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かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

六月の色を求めて

2023-06-14 20:54:21 | 日記

梅雨に入って小雨続きのため1週間ほど青葉の森に入るのを躊躇していたが、昨日今日なんかはほとんど降らなかったので歩けばよかった。と少し後悔している。

曇り空の方が近場の花や虫の写真映えするが、光量が足りないと野鳥撮影はむつかしい。ただ、このところ野鳥たちの声を聴いているだけで満足して帰れるので、雨さえ降らなければ森に入ろう。

今日は六月の色を求めて、野草園を2時間ばかり歩く。

六月と言えば、アジサイのウスムラサキなのだが、ノハナショウブのコイムラサキやハクサンフウロなどのアカムラサキも眼についた。

ムラサキ系以外にも、キイチゴなどのアカい実、ユキノシタなどのジュンパクも眩しい。

ムラサキと言ってもアカといってもジュンパクといってもみなそれぞれの微妙な美をもって虫たちを誘っているのだから、花たちのの個性と知恵は奥が深い。

 

雨空に光り輝く宝石。賢治さんのいうとおり野の中にきれいな食べ物や着物が存在している。

 


アジサイの色

 

六月のムラサキ系

シロウマアサツキ

 

マツムシソウ

 

シモツケ

 

ハクサンフウロ

 

アカムラサキのホタルブクロ

 

ヨメナの仲間

 

ハナショウブ

 

ハナショウブ

 

ノハナショウブ

 

ルリニワゼキショウ

 

ウツボグサとキチョウの仲間

 

 

六月の赤い実

キイチゴの仲間(口に入れたら甘かった)

 

 

ユスラウメ

 

 

六月の白い花

ヒツジグサとハナアブの仲間

 

ヒツジグサ

 

 

ホタルブクロ

 

シロチョウの仲間とヒメジョン

 

ユキノシタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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青葉の森の友達登録

2023-06-09 12:16:10 | 日記

 

      

10日ほど前から青葉の森のエゴノキの近くで気になっていた落葉低木があった。

柔らかな毛の生えた葉の下に、これも柔らかな毛に包まれた球形の木の実のような連なりをみせている木。

この球が実際花が終わったあとの実なのか、はたまた花が咲く前のつぼみなのか分からないので、図鑑をみても検討がつかず、オイラにとっては名無しの不明な木のままであった。

 

それが、きのう青葉の森のいつもの下り坂で、気づかぬうちに通り過ぎそうな小さな小さな赤紫の花をつけていた木があったので、立ち止まって枝をとらえて、その花をよく観察したら、あの名無しの不明な木と同じものであって、毛の生えた球が割れて、そこから可愛らしい花をほころばせていた。

何枚か写真を撮って、家に帰って同じような花をつけている木があるか図鑑で調べたら、宮城県以南四国、九州までの明るい林内に生える落葉低木でシソ科(クマツヅラ科とある図鑑も)ヤブムラサキ(藪紫)という木であることが分かった。あのムラサキシキブと同じ仲間であるが、葉に毛があるかどうか容易に識別がつくという。

図鑑にはムラサキシキブと同列に挙げられあの赤紫の実や花などがちゃんと掲載されていたが、花を開かせるまえの球形のつぼみの写真を載せている図鑑が無かったことから、図鑑をめくっても知らぬ間に通り過ぎていた。

もっと葉の形や枝の付き方を調べれ場分かったかもしれないが、やはり花が咲くと識別しやすくなり、名前が分かってモヤモヤが晴れて、この木と仲良くなれた気がしてきた。

そう、名前を知ることは友達になれること。もう、数日後の満開の花と10月~11月頃だとされる赤紫の木の実の頃が待ち遠しくなった。

     

いつもの尾根筋に生えているツツジ科のネジキの花咲く頃が気になっていた。

いくつもの白い釣鐘状の小さな花を一列に吊り下げた花は、図鑑では目にしていたが、現物を見た経験がなかった。昨日はこの木の前を通り過ぎる時、立ち止まって観察をしていたら、目立たぬところの数枝にその白い一センチにも満たない小さな一列の花を見つけた。

