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東京「昭和な}百物語<その8> 新宿ゴールデン街

2015-10-27 23:31:46 | 東京「昔むかしの」百物語
話は、少し飛ぶ。

昭和40年代に入り、ボクは新宿へ遊びに出掛けるようになった。簡単に言えば映画を観に行くようになったのだ。

もちろんそれまでにも映画は観に行っていた。ただし観に行く映画館は決まっていた。上板橋東映だ。当然東映の時代劇。時代劇とはとても思えない和製ミュージカル、美空ひばりの「七変化狸御殿」シリーズなんてのを観たのも、上板橋東映だった。

いつも3本立てで、中村錦之助、月形龍之介、片岡千恵蔵、市川歌右衛門、東千代之介、大友柳太朗、大川橋蔵なんてスターたちの映画を、3年間ほぼ毎週見ていたと思う。

だが10歳の冬に荻窪へ引っ越し、東映時代劇を観る機会がなくなった。荻窪にも映画館はあったが、ピンク映画の常設館だった(それも北口のピンク映画館は珍しい大蔵映画の常設館だった記憶がある。南口にあった映画館もピンク映画専門館だった。どんだけよ!)。近間では、洋画の阿佐ヶ谷のオデオン座辺りへはよく行った。

だがロードショーは、新宿だった。それも歌舞伎町のど真ん中。新宿コマ劇場周辺だった。だから、一人ではいかない。3、4人で徒党を組み出かけた。

高校時代になると、一人で行くようになった。当時は高校演劇に入れ込んでいて(1年の時には高校演劇で全国制覇し、2年の時には自分の作品で東京都大会で2位になったが、全国大会には行けなかった)、映画を観るのは当然の通過儀礼のようなものだった。

やがて芝居の世界にどっぷりつかり、政治の嵐の真っただ中で撃沈し、気が付けば毎晩のようにゴールデン街で飲んでいた。色々ここには書けないようなディープな世界もあったが、ゴールデン街で飲むのが好きで、歩いて帰れる富久町に家を借りて住んだりもした。

ゴールデン街は、都電の引き込み線があった。季節ごとにうらぶれた風景を見せてくれて大好きだった。

そのうち、気が付けば雑誌の編集者になっていて、編集部が区役所通りと職安通りのぶつかる少し手前にあったものだから、ゴールデン街を卒業できなかった。

ボクがゴールデン街を卒業したのは、30歳ごろ。1980年に入り、ロック雑誌の編集者を辞してフリーになって仕事が忙しくなり、足が遠のいた。

一番面白い時代に、一番面白いゴールデン街で、一番面白い人たちと同じ空気を吸っていた。それがボクにはたまらなく嬉しい。

あの狭い魔窟を這い廻るかのような道を思い出すと、今でも心がときめく。

二度とは戻れない時代の、二度とは通えない、あの道。

負のモノが負のモノとして価値を持ち、人を引き付けた時代の、あの道。
コメント (1)
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