かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

なごり雪そして春へ

2010年03月11日 | Weblog
学生時代、大分県出身の伊勢正三が作詞・作曲した「なごり雪」がヒットしました。今でも名曲となっていろんなところで歌われています。



 車のラジオからふとこの曲が流れてきました。今日の雪はなごり雪だからでしょう。歌を聴きながらこの曲から連想してくる思い出が浮かんできました。ギターでこの曲を一生懸命に練習をしたこと、家族との思い出、友との思い出・・・。


(1)汽車を待つ君の横で   ぼくは時計を気にしてる
  季節外れの雪が降ってる「東京で見る雪はこれが最後ね」と
  さみしそうに君がつぶやく  なごり雪も降る時を知り
  ふざけ過ぎた季節のあとで 今春が来て君はきれいになった
  去年よりずっときれいになった



(2)動き始めた汽車の窓に顔をつけて 
   君は何か言おうとしている 君の唇が「さようなら」と
   動くことが  こわくて下を向いてた
   時が行けば 幼い君も  大人になると 気付かないまま
   今 春が来て君はきれいになった
   去年よりずっときれいになった



(3) 君が去ったホームに残り  落ちてはとける雪を見ていた
    今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

   去年よりずっときれいになった
   去年よりずっときれいになった



で、今日は、朝から水分をたくさん含んだ雪が積もっていました。特に昨日の夕方から夜にかけての雪はすごかった。



 朝は、アイスバーン状態。おそるおそる昨日再びつけ直したスタッドレスタイヤ装備の車で学校に行きました。時間帯によっては、いつもの耶馬溪道も今日は、渋滞していたとか。また水分を含んで重い雪だったので、竹などが道路に倒れかかっているところも。水分を含んでいるということは、春の雪だからでしょう。生徒たちも事故なく無事に学校に来ることができてよかった。アイスバーン状態も太陽が出てくると、すぐに溶けました。




 
きれいな雪景色を見ることができました。遠くの山並みがきれいでした。



一方、雪が完全に溶けた時、おまちかねの春が来るのでしょう。

かったかくん流学級経営論・学力論⑧

2010年03月11日 | Weblog
 生徒たちが作成した新聞は、私の通信の中に載せます。子どもとの共同の新聞となります。ここまで来ると、書くことは苦にならなくなります。後で述べますが、私は、毎日通信を書いていました。子どもの通信と合わせれば、年間、800号近くになります。これをフラットファイルに閉じていくと、10冊くらいになります。



 そのときは、あまり感じなくても大人になったときには、かけがえのない子どもたちの歴史書になっているはずです。400字~800字などは、すぐに書けるようになっています。継続することの重要性を感じます。



 新聞は、帰りの会のときに必ず話題の一つにします。印象に残った記事、レイアウトが上手なこども・・・いろんな話を聞かせます。よいところは、みんなの前で理由を言いながら、しっかりとほめてあげます。



 そうすることで、子どもたちは自信ができます。また担当範囲外の子どもは、「あー、こんな風にかけばいいのか。」と自分の中に取り込もうとする子どもが出てきます。相乗効果を呼びます。記事の終わりに(文責○○)と名前を書いておけば、記事の内容にも責任ができますし、読む側からも誰が書いたのかわかります。お家の方は、頼もしく成長をしていく子どもの姿を見ることができます。



               
 学力をつけることは、単にドリルでトレーニングを進めていくだけでもいけませんし、授業数を増やすだけでもあがっていきません。「勉強するぞ」という環境づくりも大切な要因になります。つまり、畑は耕し、肥料を与えていなければ、いくら苗を植えてもしっかり成長をしていきません。教育もそれと同様です。



 今までの実践をすべてすることはできないと思います。しかし、意欲をみんなで高めていくクラス全員での取り組みを何か考えてみて下さい。するかぎりには、中途半端になってはいけません。徹底です。



日記を書くときも、
「何も書くことがない。」「今日はなにもなかった。」
とやる気のない言葉を書いてくる子どもがいます。最初は、一緒になってテーマを考えてあげます。怠惰でこのような内容が再三続く時は、指導が必要となります。もし、こんな些細なことを見逃す先生がいたなら、きっと、学級経営が雑に違いありません。その確率は高いです。先生は、性格はおおざっばでも、子どもの様子、行動、気持ちには繊細でなければならないといけないと思うのです。



 さらに、
「何を書こうかな。こまったな。ちょっと、考えています。・・・・」このような文章で制限字数を超える子どももいます。時には、その才能(?)に免じて許してあげます。しかし何度も繰り返すと、指導をします。




 次に文章表現のレベルをあげるために、「帰ってから、宿題をして、御飯を食べて、風呂に入って・・・。」と時間を追って文章を書く子どもには、「テーマを一つに絞って、詳しく書きなさい。」と言います。そうすることで、作文の中に事実だけでなく、自分の気持ちや意見を入れてきます。





「今日は、・・・。」という書き出しから、たいていの子どもたちは、書いてきますが、文章が上手になると、



「日記だから、(今日は)はいらないよ。違う書き出しをしてごらん。」



と言います。すると、会話文から始まる子どもも出てきますし、「先生、聞いて下さい。」から始まる生徒もでてきます。いろんなバージョンが出てきます。インパクトのある、書き出しになります。これで、文章力は、パワーアップです。



また、
「イラストも描いていいよ。」
と言うと、イラストが好きな子どもは、懸命に描いて持ってきます。綴っていけば、立派な本になります。生徒の歩みがしっかりとわかります。根気強く取り組ませる。



 いい機会のときにレベルを上げる指摘をすることで、短期間にきっと、
「子どもが変わってきた。」
というお家の方の声が聞こえ始めてくることでしょう。



 日記のことから離れますが、どう、わたしたちが、いいときにいいアドバイスを言えるのかが、先生という職業の妙技でしょう。先生の言葉によって、子どもたちが変わっていきます。


 子どもたちのことを思っても、私も言葉で子どもたちを傷つけたこともあります。全くそんなことはない先生もいないでしょう。でも反省をしながら、次の自分の実践を改善していっています。その失敗を生かすことが、謝ることと同時に、子どもたちへのお返しなのです。




 先生の言葉は、子どもを伸ばすことができるし、意欲を持たすこともできます。一方では、つぶすこともあるのです。そのくらい影響を持っています。学力をつけさせるためには、先生の姿勢が大きく左右していくのです。「今年の生徒は悪い。」そう思うならば、よくさせるのも先生の技なのです。



 都合のいい生徒だけのクラスはありませんし、悪いと思うなら、「よい」という子どもを育成していけばいいのです。



 新学習指導要領の中で、「表現力」が重要視されています。生活を綴っていくことがすべてではありませんが、間違いなく、「書く」ことに抵抗がない子どもたちになっていきます。


写真は、子どもたちが家に遊びに来たときのものです。