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叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

人間賛歌 運命と宿業と 八

2007年10月12日 | 運命と宿業と
 前回の続き、

生命活動の最も表層に現れるのが「五識」で、
見る、聞く,嗅ぐ、味わう、触れるなど、外部からの情報を五感で認識する
ことだ。

「第六識」はこの五識をまとめる意識のことで、情報を整理し物事を推測し
たり、判断する知性の働きなのだ。
ここまではだれでも知っていることで、とりたてて言うほどではないが、
ここからが意識に出ない潜在意識といわれる領域で、最近の心理学でも
研究されているが、仏法の洞察力の凄いところなのだ。


第六識の奥に第七識があり、これは自分自身に執着する心で生命の
根源的な働き、自己保存本能といえるだろう。

具体的には、
一  貪欲・欲望に執着する心
二  怒り・欲望が満たされないことえの怒りで、他者や社会に対して向け
    られる。
三  愚か・表面に出た現象だけにとらわれ、自分の生命が造り出す現象
    であることを認めない無知のこと。

四番目は恐れる心のことだ。困難や未知なことに立ち向かっていく勇気が
ないのは恐れる心があるからで、心が臆病という病気にかかっている状態
なのだ。
臆病の根源は死えの恐怖心があるからだ。と心理学者は言っている。

第八のアラヤ識は私たちの振る舞い、これには行ったこと、思考したこと
など、善悪すべての行為が業として蓄積される貯蔵庫のような領域だ。

ここにどのような業を積んでいるかで、
私たちの生命の境涯が決まるとされている重要なところだ。


ここまでであれば、私たちは第八識に蓄積された業という障壁にはばまれ
た不自由な境涯で生きなければならないが、仏法は生命の最も奥深い所
に、第九識があると説いているのだ。

続く

人間賛歌 運命と宿業と 七

2007年10月01日 | 運命と宿業と

 前回の続き、

田中教授、
「彼女は前と同じかもっとひどいところに生まれて、
また同じことを繰り返すと思うね、六道輪廻よりも低い三悪道(ジゴク界、
ガキ界、チクショウ界)の境涯を、車の輪が回転するように際限なく繰り返す、
と仏法では説いている。

だがいつかは必ず生命の真実を明かした正しい仏法に出会い宿命を変え
、本来の仏の境涯になることは間違いない。とも経典に記してあるのだ。」

山田くん、
「仏教でいう運命と一般に使われている運命という言葉に、
違いがあることがよく分かりました。本来仏性を持っている私たちが仏道
修行して、仏の境涯になることが決まっている、これが人間の運命なんですね。
これはスゴク希望的、楽観的な言葉だと思いますよ。

しかし何か困難にぶつかったとき、困難が大きければ大きいほど、
宿命転換のチャンスが来たんだ。いまこそ題目を唱えて乗り越えていこう。
と先輩は指導しますが、
この場合の宿命転換と運命はどう違うのでしょうか、運命も宿命も同じだと
思っていましたが。」

田中教授、
「大事なところだね、
私たちは宿命転換とよく言うが、ほんとうは宿業転換といったほうが正確だ
と思うね。ちょっと難しくなるがよい機会だから話しておこう。

山田くんは学生部の会合かなんかで九識論(クシキロン)というのを聞いた
ことがあるかね。」

山田くん、
「はい、聞いたことはありますか専門語が゛多くて分からないところが
ケッコーありましたが。」

田中教授、
「そう九識論は名前からして難しそうだから、みな敬遠しがちだが仏法の
大事なところを説いているので勉強しておこう。

仏法では人間生命の働きを洞察し、九識論として体系化しているのだ。」

つづく






人間賛歌 運命と宿業と 六

2007年09月27日 | 運命と宿業と

 前回の続き

田中教授
「ちょつと次元が低いようだがその通りだよ。
十数億年前の海で、ピカイアと違って海底に穴を掘って隠れたり、
硬いカラでからだを囲んで食肉生物の攻撃から逃れた生物もいたが、

彼らの子孫はいまだに進化せず、穴に隠れたり貝殻のなかで細々と
生きているよ。」

山田くん、
「ハマグリとかウニ、アナゴなんかその子孫なんですかね。
困難に挑戦する勇気がなかったのですょね。」

田中教授、
「そう、人間だって困難から逃げるばかりしていると、ヒヨワで頼りない
人になってしまうよ。これは事実なんだ。」

山田くん、
「それに知恵も大事ですね、類人猿が人間に進化したのも火を使ったり、
コトバを使って情報を伝達する知恵があったからですねぇ。」

田中教授、
「仏法では、生命には本来あらゆることに対応できる知恵が具わっている
と説くが、要はこれを活用するかどうかだね。
ほとんどの人が活用せずに、折角の宝を持ち腐れで終わるのだ。

