「人生不可解」の言葉と同時に、「二十歳のエチュード」という本のことも思い出していたオジサンなのであった!
「二十歳のエチュード」とは原口統三という、やはり昭和21年10月に、若くして自らの命を絶った青年が書き残し、友人に託した三冊のノートに記された文章をまとめた、いってみればエッセイのような本。
内容的には、ニーチェやドストエフスキーといった近代の叡智に身を寄せながら、若さゆえに自分自身も周囲のことも、非常にシニカルに眺める視点から離れられないという、青年の青年らしい著作。
こんな書き方をすると、どこかから誰かの叱責が聞こえてきそうではあるが、あえて書けば、戦後間もない時代の一高生(現・東大)の心情を表してあまりある内容ではあるが、今の時代相には寄り添うことのできない内容の本だろう。
ボクがこの本を読んだのは、高校2年のときだった。だから16歳。これでもそれなりに多感な少年ではあった。ちょうど『現代の戦い』という処女戯曲を書いて、高校演劇コンクールに参加し、東京都で2位の成績をいただいた年で、心の内と外を垣間見始めていた頃合だった。
ボクはこの『二十歳のエチュード』をほぼ半年間、座右の書のようにして常に持ち歩き読み続けていた。そして現代国語の授業で、「友へ」というような内容の文章を書く機会があった時に、「原口統三へ」と題する文章を書いて提出した。
すると、忘れた頃に現代国語の女性教諭が、「今日は先日書いてもらったものの中から、一篇、朗読させてもらいます」といって、あろうことかボクの書いた「原口統三へ」を読み始めたではないか。
ボクはまるで原口統三を、自分の友人のように見立てて原稿を書いたのだが、それを女性教諭は、現在進行形の、ボクと自死した原口という友人との間のできごとと誤解をし、その内容に「胸を打たれた」といって朗読したのだ。そして後からボクに「気落ちしないように」と激励までしてくれたのであった。
ボクは正直、変形させた読書感想文のつもりで書いていたものだから、なにかその教諭の誤解がおかしく、泣く振りをして笑っていたのだった。
こんないやらしい高校時代のことも、思い出してしまった。
「二十歳のエチュード」とは原口統三という、やはり昭和21年10月に、若くして自らの命を絶った青年が書き残し、友人に託した三冊のノートに記された文章をまとめた、いってみればエッセイのような本。
内容的には、ニーチェやドストエフスキーといった近代の叡智に身を寄せながら、若さゆえに自分自身も周囲のことも、非常にシニカルに眺める視点から離れられないという、青年の青年らしい著作。
こんな書き方をすると、どこかから誰かの叱責が聞こえてきそうではあるが、あえて書けば、戦後間もない時代の一高生(現・東大)の心情を表してあまりある内容ではあるが、今の時代相には寄り添うことのできない内容の本だろう。
ボクがこの本を読んだのは、高校2年のときだった。だから16歳。これでもそれなりに多感な少年ではあった。ちょうど『現代の戦い』という処女戯曲を書いて、高校演劇コンクールに参加し、東京都で2位の成績をいただいた年で、心の内と外を垣間見始めていた頃合だった。
ボクはこの『二十歳のエチュード』をほぼ半年間、座右の書のようにして常に持ち歩き読み続けていた。そして現代国語の授業で、「友へ」というような内容の文章を書く機会があった時に、「原口統三へ」と題する文章を書いて提出した。
すると、忘れた頃に現代国語の女性教諭が、「今日は先日書いてもらったものの中から、一篇、朗読させてもらいます」といって、あろうことかボクの書いた「原口統三へ」を読み始めたではないか。
ボクはまるで原口統三を、自分の友人のように見立てて原稿を書いたのだが、それを女性教諭は、現在進行形の、ボクと自死した原口という友人との間のできごとと誤解をし、その内容に「胸を打たれた」といって朗読したのだ。そして後からボクに「気落ちしないように」と激励までしてくれたのであった。
ボクは正直、変形させた読書感想文のつもりで書いていたものだから、なにかその教諭の誤解がおかしく、泣く振りをして笑っていたのだった。
こんないやらしい高校時代のことも、思い出してしまった。