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不幸の繰り返しである小我から、不変の幸福境涯である大我になる
方法について勉強していきます。
今回がスタートでこれからずっと続きますので、どうか宜しくお願い
します。
小我とは生老病死、特に死苦に束縛された不自由で苦悩の多い境涯
です。生命の十界論でいえば九界の境涯にあたります。
大我は生老病死の苦から開放された自由自在な境涯で、仏界とも真
(まこと)の我ともいえる境涯です。
仏教の目的は元々自身に具わっている仏界を現し、真の我(大我)を悟
ることであります。
釈迦はすべての人の命に具わっている大我(仏界)を自分で悟って仏
(覚者)の境涯になりました。みんなにもその命があることを教えたの
が法華経で、釈迦と同じ境涯に引き揚げる目的で法を説きました。
だが、ほとんどの人が釈迦の言葉を理解できませんでした。仏界の
境涯は口で言うほど簡単になれる境涯ではありません。
生命は気が遠くなるほど長期間のあいだ、生と死を繰り返し、六道輪
廻(地獄界から天界まで)をしてきていますから・・
(もっとも自分では覚えていないでしょうが)
そのあいだに命にたまったアカが宿業として蓄積されています。
それを除いてもとのキレイな命にしなければ、真実の自分である大我
を現すことはできません。
これは自分の心を観察して、仏界を悟るというなまやさしい修行で
なれるものではありません。
自分の心と身体、全能力を発揮して先覚者である仏の教えどおりに
実践した結果得られる境地です。
その結果得られた境地は、なにものにも代えられない広大無辺なもの
で、どんな努力を払ってでも後悔することは絶対ない、想像を超えた
功徳となって現れてきます。
続く