これは人類にとって大損失だよ、いま地球と人類を救うには、人間の中に
眠っている膨大な知恵を開発する以外に道はない。と識者は言いだしたね。
そしてこの知恵は、他者に奉仕する生き方をすることで会得されると、
最近の脳科学者は言っているようだ。
他に奉仕するために進化した生き物が人間だ。とも主張しているね。」

山田くん、
「ところで教授、セーヌ河に身を投げて死んだ女性は、
仏の境涯(絶対幸福)になれる運命を捨てて、苦しい境涯のまま一生を終
えたようですが、
彼女はその後どうなるのでしょうか、幸福になる運命でありながら、それを
知らずに途中で放棄したのですからかわいそうですね。」

続く

 

 


 


人間賛歌 運命と宿業と 五

2007年09月18日 | 運命と宿業と
田中教授
「これは理屈ではないのだ、頭でいくら考えても分からない
不思議な法なんだね。
信じて題目を唱える人だけが分かるのだ。宇宙に充満する
この力を活用すれば、人生に不可能なことは無い。

自由自在で、なにものにも縛られず、
自分の個性を最高に発揮していけるのだ。
みんなは知らないからこの力を使わないのだ。

自分がどんなにスゴイ力を持っていても、信じなければ使う
ことが出来ないからね。

「仏法の知恵の大海は信をもってのみ入ることが出来る」
これは中国の天台大師の言葉だが、信の大事さを教えているのだ。

山田くん、
「教授のお話をきいていると、元気が出てきました。
なにかにチャレンジしたい気持ちです。

田中教授、
「それはスゴイね、その前向きの心が大事なのだ。
希望を持ちそれに向かって挑戦すれば、生命に不可能なことはない。
これは生命編のところでも学んだね。

戸田先生は、「ホトケとは生命なり」と言われたが、
まったくその通りだね。

山田くん、
「生命編で原始生物ピカイアが、食肉生物に勇敢に対応する
のがありましたね。
困難に挑戦する勇気があれば、生命に不可能なことはない。
とあのとき聞きました。

そのあとに登場する、海から陸に上がったイクチオラスの例も
そうでしたね。サンソのいっぱいある陸に行きたい夢を持ち続け、
困難なカベをひとつ、ひとつ乗り越えて、
ついに上陸に成功しましたね。

あれも同じですよね、恐竜の首が伸びたのも、
高い所の木の葉を喰いたい一念で、首が伸びたのてしたね。

続く

人間賛歌 運命と宿業と 四

2007年09月11日 | 運命と宿業と

田中教授、
「善い行いをすれば善い結果を招き、悪い行いをすれば悪い報いを受ける。
これは通常の因果の法則だね、

仏法でなくても道徳とか倫理とか、およそ教えと名のつくものであれば、
たいてい善因善果、悪因悪果の法則は説いているよ。法華経を説く前の初期仏教
でもそれを説いていたのだ。
だが釈迦の本意はそうではなかった、生命に本来ある仏因(仏界になる因で本因と
いう)と、
仏果(仏界になった結果得られる知恵と力で本果という)は万人に平等にあるので、
万人が仏になれるのだ。と教えたのが釈迦の法華経だ。

それに対し日蓮大聖人は、どんな悪人でも、今までに善因を積んでいない人でも、
地獄界から菩薩界までの途中の因果をぜんぶとばして、直接仏果を得るための
御本尊を現された。

この御本尊に題目を唱えればだれでも、仏因と仏果を同時に得られるのだよ。
これが日蓮仏法の凄いところなのだ。
釈迦はすべての人に仏性があると教えたが、仏性を現す具体的な修行法は示さ
なかった。

日蓮大聖人はご自分が悟った仏界『少我をこえた大我のいのちで、我即宇宙.
我即宇宙の大境涯」を、
『これが仏界のいのちだよ、大切にしなさい」と図に現し、御本尊として遺された。
仏法に幼稚な私たちでも、この御本尊を受持して題目をとなえると、

日蓮大聖人と同じ仏界のいのちが、即座に私たちのいのちに現れるのだ。
これを凡夫即極(仏)と言うんだよ。

山田くん、
「へえ、すごいですね。題目を唱えることにそんな重大な意味があることを、
いままで知らなかったですよ。」

続く

 

 


 

 


人間賛歌 運命と宿業と 三

2007年09月03日 | 運命と宿業と

田中教授、
「ひとたび仏界の境涯になると、二度とジゴク、ガキ、チクショウ、シュラ
の四悪道におちることはないし、
願って人界、天界を現すことはあっても、常にはボサツ行をして人を救っ
ていくのだ。

だから仏道修行をするからには、仏の境涯を確立することが大事なのだ。
日蓮大聖人は凡夫ももともと仏性(仏になる性質)を具えているから、
もともと有るのを現すのであるから、
きめられた通りに修行すると、だれでも一生のうちに必ず仏になれると確約
されている。これを信じて修行に励むことだね。」

