駅前のTOHOシネマで封切られたばかりの「銀河鉄道の父」(成島出監督)をあさイチで2時間ほど鑑賞する。予想通り、観客は20人ばかりで、屈託のない2時間を過ごす。映画館でマスクなしで過ごしたのは3年ぶり。
この作品の原作は読んでいないが、史実に添ってこれまで何度も作品化あるいはドキュメント化されている賢治さんのエピソードの域をでず、若干史実と異なるものの、もっと父親に焦点を当てたフィクションを期待したのだが、伝記物の域を出ず、ちょっと残念だったが、役所さん、菅田さん、森七菜さん熱演で満足。
史実に忠実であっても、賢治さんと家族の物語は大いに感動をもたらすのだが、没後90年の間にもう何度も繰り返された感があって、そのような作品群の中では、オイラにとっては、昨年北上市で鑑賞した役者さんを岩手人で固めた吉田重満監督の「愁いの王」で極まった感があり、あの作品一本でもう賢治の人生の映像化はいいなという感がしている。
宮澤賢治の現在の世界レベルの評価にいたる礎として、賢治さん没後に間髪を入れず功績の流布に動き出した父親の政次郎さん、弟の清六さん、詩人としての高村光太郎さん、草野心平さんらの力添えが大きいと感ずるが、できるならば彼らと賢治さんとの係わりを作品化してほしいなと思う。とくに賢治さんや宮澤家と高村光太郎さんの人生との係わりについてフィクションでもいいからドラマチックな作品を、個人的には望んでいる。
まだ昼前に国府多賀城駅ちかくの東北歴史博物館で開催されている「悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」へ足を伸ばす。
奈良・唐招提寺の国宝「鑑真和上座像」は、毎年6月6日の開山忌を中心3日間のみしか公開開帳されないので、これまでお会いしたことがなく、またとない機会であった。鑑真和上さまのお像は、唐招提寺御影堂の襖絵(東山魁画伯・揚州薫風)を模した壁を背景にしたガラスケースに安置されていたが、全周囲十分に拝観できた。ありがとう。
日本仏教の礎となった高僧の像は国宝となっているものも含めいくつも存在するが、この像だけはほかの像と全く異なる感がある。「瞑想する心」が像となって現れていて、リアルそうな外観は、僧の内面の祈りそのものであり、仏像そのものである。誰がどのような心持でこの像を形に現わしたのだろう。8世紀の知性と感性に感服せざるを得ない。
この展示会には、あらたに会津の勝常寺の国宝「薬師如来坐像と脇侍日光・月光菩薩像」が安置されていたが、これも素晴らしい仏像であった。薬師如来坐像と言えば、これまで法隆寺や新薬師寺などの座像に感銘を受けてきたが、勝常寺の像はその深い瞑想の顔立ちに清純な若さが感じられ、なにか爽やかな心地に誘われる。8世紀に東北という僻遠の地にこのような像を作り上げた者がいたとは、これも驚きである。
このところすっかり、観仏の旅から遠ざかっていたが、近場ですぐれたみほとけたちにたちに出会えたことに感謝せざるを得ない。
丸っきりの晴天なのに、賢治さん関連の作品と憧れていたみほとけたちに出会えて、悔いはなかった。