kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

どりあ~ん。。。

2014-06-12 | つぶやき

ドリアンという果物をご存知ですか?

フルーツの王様!!と言われている強烈な香りを放つ

見た目はからは想像できない濃厚で芳醇な味わいのある果物・・・

というのは食べれる人の感想。。。

私は

でも、大半の人は先ず臭でアウト。

以前このブログでも登場しましたが、

我が家で手に入れた時は子どもたちに口も聞いてもらえませんでした。

それほど凄い香りがします。

食べてもアルコールと一緒に取ると死に至るケースもあるという

実に高カロリーな恐ろしい食べ物です。

でも美味しいのよね~~~

ここ近年は一緒に食す人がいなくなったために

口にしていませんが、機会があれば食べたくなります。

そんな日本では一定期間数量限定でしか手に入らない果物ですが、

生息地では至る所にあるらしいんですよね。

只 食するだけとおもっていた果物でこんな事件が・・・・





〈タイでの出来事〉


★ 強烈なドリアン臭、生徒5人が体調不良を訴える

ラヨン県ムアンにある学校で腐ったドリアンのような強烈な臭いのため、

生徒5人が気分が悪くなり病院で手当を受けたそうです。

調べたところ異臭の発生元は近くの工場とみられるとのことです。

調べに対し学校関係者の証言では、その強烈な臭いは次第に強くなり、

最後には耐えられないレベルにまで達しました。

学校は急きょ臨時休校として生徒約500人全員を帰宅させたそうです。。

まだ原因ははっきりとわかっていませんが、

ラヨン県はドリアンの産地として有名なのは皮肉なことです。★


まだドリアンのせいとは断定できませんが、もしかしたら・・・・

果物といっても侮れませんね。


毎年ドリアンの話をすると凄い剣幕で阻止するかおるたち、

残念ながら今年も食べれそうにありません。



とても素敵な・・・

2014-06-12 | Weblog


一昔と違い近所の手伝い等を受けないお別れが主流になり、

また、親戚の人数や高齢等 実際に手伝ってもらうことの方が

気を使ってしまうこともある昨今、

葬儀屋さんというドライに考えられる付き合いの人に

葬儀全般の運びを依頼することは悪いことではないとおもいます。

当家がすることは山ほどあり、

時間を空けずに直ぐに式を行なう場合は

自分たちで出来る範囲は決まってしまい、

気がつけば荼毘にふされ、お骨を拾い、食事をして解散・・・

と亡き方の人生を味わう間もなく終わることが多いのが普通です。

しかし、

今回の大先生のお別れは、自分たちですること、

専門の方に頼むところときちんと考えた結果、

上手に流れを作ることができ、

参列の方の心にも残る素敵な葬儀が執り行われたとおもいます。


一般的には遺族、当家等は喪主挨拶程度で留まり、

弔辞などが読まれる場合も亡き方と接点のある方が

おおよその人となりや功績を讃えることばをいただくのが多く、

親族がお別れの言葉を言うことは稀です。


でも、僧侶の立場から書かせてもらうと、

キリスト教のように縁のあった家族はもちろん、

近所付き合いのあった方、長い間体を看てきた病院の方たち、

施設に入っていた時お世話をしてくれた人、

色んな角度から亡き方を偲ぶ思い出を披露しても

誰も何も言わないとおもうのです。

むしろ直接あったことない方々にとっても、

今日のお焼香が少し身近なものになり、

今度 家族にあった時思い出話ができる

そんな気がします。



今回の葬儀は式を行なうまで3日間準備の時間を取れたことで、

遺族にとっても亡き方にとってどんなお別れが良いのか

考える時間と準備をする時間を取れて、

少しゆとりを持って望めた感じはあったのでは・・・


通夜式では喪主の挨拶の際、

大先生の書きかけの自叙伝を見つけたことを披露、

そして亡くなるまでの経緯を皆さんに話すことができ、

告別式では

孫娘が自ら有り難うのメッセージと共に、

病院の職員の書いた思い出のメッセージを代読。

多くの人が涙し、在りし日の姿が蘇りました。

続いて通夜に引き続き喪主が、喪主としての立場ではなく、

改めて息子として父への感謝のことばを披露。

お寺さんまでもが涙を拭きながら聞き入るという、

素敵な葬儀になりました。


葬儀屋さんとの決め事の他に

考えられる決め事はたくさんあり、

混乱する時間の中で如何にスムーズに、

来てくれた方々に亡き方に代わりお礼ができるのか

本当に改めて勉強させてもらいました。


微力ながらお手伝いさせてもらった4日間

家族同等の扱いをいただき只 感謝・感謝の日々でした。