「人は変わらなきゃ化けもんだ!」と言われたことがありますが、
それでもお変わりございませんか?
神仏の願いはただ一つ、
祈る者の健やかで穏やかな今を
生き抜いてほしいということだとおもいます。
日本は至る所に色んな神仏がいます。
出会わないなんててもったいない!!
そうおもいます。
私はいつも神仏がカリスマになっても、
聖職者がカリスマになってもいけない!そうおもっています。
神仏に御利益を授ける力はありません。
神仏を信じる私たちの心の中に、
利益?(この言い方は妥当ではありませんが)をもたらす
信念を満ちさせてくれるのだとおもいます。
何事も神仏の力に寄るものであるとするならば、
私の命の力は眠ってしまって、
信じる力を見いい出すことは出来難くなるのだとおもいます。
田んぼの中の小さな社、林の中の鳥居、光に反射するステンドグラス、
礼拝の鐘、静かに鎮座する本堂、文化財的価値のある仏像・・・
何所も厳かで静寂を保ち
『来る者拒まず、去る者追わず』
そんな
大らかに色んな宗教を司る場所がある日本は裕福であり、
そしてそれらを受け入れる日本人の考え方の寛容さは、
(寛容な部分だけではもちろんありませんが)
この国を保っている鍵の一つではないかとおもっています。
moanalaniさん
今回は返信のコメントが少々長くなったので、
こちらに書きました。