碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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書評した本: 泉麻人 『東京23区外さんぽ』

2018年12月19日 | 書評した本たち


週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。


観光地以外でこそ発揮される散歩の達人の嗅覚

泉麻人『東京23区外さんぽ』

平凡社 1,836円

現在も放送中の旅番組『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)の制作に携っていたことがある。当時、全国各地を飛び歩きながら、その反動で思いついたのが『近くへ行きたい』というタイトルの番組だ。

まだお台場に移転する前で、曙橋に局舎があったテレビ局のプロデューサーに提案してみたが、一笑に付されてしまった。後年、俳優の故・地井武男が始めた『ちい散歩』(テレビ朝日系)を見た時は、「やられた!」と思った。企画が少し早すぎたのかもしれない。

もしも幻の散歩番組が成立していたら、『大東京23区散歩』『東京いい道、しぶい道』などの著書を持つコラムニストは出演者にぴったりだったはずだ。

そんな著者が「23区以外の東京」に足を向けたのが本書だ。何しろ多摩地域には30もの市町村があり、行き先には困らない。しかも著者の散歩は名所や名物とは無縁だ。いわゆる観光地とは趣きの異なる場所でこそ、散歩の達人の嗅覚は発揮される。

若者に人気の吉祥寺がある武蔵野市では、かつて九七式や隼といった戦闘機を製造していた会社、中島飛行機の運動場跡を利用した「武蔵野陸上競技場」に立つ。

また織物の町、八王子市ではユーミンこと松任谷由実の実家である「荒井呉服店」を眺め、「大善寺」というお寺で松本清張のお墓を見つけて手を合わせる。

そして町田市でも、林立する熟女パブの先に進学塾が並ぶ通りを歩いたかと思うと、「農村伝道神学校」なる不思議な学校の門の前にたたずむ著者。

肩の力の見事な抜け具合は、地域の最奥にある奥多摩町を訪ねても変わらない。目を留めるのは、「女(め)の湯」「雲風呂」「下り」などの珍名バス停だったりするのだ。さらに定食屋で注文したヤマメの塩焼きもさることながら、自家製の刺身コンニャクの味に感激する。

目的も事前の準備もいらない。偶然に出会ったものを虚心に面白がる。これぞ散歩ならではの楽しみだ。

(週刊新潮 2018年12月6日号)