kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

人を見たら・・・

2012-09-07 | つぶやき
「ひとを見たら泥棒と思え!」

ひと昔前はそうやって教育してきた時代があった。

近年はひととの付き合いの希薄さがクローズアップされ、

引きこもり・孤独死など人との関わりが無いことでおこる不測の事態を重く受け止め、

また、天災による助け合いの精神は「絆」という旗を掲げ、

繋がることの大切さや必要性を強調してきた。


隣の家でミイラ化した遺体があっても分からず、

大きな声で泣きじゃくる幼子の声を無視し、

最近見かけなくなったと感じながらも他人事になり、

それらが決して善悪ではなく、

ここ数日のニュースを見ていても下手に関わることが、

身の安全を保障出来ない世の中になったことを物語っている。

ましてや近所というだけで押し寄せたり、同級生や知り合いということだけで

写真など無理矢理手に入れようとするマスコミの態度も如何なものか?


よもやいつもと同じように通り過ぎる人が

自分の命を脅かす人物であるなんて・・・

注意はしていても、緊張は持続するものではなく、

ましてやいなかの慣れた世間の中では考えたくもない事。


今回の幼い子どもの監禁、誘拐未遂などでもわかるように、

何時どこで起こってもおかしくない犯罪が直ぐ側に迫っているということである。


でも、泥棒と思えば全てのことを疑わなくてはならない。

それも難儀なことだ。


身内や家族といえども、全てのひとが仲がいいわけではない。

当人が気に入らなければ家族であっても、親といえども殺される時代に、

真の教育はどこにあるのか?

産んで、餌を与えて、適当に相づちをうてば人間が出来上がるわけではない。


家計が大変なら子どもを持つことを諦める。

親になる自信がないなら子ども産まない。

そういう選択があっても良いと私は思う。


少子化の波は関係ない話。


親として責任ををとる覚悟。きちんと育てる義務。見放さず見守る信念がなければ、大人の役目は果たせない。

ひとは一人では人間として成長できない。

婚活も、受験戦争も塾通いも有りだと思うが、

先ずはひととして人間の中で生きていく最低限の優しさ、思いやりと生き抜く力と技を身につける教育が必要だと

いつも、いつも思う。

「泥棒と思う」のか「泥棒だった」んだと感じるのか・・・

どちらが良いかなんて言えないが、これからの世が

自分がされてイヤなことはしてもいけない。させてもいけない。

お互い様の中で生かされていることを自覚したいものだ。。。