kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

後悔先に立たず。

2013-07-28 | 考える事
病院とお寺くらいでしょうか。

人の「死」と多く向き合うところは。

ある意味お寺は亡くなってから付き合うところで、

生活の中で特殊な位置づけになるかもしれません。


もちろん元気な時も交流はあります。

亡くなってからだけの付き合いではなく、

亡き方を通して向き合った付き合いを心がけています。

しかし、普段お見えになっているその方が体調を崩されて寺参りに来れなくても、

その人のお見舞いに行くことはありません。

立場上の問題や物理的に無理があるからですが、

それでも今までお参りにきていた方が、

事情で顔を見せなくなると皆で気にかけ、心配します。

とりわけ昔から何代にもわたって寺に墓がある家の方は、

幼少の頃より見知っていて、我が家の家庭環境も知っていてくれる

何となく親戚のような存在であります。


最近は家庭の都合で地元に居を構えていた方も、

年齢や病などの事情で県外に住む子どもさんと住む、

そんなケースも増えてきていて、

それでも有り難いことに住まいは離れていても、

願入寺という寺は離れず、頻繁ではありませんが、

墓参りに来て顔を見せてくれます。


昔からの付き合いの一人に我が家族を気にかけ、

参拝のおりには子どもたちにといって菓子折りをくれ、

体調が優れず参拝できない時は季節の変わり目には心遣いが届く・・

そんな方がいます。


地元に住んでいましたが、ご主人が亡くなって、

数年前に横浜の息子さんと住むために引っ越して行きました。

体調が良い時は息子さんと車で横浜から参拝に。。。


最近 施設に入ったという話を聞き、

8/9にいつものさとる歯科受診の日だったので、

この日は夕方診察なのでそれまでに施設へお見舞いに行く計画でした。

昨日もまっちゃんと何時に伺ったらいいか、

息子さんに聞いておいてね。そんな会話をしたばかり。


先ほど亡くなったという知らせがきました

 悲しいです。

環境柄人の死には鈍感というのではなく、覚悟をしています。

【いつお別れしても悔いのない人生を送ってほしい。】

そう教えを乞い、みなさんにも日々法要を通して話しています。

でも、悔いのない人生なんて・・・難しいですよね。

悲しいお別れでも「有り難う」と言える

そんな付き合いができればいうことはありませんが、

今日はとても後悔しています。


今月に入って直ぐにも見舞いに行く予定があったんですが、

相手の都合もあり9日にと決めていた矢先、

しかも何を持って行こうか。

8/2祖母の新盆法要のためさとると二人新潟へ行くので、

そこで土産を買ってこよう!!そんな話をさとるともしていて。。。



今は何とも気が抜けて涙が止まりません。

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

私の座右の銘

すっかり明日もあると思い込んで生きています。


世の無情を知っているつもりでいた自分に腹が立っています。


向き合う命の先にある「諸行無常の響き」は

改めて心の鐘を鳴らしてくれています。




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