送られる人と送る人のたくさんの家族を見てきました。
4歳から衣を着て、最後の引導を渡す役目を腹に据えて暫し、
いつも記していますが、人は生きたように死んでいきます。
人の数だけ人生があり、ドラマがある
見送る人たちの 目に見えない葛藤は不思議と読経中の背中に、
ビンビンに伝わってきます。
不思議に思われる人もいるかもしれませんが、
私には亡き方が笑ったり、
悲しんだりするのを肌で感じることがあるのですよ。
死という現象に長く従事すものは 一つ一つの悲しみに
埋没してはいけないと 暗黙の教えがあります。
ましてや我々の務めは 様々な人の縁を結ぶ大事な役目
涙を流しながら向かうわけには いけませんね。
若かりし頃は 気合いを入れて泣くことを止めましたが、
最近は自分も年月を重ねてきたからでしょうか?
亡き方の思いにこころ寄せる時、
自然と涙が頬をつたうのです。。。(お坊さん失格?!)
多くの仕事がある中で 背中を見せる務めはそんなにありません。
背中を見せ、声を届かせ、
亡き方と共に 家族と共に 経を頂く・・・
そして 残された家族の心に添う対話の中に
明日を生きる糧を見いだしてもらう。。。
これが本来の僧の在り方だと思うのです。
亡くなった人の為に追善するだけのお寺では
罰が当たるような気がします。
殺伐とした世の中 誰を信じていいのかさえ全く分からず、
路頭に迷う人々の、生きる人々の心の拠り所となって欲しい・・・
寺という中にいて 衣を着るものとして
ただ その願いで生きています。
金品を提供する善意的行為は出来ませんが、
私の背中が そこに集いし人たちの胸に刻まれることを願って
精進したいと思います。
同情することに意味を持ち、
同調することに意義がある人生を伝えるべく・・・
どうぞ 皆さん 少しでも私のような者の助けがいる時は、
迷わず 連絡下さいね。
境内の白藤は今年も見事です。
子育てをされながらの活動をされていることに敬服いたします。。
”時間は自分で作るもの、
学びは自分で気づくもの、
優しさは自分を育てるもの。。。”
こどもの日のブログに書かれていらっしゃった、この部分が良いですね!!
従業員にも教えてやりたいと思います。。
これからもよろしくお願いいたします。
お若いのに教えられることが多々あります。
皆さんがkasaruさんの背中から、何かを感じて下さっていると思います。
これからも、御精進下さいませ。皆様のためにも。
白藤、見事ですね
しのぶれど、風に靡くか、白藤の花、我もなりたや、5月の風に・・・・
観音に、一夜限りの、我が思い、知るか知らずか
夜の白藤
我に以心伝心せりその生き様は良としゆえに好
さらば観音様
ありがとうございます。
いのちの力強さを感じます。
少しずつ足下を見る生活を心がけています。
貴社のお仕事に比べたら・・・
逆に本当に頭が下がる思いです。
こちらこそ
おはようございます。
遠くからでも私だと分かるように
大きな体を養成中です
mokomamaさんの存在が大きいんですよ
あなどるなかれ・・・
観音さまも白藤も きっと 貴方のことを
いつでもちゃんと見ていますよ。
ホントに見事な白藤に 暫し現実を忘れています。
いつか 生を見にいらして下さいね
背中しか見えませんので
それにしても見事な藤ですね
我が想い君は知らずか知らねども遊び心を侮りととる
秘かにも破戒せよとは言わねども心の余白些かあればと
我が事のように人を憂い、国を憂いてお節介とよばれる。生き方を説けば眉ひそめられる御時世さりとて我も聖人君子でもなく、我の人生省みればやむ得ないかと納得、世捨てて、山里暮らしせめともの慰めに、雑文を書き言葉遊びの明け暮れに、キラリト光る心の刃のごとくにkasaru。我が文に他意はなく、ご容赦のほどを、精神は山であれ海であれ・・・・ご健勝であれ、さらば三角わかれて四角せめて丸く生きようか うふふ