J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

岡山トップスポーツファミリー(ファジアーノ等)、スポーツ文化情報リスペクトブログ(共同運営)。

草の根運動35

2017-09-10 00:01:01 | 草の根運動

 リスペクト(事例紹介)コラムです。
 今年6月に山陽新聞朝刊に「岡山サッカーの歩み」という特集記事が連載されました。岡山サッカー界の本当の創世記から現代まで詳しく書かれていました。当ブログとしては、'05年頃の「岡山からJリーグを」運動が本格化した頃から覚えています。最近の情報は読者の皆さんもよくご存知だと思うので、今回はその中の「第2部 ファジアーノ編」のJリーグへ昇格までの記事を順番に引用して紹介していきたいと思います。まずは「① つくろう会」から。以下、抜粋して引用させていただきました。
            
【岡山サッカーの歩み(第2部 ファジアーノ編)】
①つくろう会
「ファジアーノ岡山誕生の物語は、サッカー仲間の語らいから始まった。場所は岡山市内の喫茶店。部活動を始動する中堅・若手の教員や昔日のサッカー少年ら10人ほどが顔を出す。話題はもっぱら1993年にスタートするJリーグ。開幕前から集まりだし、ことあるごとに茶話に講じた。
 彼らを引きつけたのは「地域に根差したクラブ」という、リーグが掲げた理念だった。それまでチームといえば学校か企業。「地域のクラブ」は新鮮に映った。お隣広島県では、J1期生のサンフレッチェ広島が華々しく活躍する。プロチームがある街は何とも魅力的だった。「岡山にも」。自然と話はそちらに向いていった。」
「彼らが思いを行動に移したのが同年の秋。ジャパンフットボールリーグで活躍していた川崎製鉄サッカー部(倉敷市)を母体にJチームを立ち上げる青写真を整え、実現を県に要望すべく、街頭署名を始めた。JR岡山駅前や県陸上競技場(いずれも岡山市)などに立ち、あるいは知人友人に声を掛け、活動をアピール。4ケ月で3万人の署名を集めた。
 翌94年1月には行政、財界への働きかけや組織の強化を図るため「岡山にJリーグをつくろう会」を設立。岡山市内のホテルで発足式を開き、活動を本格化させた-はずだった。
 「川鉄サッカー部(倉敷)神戸へ」。メンバーの熱意に冷や水を浴びせる動きが山陽新聞で報じられたのは皮肉にも、つくろう会発足の3日後だった。3月には川鉄が会見し神戸移転を正式に表明。構想は宙に浮いた。
 このこころ持ち上がっていた岡山操車場跡地(岡山市)への競技場建設案も、市と議会で意見がまとまらず、実現の見通しは立たないまま。追い風とはならなかった。」
「つくろう会は、Jチームを抱える都市への視察などしばらく活動を続けたが徐々に停滞。川鉄が94年シーズンを最後に神戸へ旅立つと。いつしか消滅した。ただ、Jチーム誕生を夢見た人々の情熱は、岡山の地にうずみ火のように残った。21世紀に入り、2005年岡山国体を契機に再び燃え上がり、実を結ぶことになる。」
引用:山陽新聞(上左画像参照)

 という内容でした。この「つくろう会」については、この11年の間、時折耳にしていた名前で、その時々でO前専務理事さんなどに、どういう会なのか尋ねていましたが、なぜか口をつぐまれて、余り歓迎された組織ではなかったのかなとずっと思っていました。しかし、今回の山陽新聞さんの記事を読むと、いかに頑張っていた素晴らしい組織だったのか、よくわかりました。それでも何度ネット検索で調べてみても、ほとんど何も出てこなかったです。
 上の記事にも登場されますが、Aさん(元県協会事務局長)が中心になって当時活動されていたようで、同じく登場するFさんも、以前に出席させていただいたT岡講師さん主催の会合(SPOC研究会の前身)で一度お会いして、その後はFさんのブログを何度か拝見した程度。Fさんも最前線だったのですね。いつか、AさんとFさんに詳しくお話を聞きたいものです。そして、歴史を残したいですね。
 Aさんに関しては、県協会事務局長時代('11年)に、日本協会公式HPの「JFAスポーツマネジャーズカレッジ」の「チェンジメーカー」という特集記事でインタビューを受けており、そこにも「つくろう会」の事が少し触れられています。
日本協会公式HP該当記事:http://www.jfa.jp/smc/smc_change/news/00001388/

 これらの流れを岡山県民の立場で読むと、まるで神戸に持って行かれたような印象を抱きがちですが、神戸県民の立場から見ると、また違った価値観が存在している事がよくわかりました。あちらはあちらでJクラブを生むために苦労されています。こちらのブログ('10年で止まっていますが)のこの記事によく書かれています。岡山からJリーグクラブができた事を知る上で知るべき事なのかもしれません。
 チームとクラブはイコールのようで、イコールではないと思います。チームは県民がともに共有する公共財の存在で、クラブはイコール運営会社であり、チームを管理する管理人の存在だと認識しています。前々から口にしているように、クラブ(運営会社)そのものは時には中身が変わる事(鳥栖さんのように)はあっても、「チーム」という公共財は簡単には変わらないと思います。チームは目標に向かってひたすらサッカーをやっています。現場(監督他スタッフや選手)は与えられた条件・環境のもとで頑張っていると思います。当ブログも地元岡山愛は強く、岡山のチーム好きですね。地元県民のためにこれからも走ってもらいたいと思います。②に続く。

コメント
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