写真というものは、オイラのもそうだが実寸大の絵ではないためネジキの花がこんなにも小さいのかと思わなかった。ちょっとピントがずれた写真になったが、青葉の森にはネジキがところどころ生えているので、こんどはじっくり撮ってその可愛らしさを享受しよう。

そういえば、青葉の森のどこいら変化で、同じ釣鐘状の隊列でも赤い花をつけたナツハゼも眼にしたことがある。あまりに小さな花たちで知らずにに通り過ぎそうであるが、写真に収めておきたい。

森は鬱蒼として林床の花を見つけることが難しくなったが、落葉低木の花たちは人知れず盛期を迎えているようだ。

 

 

     

 

 

 

     

ナラの葉の上で休んでいた虫がいたので、誰かなと姿を表から見たくて枝をもって葉を近づけようとしたら、飛んで行ってしまった。

 

 

     

小さめの褐色のチョウが翅を広げていた。表翅を見せてくれれば、図鑑で同定することが容易だ。ジャノメの数と紋様からタテハチョウ科のヒメウラナミジャノメ♂と分かる。シジミチョウの仲間かと思われるほど小さいので「ヒメ」という名がついたと思われる。

むつかしいのは、下のような翅を閉じた姿で裏翅をみせてとまっているチョウ。

この黄を帯びた美しい紋様のタテハチョウは、サトキマダラヒカゲかヤマキマダラヒカゲか判別がむつかしい。斑点の具合から、「ヤマ」かなと思うが自信がない。図鑑だと宮城県には沿岸部が「サト」、山沿いが「ヤマ」の生息地と表示されているが、青葉の森はその中間地帯なので分かりずらい。♂♀の区別も自信がないが、オメメが可愛いので一応♀ということにしておこう。(いい加減)

 

     

 

帰り際、オオルリでもない、キビタキでもない、クロツグミでもない聴きなれない野鳥の声を聞いた。カメラの動画で録音したので、鳴き声を再現してナツメ社の鳴き声がダウンロードできる図鑑で確認したい。

 

青葉の森に息づく生きものたちの名前をひとつひとつ覚えては、「友達登録」してゆこう。

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信じることの恵み

2023-06-06 09:02:05 | 日記

令和五年陽暦六月六日芒種の未明、南西の空高く十六夜の月が雲間を出て煌々としている。雲は月の光を浴びて、やや彩りをみせる。瑞光という光なのだろう。昨朝の午前三時前には、近所の森でもホトトギスが盛んに鳴いていた。もう、屋外にいても冷えは感じない季節。月を眺めていると、星にはわれわれの祖先やわれわれの未来人が住んでいるという神話を信じたくもなる。

日曜日の朝、たまたまTVをつけて、NHKEテレの「こころの時代」をテレビに映っていた20年前の加賀乙彦さんのインタビューを「字幕で」聴く。

印象に残った発言を意訳すると「人間を唯物論的に考えると、死んでしまえば何も残らない。キリスト教徒は、天国の存在を信じる。唯物論者は、天国の存在を証明できるのか問うが、彼らだって天国の不存在を証明できない。だとすれば、信じるか信じないかはわれわれに任されている。歎異抄では、浄土真宗の祖、親鸞も何度もあの世=浄土=阿弥陀仏を信ぜよと何度も語っている。信じる信じないがわが身のことであれば、私は、信じる方に賭けた。信仰の道は困難を伴うが、そうすることで何かしらのこころの平穏が訪れた。」みたいなお話だった。

あらゆる宗教は「いかにして人はこころを穏やかにして死んでいけるか」をテーマにしており、死んだ後にで生きる世界を天国と呼ぼうが浄土と呼ぼうが、復活と言おうが輪廻転生と言おうが、そういったことを信じたほうが心穏やかになれるのなら、信じる道を選択したほうが賢い生き方なのだとは思う。

科学の発達で、やがて月にも火星にも、太陽系外の星にだってヒトは移住できるのかもしれない。おそらく彼らは、ヒトを克服下したAI型のヒトかもしれないし、姿かたちもヒトとは全く異なっているのかもしれない。はるかに優れた知能は、空間のみならず時間も克服しているだろう。そういったことが、輪廻転生や永劫回帰ということなのだろう。

