遊びをせんとや

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きもの随想 織と染 馬場あき子著

2024-06-16 07:21:17 | ブックリスト
図書館で一年遅れの雑誌を借りてくる。一年遅れだと待たなくてもいい。
婦人画報の去年の7月号に歌人の馬場あき子さんの記事が載っていた。

私はどうも短歌には疎く、西行とか好きなのだが、歌そのものは全くわからない。雰囲気だけである。
歌人の馬場さんは凄い人なんだろうが、それより、御年95歳、それまでのパワフルな生き方と今もその年齢には見えない若さに引き付けられた。なんて面白い人なんだろうと。
この時代の芸術家は必ず政治的な事にも関心が多大にある。

馬場さんは着物の造詣も深く、婦人画報に45年ほど前に連載した「きもの随想」を一冊の本にまとめて出版もされている。

さっそく図書館で借りる。
奥付を見ると「昭和57年発行」写真は大倉俊二さんが撮影している。
当時にはしては1800円の写真入りの豪華本である。
着物の生地や着付けた胸元だけの写真であるが、残念ながら半分が白黒。

副題の織と染とあるように、紬や麻の織、文様にも触れ、友禅や江戸小紋の染にも言及されている。
まさに、着物随筆の宝庫だ。
馬場さんが戦後、着物に愛着をもった若い頃は銘仙3枚、紋付き1枚から始まったということだ。
それでも10代の頃から慣れ親しんだ着物それぞれに、さすがに歌人らしく何とも奥深い言葉を書いてはる。
短歌に素人の私もなるほどーとなる。
例えば、私の知らない筒がき染めの章では

 きものの図柄の花やかさには、どこかこうした虚のさびしさが必要である。それはたぶん着る人のあることへの用意であり、余情であると思われる。

私にはわかったような解らないような表現だが、なんとなくわかったような気がする。
日本人の気質の一つを言い当てているような、、、。

また、夏物の着物は着ている人よりも見てる回りの人が涼味を感じるようにしなければならないとか。日本人的だな。
紗袷などは5月後半から6月初め(まさに今の季節)の短い期間に着用する贅沢な着物だとか、着物の着用時期に関しても初めて知ることができた。
茶屋辻なんて柄はなんでできたのかとか。興味が尽きない。

調べてみると昨年彼女の日常を追ったドキュメンタリー映画もできたみたいだ。

自分のやりたいことのために子供は作らなかった。
自分のやりたいことだけを存分にやり遂げた。
凄い95歳である。

能にも詳しく、仕舞もされていたようで「鬼の研究」という本も出されているようだ。是非読んでみたい。
インタビュー記事とか読むとご本人は本当にカラッとしたお人柄のようだが、表現されるものは、まさに情念の塊のような凄みを感じる。

昨日の晩御飯は、相変わらずあっさりした物が食べたかったので鱧の湯引きの梅和え。小松菜と薄揚げの炊いたん。しいたけ、人参、大根、セロリの葉のお味噌汁。

なんだか貧相な食事だが、結構満足。