J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

岡山トップスポーツファミリー(ファジアーノ等)、スポーツ文化情報リスペクトブログ(共同運営)。

スポーツ文化の素晴らしさ90

2017-09-14 00:01:24 | スポーツ文化・その他

 リスペクト(事例紹介)コラムです。
 サッカー以外のニュースなので、どうしようかと思ったのですが、結局書くことにしました。伊達公子選手が昨日、二度目の引退となりました。この方については昔から言いたい事があったので。いいタイミングだと思います。当ブログとテニスも無関係ではありません。過去に記事もあるし、2005年岡山国体のテニス競技決勝を観に、備前へ行っています。適度に汗を流せるちょうどいいスポーツですね。まずは今朝の山陽新聞の1面記事です。引用して抜粋します。
   
【46歳伊達 現役に分かれ】
「女子テニスの元世界ランキング4位で引退表明していた伊達公子(46)=エステティックTBC=が12日、東京・有明テニスの森公園で行われたジャパン女子オープンに現役最後の大会として臨み、シングルス1回戦で世界67位のアレクサンドラ・クルニッチ(セルビア)に0-6、0-6で敗れた」
「1990年代半ばに四大大会のシングルスで3度の4強入りと躍進した。96年に引退したが、2008年4月に37歳で現役復帰。09年に13年ぶりのツアー大会優勝を果たしたが、近年はけがに悩まされた。昨年に2度手術した左膝に加え、古傷の右肩に痛みが出たことで8月に入って引退を決断した」
引用:山陽新聞朝刊(9/13)

 伊達選手が'08年にカムバック宣言した時に、巷では激励などポジティブな意見が多かった事を記憶しています。「世界と戦うためではなく、若い選手へ刺激を与えるため」といったのがカムバックの理由。逆に引退した時の理由は「テニスが嫌だったから」であり、エキジビションマッチに出場してみて、結構プレーできたので、現役復帰する気になったと聞いてます。そして、(元)旦那さん(クルム氏)の存在もあると言っていた覚えがあります。子どもさんは無く、旦那さんに自分の良い姿を見せたかった事もあると口にしていたのをはっきり覚えています。でも今日、いろいろと情報を探った時に、昨年離婚されたのを知りました。人生いろいろです。それも再引退の後押しになったのかも。

 てな具合で、いろいろと情報を探すうちに、一つ発見しました。DAZNでその引退試合をやっていたのです。ダイジェスト版でしたが、しっかり観れました。遠目に見たら伊達選手は46歳には見えませんね。でも、プレー自体は精度が低く、よくネットにかかっていました。全盛期のプレー(ライジングショットとか)を覚えていますが、どうしても違いはあります。スコアもそんな数字ですね。試合後は満足したような満面の笑みでコートを離れました。DAZNありがとうという感じですね。サッカー以外の他のスポーツでも、こうした記憶に残る試合を時々観れます。
                  
 で、ここからが当ブログの論調です。
 カムバック宣言された時に、当ブログでは正直ネガティブな感情を抱きました。それよりも子どもを教えに全国を回るべきでしょと。同じ世代の松岡修造氏は「修造チャレンジ」で全国をコーチングで回り、その中にあの錦織選手もいたそうです。五輪世代、未来の伊達公子を育成するために、「教える」べきだと実感していました。私の背中を見てもいいですが、夢は与えられても、技術は伝わらない。その点、松岡氏は頑張りましたね。
 昨日引退された訳ですが、今後はぜひ育成に尽力して欲しいと思います。大阪選手という期待の星が登場していますが、ちょっと違うルートから出てきた逸材だと思っています。杉山愛選手以降、大阪選手の他に世界で十分戦える女子選手が出ていません。もし、'08年に現役復帰せずに、この9年間女子の育成に力を貸してくれていれば、大阪選手のような逸材がもっと活躍していた事でしょう。
 伊達選手はサッカー界とは無関係のように思われるかもしれませんが、そうでもありません。サッカー界にも少し関わっていました。確かそうだったよなぁと思って調べると、やはり出てきました。順番にいってみましょう。

【レッズランドアドバイザー就任】
「地域密着型のサッカークラブを確立してきた浦和レッズ。総合型スポーツクラブを展開し地域スポーツ文化を育むという取り組みに、これまでのテニスやスポーツの経験を通じて同じ思いを共有してきた私は、その趣旨に強く共感しました。このたび、レッズランドのアドバイザーを務め、またテニス部門のプロデュースも行うことになりました。スポーツを日常の一部にするため、地域の方々を含めて一緒につくりあげていきたいと思います」
引用:J1浦和公式HP

 まず思い出したのは、レッズランドのオープン当初(2005年)、テニススクールの講師を務めていたと記憶していましたが、実際はプロデュースするアドバイザーでした。Jリーグ百年構想を実現した施設で、伊達選手も関わっていたのです。その時のコメントでした。この時の思いは立派でしたが、その後の行動は現役復帰という形になってしまいました。

【日本サッカー協会就任】
「日本サッカー協会の役員改選で、ラグビー元日本代表監督の平尾誠二氏(45)と、今年現役に復帰した女子テニスのクルム伊達公子(37)の新理事就任が確実となっていることが10日、明らかになった。任期満了で退任する川淵三郎キャプテン(71)の後任として新会長となることが事実上決まっている犬飼基昭常務理事(66)が推薦した。日本サッカー協会理事に他競技の出身者が入るのは極めて異例。国際経験豊富なサッカー以外の人材を登用して幅広く意見を求めることで、協会の発展を図る狙いがある」
引用:日刊スポーツ

 個人的に記憶に残っていますが、JFA新理事就任早々、いきなり理事会を欠席したと話題になっていました。その年が実は2008年。つまり現役復帰に伴って、プロツアーに出場するために会議を欠席された訳です。この当時、やはりサッカー以外のスポーツからの理事は好ましくないような空気が漂っていましたね。そういえば、こんな話題もありましたね。いろんな意味で話題を提供してくれた選手でした。
 伊達さん、ぜひいつかJリーグ理事として力を発揮して欲しいですね。あなたが2005年に目にした総合型地域スポーツクラブは、今やJ1からJ3まで一部のクラブ(サッカーのみか、例えばチアスクールくらいだけとか)を除いてどこも何かしら取り組んでいます。ぜひ、そういうスポーツ文化の優れたクラブを回って、テニスの育成に尽力ください。もちろん、修造チャレンジのように独自でもお願いしたいです。 そして、世界で戦える女子選手を生み出して下さい。
伊達公子公式HP:http://kimiko-date.thetennisdaily.jp/
  〃   公式ブログ:https://lineblog.me/datekimiko/
    〃  公式FBページ:https://www.facebook.com/kimiko.krummdate

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする