kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

どうして?

2008-06-12 | Weblog
事故以来 交渉事はこちら側はまっちゃんが、

あちら側は○A保険会社が・・・

相手側も法的処罰を受けたことも知っている。

身体的治療に付いてはその都度お伺いを立て、

可能な限り対処してもらうという話で進んでいた。

1度 本人も保護者も伴って詫びにきたことも、

1・2度 本人ではなく母親から電話があったことも、

この一年間であったことも承知していた。

私も母も相手に対し直後から今まで恨み言の一つもいわず、

時折襲われる痛みと不安を押し殺し、

一番は家族に多大な迷惑をかけていることへの罪悪感を抱え、

生活してきた。

いつまでも家の中でジッとしているわけにはいかず、

仕事や気分転換で出掛ければ、

横から来る車に体か硬直している自分がいるが、

気持ちの持ちようと・・・頑張っていた。

相手に対して元に戻せと詰めよったことはない。

むしろ詫びにきたとき代わりに会った父や弟、まっちゃんは

相手の先ある人生を有意義に過ごしてもらいたいと、

この事故で卑屈になることも 開き直ることも

ないよう話したことを聞いていた。

一般的なことだが当事者と直接交渉ではなく

代理人として保険屋さんを通しての

やり取りのはずであったが、

保険屋さんも代理人としてと言う割には、

あまり顔を出すこともなく今まで来ている。

事故の対応なんてこんなものかと、

そう思っていた矢先・・・・

昨日 見慣れない差出人の『親展』と書かれ、

簡易なセロハンテープで止められた封書が届いた。

よく見ると弁護士の名だ。

???

まっちゃんの帰宅を待って開封すると、

治療の打ち切りと書類を送ってほしいと

一方的に書かれた内容の手紙が入っていた。

またしても????
保険屋さんからも当事者からも何も聞いていない

治療だって闇雲に通ってた訳ではないし、

慰謝料請求だってまだしたことはない。
それをいきなり弁護士からの通達

何も悪いことをしていないのに、

なんだか犯罪者の気分だ。

泣けてくる

昨日受け取ってから 気分が優れない

自然に涙が溢れてくる・・・

やるせない気持ちが込み上げてくる私としたことが・・

「その後如何ですか?」そんな言葉も交わされることなく、

弁護士という最終兵器を使うような真似をされて、

信頼関係の上に成り立っていた今までの時間は

何だったのか???

一番のショックは窓口になっていたまっちゃんだ。

私が事故にさえ合わなければ・・・ゴメンね

当事者の相手が頼んだのか?

朝一番で保険会社に確認したところ、

「保険会社の賠償責任では難しいので

弁護士に頼むことにした。」と

保険会社の介入で弁護士に依頼したと言っていたそうだ。

賠償責任て。。。何か特別なことも言ってないし、

心身の治療についてだけは話したけど・・・

私が悪いのかな~~

なんだかしっくりとこない



今言いようのない不安に襲われています。

ようやく安定剤や薬無しでいられるようになって

喜んでいたんですが。。。

瞼を閉じると浮かぶ血にまみれた母の姿に、

懸命に詫びる私の思いはきっと誰にも分からないだろうな~~



今後どうしたら良いんだろう。。。

どなたか良いアドバイスありますか?

ゆずりは

2008-06-12 | Weblog
「 ゆ ず り は 」
          河合酔茗

こどもたちよ、
これはゆずりはの木です

このゆずりはは
新しい葉が出来ると
入り代わって
ふるい葉が落ちてしまうのです

こんな厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると
無造作に落ちる
新しい葉にいのちを譲って---

こどもたちよ、
おまえたちは何をほしがらないでも
すべてのものが
おまえたちに譲られるのです
太陽のまわるかぎり
譲られるものは絶えません

輝ける大都会も
そっくりお前たちが譲り受けるのです
読みきれないほどの書物も
みんなおまえたちの手に受け取るのです

幸福なるこどもたちよ、
おまえたちの手はまだ小さいけれど

世のおとうさんおかあさんたちは
何一つ持ってゆかない

みんなおまえたちに譲ってゆくために
いのちあるもの
よいもの
美しいものを
一生懸命に造っています

今、おまえたちは気がづかないけれど
ひとりでにいのちは伸びる

鳥のように歌い
花のように笑っている間に
気がついてきます

そしたらこどもたちよ、
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう



河合酔茗
堺出身の詩人(1874-1965)
明治32年関西青年文学会主宰、雑誌「よしあしぐさ」編集に携わった。
「無弦弓」「塔影」など数多くの作品を世に出して口語詩の発展に寄与、
大正期以後は女流詩人の育成にも貢献した。