 

日本最古の文学と言われる「竹取物語」に登場するかぐや姫や彼女を迎えに来た月人たちは、あるいは未来からやって来たヒトビトで、過去の記憶(データ)を消されたヒトビトだったのかもしれない。

月や星たちをしげしげと眺めながら、そのようなファンタジーを描きながら時を過ごすと、少しは心穏やかになっている。科学の発達を信じ、やがてオイラも光の粒子となって時空を飛び交う日があることを信じることもまた、宗教の一種なのだろう。

「信ぜよ、さらば救われん!」

NHKこころの時代アーカイブ

 

 

     

 

     

 

     

 

     

 

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静かな森の生き物たち

2023-06-01 21:10:25 | 日記

ちょっと樹木の名前を当てきれないが、表面にちょっと毛が生えていて柔らかな葉の上に見慣れないちいさな緑色の昆虫がこちらを見ながらジッとしていた。

はじめ草に住むクモの仲間かと思ってじっと観察したら、足は六本で触覚が長いいきもの。おそらくキリギリスの仲間、クツワムシとかツユムシとかそういった虫たちの幼子ではあるまいか。

お魚に幼魚がいるように卵からかえる虫のなかまは、大人になるまで顔かたちを変えていくのだと思った。昆虫図鑑にそのような幼子図鑑なるものがあったら、きっと分かるのだろうが。

たぶん、日中は生まれ育った木や草の葉にジッとしながら天敵をしのぎ、暗くなったらひそかに揺籃のような木の葉を食べながら次第に大きくなっていくのだろう。ちょと見ただけではわからないほど木の葉の色と同化している。

 

       

       

 

生まれ育ったこのような子供たちは、果たしてどれぐらいの確率で夏までに親となり、次世代へのリレー選手となるのかは定かではないが、「ガンバレヨー・チバリヨー・ケッパレヨー」と応援したくもなる。

昨日の青葉の森では、何頭かのチョウたちにも出会ったが、考えてみれば、幼虫から親になるまで何度かの蛹になって変態を繰り返すチョウや幼虫の姿を地下で変えながら大きくなるセミたちの親、つまり翅をもって地上に現れる仲間たちは、いわば最終形の「死に装束」の姿で現れ、長くとも数週間のうちに命をリレーして天に召されるグループだ。

秋になって、薄暗い暗がりで恋をささやき合う秋の虫たちも好きだが、かれらは春から夏まで比較的長い季節を生き延びることができるので、まだ「はかなさ度」は少ない方だろうが、このところ「死に装束」のチョウやセミたち(ホタルもいた)に愛着を感じるのはトシのせいというものだろうか。

翅を開いて派手な色彩と紋様を戴くちょうは天敵への「オイラは毒があるよー」というアピールだろうが、森の中のチョウたちは圧倒的に、落ち葉や木の幹に同化したような保護色が多い。短い人生であっても天寿を全うするために神さまがくれた知恵なのだろう。

 

主たる歩きはバードウォッチングなのだが、足元にとまる物言わぬ静かなチョウやほかの昆虫たちに愛を感じた日。

(その愛を感じたオイラは、数日前台所の床を這っていたコックローチをスプレーで絶命させた。この違いをうまく説明できない。)

 

     

     ツマグロヒョウモン♂

 

     

     コミスジかミスジチョウのとじた翅もまた美しい

 

 

     

     ヒメウラナミジャノメ♀か 蛇の目模様は天敵対策か

 

     

     黒いからクロヒカゲ♂♀不明か

 

     

目の前にのんびり飛んでき小さな甲虫(2cmくらい)ジョウカイボン。漢字だと浄海坊。誰が名付けたのか昆虫にしてはありがたいお名前(平清盛の名だという説)。清盛入道とはイメージできない。一説には清盛が毒のあるカミキリ虫にかまれて熱を出して死んだからというが、この子は毒はなく優しい生き物らしい。

 

 

 

今日のお花

草むらの小さなニワゼキショウ

 

ノバラ

 

ゴマノハグサ科のムラサキサギゴケ  小さくてかわいい

 

 

 

 

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