遊びをせんとや

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西行 歌と旅と人生 寺澤行忠

2024-06-01 07:20:37 | ブックリスト
かなり待ってやっと借りた一番新しい西行論。寺澤行忠著
西行研究者第一人者だ。


今までの私の持っていた西行像と少し違った感じを受けた。
なんとなく西行のイメージは高貴な人(待賢門院璋子と言われている)に失恋し、親友を亡くし、失意のうちに出家しながらもお酒も飲むし、色里にも通いという洒脱な人生を送った人という感じ。
でも今回この本を読むと、かなりストイックな人だったようだ。

自分と言うものがはっきりしていて、若い内から目指すところが迷いなく、仏門に入り、かといって特定の宗派に固執するわけでもなく(浄土宗や真言宗)伊勢神宮にも参っていたので本地垂迹説を取っていたのだそうだ。
なんだか精神がすごく自由な人だ。
一方、吉野・熊野の修験者に導かれ、かなり激しい修行も積んだようだ。一度はだまされたと憤慨したそうだが、二度もやり遂げているのは西行の基礎体力と精神力の凄さを思わされる。

この頃の東北への旅も「命をかけて」という感じだったそうだ。二度も東北に長旅をしている。
時代を下って芭蕉の旅を彷彿とさせる。
四国にもわたっている。

私の遊び人というイメージは江口の遊里で宿を巡っての遊女との歌のやり取りからである。

吉野の桜をこよなく愛し、私の一番好きな歌「願わくは花の下に春死なん その如月のもちつきのころ」通りに旧2月、太陽暦3月の末に吉野の庵で生涯を閉じたのである。そのことがまた、西行の伝説化を後押ししたそうだ。

いずれにしてもどこの流派にも属さず、孤高に宗教の修行の取り組み、歌の表現に命を懸けた一生であったようだ。
自分の感性に素直に従って、ほとんど歌会にも加わらなかったようだ。
生前、新古今和歌集の選者、藤原俊成、定家に認められ、その句集に選ばれることは望んでいたそうだ。

今回、読んだこの本の中に沢山の西行の歌が取り上げられていたが、自然や動植物に類する彼の優しいまなざしを感じた。
自然の中にも溶け込める面識のあった明恵上人やアッシジの聖フランチェスコに通じるようなイノセントな人でしかも生粋の芸術家だったんだろうな。

あとがきに著者が長い間に研究した中で、一番の参考文献となる書物の中に長年に渡って書き写されたことで西行の歌の中に使われた「花」と「春」という言葉が入れ替わっている歌があるとの指摘があった。そうなれば長年の西行の歌の解釈がまた一段と変化して進むのだろうと興味深かった。資料から読み取れる者は奥深い。

昨日の晩御飯はいつもの鰯ハンバーグ。ちょっと強火でカリッと焼いてみた。小松菜、人参。トマト、豚肉、キュウリの酢の物。
キャベツ、シイタケ、豆腐のお味噌汁。