これまで毎年のように映写会や講演会などの集会を開催し、天皇制や情勢について考える場を設けていましたが、今度の2月11日は中止にせざるを得なくなりました。
それは、2月27日に新社会党荒尾総支部において『統一地方選挙勝利 市民大集会』を開催することにしていますから、その取り組みとあわせて重要な時期にきていることから、残念ながら集会を見送ることにしました。
その日、全国各地では奉祝式典が開催され、日の丸の小旗を持っての行進などがされるのかなと思いますが、今一度、民主主義について考えてみるべきだと思います。
荒尾の地では開催できませんが、開催される地区もあると思いますので、探してみてください。
「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて紀元節という祝日であり、明治政府は「紀元節」の日を選んで大日本帝国憲法を発布(1889年)するとか、「雲に聳(そび)ゆる高千穂の……」という「紀元節」の歌を小学校などで歌わせ、日露戦争の開戦をこの日にあわせるなど、国民に皇国史観と軍国主義をおしつける機会としてきました。 <o:p></o:p>
紀元節は、『日本書紀』が伝える初代天皇である神武天皇「辛酉(かのととり)年春正月」の一日に即位したという『日本書紀』の記述に基づき、神武天皇が即位してから日本の歴史が始まったことを祝う祝日として、明治政府が太陽暦に換算して1872年(明治5年)に2月11日と定め制定しましたが、しかし戦後「紀元節」は憲法の主権在民の原則に反するものとして1948年(昭和23年)に廃止されました。<o:p></o:p>
明治政府の説明どおりだとすると、紀元前660年2月11日が神武天皇即位の日となります。そのころの日本はまだ縄文時代で、文字や暦も知られていませんでした。階級も発生しておらず、天皇もいませんでした。神武天皇が実在しない人物であることは歴史学の常識です。天皇中心の非科学的な歴史観です。<o:p></o:p>
紀元節廃止以後、紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から見られ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出されました。<o:p></o:p>
しかし、当時野党第一党の日本社会党が「建国記念日」の制定を「神武天皇即位の年月は、歴史上、科学的に根拠が薄弱である」。「過去において、神武東征の物語りが、征略国家として支那事変、大東亜戦争において利用され、偏狭なる忠君愛国の教育ともあいまって、日本の進路を誤まらせたものではないか」と批判して反対し、衆議院では可決されたものの、参議院では審議未了廃案となりました。<o:p></o:p>
その後「建国記念日」の設置を定める法案は、9回の提出と廃案を繰り返し、成立には至りませんでしたが、結局、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの修正を行い、社会党も妥協し、1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案が成立しました。<o:p></o:p>
建国記念日審議会は、委員9人中7人の賛成により「建国記念の日」の日付を「2月11日」と決定。同年12月9日に答申が提出されたのを受け、同日、佐藤内閣は「建国記念の日は、2月11日とする。」とした「建国記念の日となる日を定める政令」を定めて公布、即日施行し今日に至っています。<o:p></o:p>
「建国記念の日」は「紀元節」の復活、天皇制の継続を図るもので法の下の平等、民主主義に反するものであり、安倍政権時代に教育基本法を改悪し『愛国心』を復活させ、天皇崇拝の教育が「日の丸」「君が代」の教育現場への押しつけへとつながり、教育の反動化、そして憲法改悪の動きとむすびついています。<o:p></o:p>
私は、時代に流される事なく、今一度、民主主義とは何か、天皇制を中心とした政治の目的とは何かを考えあいたいと思っています。<o:p></o:p>