山本さん、
「先生、前回で、ニルバーナ(死のこと)は最上の楽しみであると、
釈迦のコトバを引用されましたが、死を賛美するようでいかがなものかと
思うのですが。
いま日本は世界一高い自殺率をなんとか押さえようとして、法律や条令
をつくっていますが、それに水をさすようでまずいのではないでしょうか。」
ジッチャン、
「山本さん、よい点を指摘してくれました。私も言ったてまえそのことで悩ん
でいたのです。
そこで今回はちょつと早いとは思いますが、釈迦のコトバについて、私の
説明不足だったところを補足しておきます。
仏教を学ぶうえで、一番難しいとされる生死の問題ですが、
これを明らかにして生死の苦しみをなくすのが、仏教の究極の目的ですか
ら、よく聞いてください。
仏教では生と死を別々に捉えず、生死不二と捉えるのです。
生死不二というのは、二っのようだが別々には切り離せない一体のことで、
たとえば、体と影の関係をみると、体があって影がないとか、
影があって体がない、というようなことはあり得ません。
体と影は二であっても実際は二ではないことを不二というのです。
釈迦のコトバを生死不二の視点でみると、
死は最上の楽しみ(喜び)であるということは、
生も最上の楽しみ(喜び)であることになります。
生が喜びであるから、死も喜びであり、生死は不二で別々ではないのです。
自殺される人は、苦しみから逃れようとして死を選ぶのでしょうが、他人を
殺すか、自分を殺すかの違いはあっても、殺生罪に違いはありません。
仏教では殺生を一番重い罪として戒めていますので、重い罰を受けるか
もしれないのです。
非常に微妙なところですが、
人間は生死の苦しみである無明(生命に明らかでない、無知なこと)を破り
死の恐怖から開放されるために生まれてきた。と仏教は教えています。
つづく