山田くん、
「日蓮大聖人のお命を現された御本尊を受持して、
南無妙法蓮華経と題目を唱えると、ゼツタイ幸せになれるし、
自分の個性を最高に発揮できると聞いていますが、
それでいいのですね。」

田中教授、
「それでよいのだよ、そして自分がよい方に変わっていくのが
分かるから、その喜びを家族や友人に語ってあげることだね。

そうしている内に自分の仏界の境涯が固まって、
どんなことがあっても、ビクともしない強い自分になれるのだ。
こうなったらもう怖いものなしだ。
大安心の境涯になり、人生でこれ以上の幸福はないと自覚できるのだよ」


山田くん、
「二人の女性は自分の運命を変えたと私は思っていました。
でもまた元の境涯に戻ることがあるのであれば、運命を変えたことには
ならないですね。」

田中教授、
「運命はそう簡単に変わったり、元にもどったりするものではないね。
ガキ界の人がなにかの縁で天界になったり、
天界にいた人が、ジゴク界におちたりすることはよくあることだ。」

続く

 

 


人間賛歌 運命と宿業と 二

2007年08月27日 | 運命と宿業と

山田くん、
「私たちが仏道修行するのも、
注、山田くんは人生の勝利者になるために日蓮仏法を実践しいいる。
自分のことしか考えない利己主義を改め、他のために尽くす菩薩道をするこ
とが自他ともの幸福につながる。と教えられてやっていますが、

なかなか目的地につけないのに、二人の女性は仏道修行をしてないのに
菩薩の境涯になったのですね。こんなことがあり得るのですか」

田中教授、
「たしかに忘己利他(己を捨てて他のために尽くす菩薩道のこと)の実践は
難しいし、
それに二人の女性がいつまでも菩薩の境涯でいられるか、
これも易しいことではないと思うね。なにかの縁でまたもとの地獄界や、
シュラ界に落ちないとは言えないからね。

生命は十界を具足しているから、菩薩界にいても他の九界がなくなった
わけではないんだ。いつでも変わる可能性があるんだ。
どれかに固定して、もう変わらないというのはないのだよ。」

山田くん、
「では二人の女性も、せつかく菩薩の境涯になつたのに、
それがづっと続くとは限らないのですね。

仏道を修行して境涯を高め、それがいつまでも続く方法はないのですか、
そうでないと修行する意欲がそがれる気がしますが。」


田中教授、
「さきに仏法でいう運命は世間一般でいわれているのと違う。
と言ったね、それはどういうことかというと、凡夫(仏法を知らない普通の人)
が一生の内に仏道修行して仏界の境涯になることが決まっているのを、
人間の運命というのだよ。

私たちが師と仰ぐ日蓮大聖人は、
凡夫が仏界になるのが自然であり、運命である。と仰せだ。

続く


 


人間賛歌 運命と宿業と、 一

2007年08月22日 | 運命と宿業と

 残暑お見舞い
猛暑がつづいていますが皆さんお元気ですか。
私も節度ある生活を心がけて夏バテせず、ガンバッています。
今回から人生で避けて通れない運命と宿業をテーマに対談形式で展開し
たいとおもっています。
引き続きご愛読くださいますようお願いします。
  O7年  夏  KATU



 運命と宿業と、

むかし「人生の意味、不可解なり」の遺書を残して、日光華厳の滝に飛び込
んで死んだ秀才で名高い一高生がいた。

それほどではなくても、多感な年頃の学生山田くんが、
人間学の大家である田中教授に、人生について質問しているのを横で聞い
てみよう。

山田くん
「いやあ! それにしても前回の三人の女性の例はスゴイですね、教授、
ほんとうにあった話なんですか。」

田中教授
「ぜんぶ実際にあったことだよ。」

山田くん
「なにか運命的なものを感じますが、教授、運命というのはあるのでしょうか」

田中教授
「仏教でいう運命とはちょっと意味が違うが、三人の女性の場合、
自分で望んでなったわけではないから、運命的としか言いようがないね。
一般論だが、」

山田くん
「セーヌ河に身を投げて死んだ女性は、自分の運命に負けたようだし、
三木りえやアウシュビッツの少女は、自分で運命を変えたのでしょうか」

田中教授
「たしかにそう言えるね。フランスの女性はかわいそうに自殺したが、運命
を変えることが出来なかったのだね。変える方法があることを知らなかった
だろうし。
三木女史とアウシュビッツの少女は、
苦しみのドン底から立ち上がって人を思いやれる優しい人間に変わった
ね。仏教の目で見ると苦悩する地獄界から、他者に尽くすボサツ界に境涯
を変えたのだ。スゴイことだと思うよ。」

続く