります。
ちなみに現在、聴こえる人の文化(日本)を察する文化、ろう者文化ははっきりものをいう文化と言われています。

まあいずれにせよ、今後も楽しみです。