大我を現すには・・
質問します。
「自分の命にたまった宿業を消して、大我(仏の命)を現すにはどうす
ればよいのですか。」
お答えします。
「仏の命(大我)のことを南無妙法蓮華経といいます。
私たちが本来持っている真の自分の命を現すには、南無妙法蓮華経と
唱えて、仏の命と同じになればよいのです。
とはいっても、仏の命があるかどうか、分からない人に南無妙法蓮華
経とだけ唱えなさいといってもムリだと思います。
そこで末法の仏である日蓮大聖人が、、
仏法に無知な末代の弟子の私たちに、仏の命を現す縁になる御本尊を
残してくださいました。
この御本尊は日蓮大聖人ご自身が悟られた仏の命を書き顕したもの
であります。
日蓮大聖人は、御本尊を与えられた門下へのお手紙で、
「日蓮がたましいを墨にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。
仏のみこころは法華経なり、
日蓮がたましいは南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし」
としたためられています。
日蓮大聖人(仏)の命であるから大事にしなさい。と仰せであります。
八識にたまった宿業の厚い壁を破ったところに、九識=仏界がある
といっても私たちには想像もできません。
しかし、日蓮大聖人が書きあらわされた御本尊を仏の命と信じて、南
無妙法蓮華経と唱えることはできます。
そうしますと今まで厚い壁に囲まれていた自分の仏の命が現れてくる
のです。
なぜ現れるのか理屈でわからなくても、
題目を唱えますと、今までとは違った力強い自分が現れることが実感
できますので、ウソではないことが分かります。
質問します。
「南無妙法蓮華経と唱えるだけなら、私でも出来ると思いますが、
それで本当に仏の命になれるのですか。」
お答えします。
「絶対になれます。題目を唱える人がだれびとであれ、
一生のあいだに必ず仏界になれるというのが、日蓮大聖人のお約束で
あります。仏の言葉にウソはありません。
続く
質問します。
「自分の命にたまった宿業を消して、大我(仏の命)を現すにはどうす
ればよいのですか。」
お答えします。
「仏の命(大我)のことを南無妙法蓮華経といいます。
私たちが本来持っている真の自分の命を現すには、南無妙法蓮華経と
唱えて、仏の命と同じになればよいのです。
とはいっても、仏の命があるかどうか、分からない人に南無妙法蓮華
経とだけ唱えなさいといってもムリだと思います。
そこで末法の仏である日蓮大聖人が、、
仏法に無知な末代の弟子の私たちに、仏の命を現す縁になる御本尊を
残してくださいました。
この御本尊は日蓮大聖人ご自身が悟られた仏の命を書き顕したもの
であります。
日蓮大聖人は、御本尊を与えられた門下へのお手紙で、
「日蓮がたましいを墨にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。
仏のみこころは法華経なり、
日蓮がたましいは南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし」
としたためられています。
日蓮大聖人(仏)の命であるから大事にしなさい。と仰せであります。
八識にたまった宿業の厚い壁を破ったところに、九識=仏界がある
といっても私たちには想像もできません。
しかし、日蓮大聖人が書きあらわされた御本尊を仏の命と信じて、南
無妙法蓮華経と唱えることはできます。
そうしますと今まで厚い壁に囲まれていた自分の仏の命が現れてくる
のです。
なぜ現れるのか理屈でわからなくても、
題目を唱えますと、今までとは違った力強い自分が現れることが実感
できますので、ウソではないことが分かります。
質問します。
「南無妙法蓮華経と唱えるだけなら、私でも出来ると思いますが、
それで本当に仏の命になれるのですか。」
お答えします。
「絶対になれます。題目を唱える人がだれびとであれ、
一生のあいだに必ず仏界になれるというのが、日蓮大聖人のお約束で
あります。仏の言葉にウソはありません。
続く