生命活動の最も表層に現れるのが「五識」で、
見る、聞く,嗅ぐ、味わう、触れるなど、外部からの情報を五感で認識する
ことだ。
「第六識」はこの五識をまとめる意識のことで、情報を整理し物事を推測し
たり、判断する知性の働きなのだ。
ここまではだれでも知っていることで、とりたてて言うほどではないが、
ここからが意識に出ない潜在意識といわれる領域で、最近の心理学でも
研究されているが、仏法の洞察力の凄いところなのだ。
第六識の奥に第七識があり、これは自分自身に執着する心で生命の
根源的な働き、自己保存本能といえるだろう。
具体的には、
一 貪欲・欲望に執着する心
二 怒り・欲望が満たされないことえの怒りで、他者や社会に対して向け
られる。
三 愚か・表面に出た現象だけにとらわれ、自分の生命が造り出す現象
であることを認めない無知のこと。
四番目は恐れる心のことだ。困難や未知なことに立ち向かっていく勇気が
ないのは恐れる心があるからで、心が臆病という病気にかかっている状態
なのだ。
臆病の根源は死えの恐怖心があるからだ。と心理学者は言っている。
第八のアラヤ識は私たちの振る舞い、これには行ったこと、思考したこと
など、善悪すべての行為が業として蓄積される貯蔵庫のような領域だ。
ここにどのような業を積んでいるかで、
私たちの生命の境涯が決まるとされている重要なところだ。
ここまでであれば、私たちは第八識に蓄積された業という障壁にはばまれ
た不自由な境涯で生きなければならないが、仏法は生命の最も奥深い所
に、第九識があると説いているのだ。
続く