碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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2018年のドラマ界 女性活躍とおっさん特需

2018年12月09日 | 「毎日新聞」連載中のテレビ評


<週刊テレビ評>
今年のドラマ界 
女性活躍とおっさん特需

今年のドラマ界を振り返ってみたい。まず1月期、親子や家族の本質を問いかけた、坂元裕二脚本の「anone」(日本テレビ系)が目を引いた。だが、「アンナチュラル」(TBS系)の衝撃には及ばない。もの言わぬ遺体を起点に事件の真相へとたどり着くプロセスだけでなく、非日常的に思える「不自然な死」の中に人間の日常に潜む怒りや悲しみを描き出す、野木亜紀子のオリジナル脚本が秀逸だったのだ。

次に4月期というだけでなく、今年最大の話題作となったのが徳尾浩司脚本「おっさんずラブ」(テレビ朝日系)だ。女性にモテない33歳の男(田中圭)が、55歳の上司(吉田鋼太郎)と25歳の後輩(林遣都)から求愛されてしまう。同性間恋愛と男たちの“可愛げ”を正面から描いて新鮮だった。

また深夜にわずか7回という露出ながら、SNSなどソーシャルメディアによって支持の声が広がっていった現象にも注目したい。リアルタイム視聴だけを評価する時代から、ようやく録画などのタイムシフト視聴を加味した総合視聴率の時代へと転換が始まった時期を象徴する1本となった。

7月期、石原さとみ主演「高嶺の花」(日テレ系)があった。野島伸司脚本ということで期待されたが、華道家元のお嬢様(石原)と町の自転車店店主(峯田和伸)との格差恋愛で何が描きたかったのか、やや不明のまま終わった。

一方、森下佳子脚本「義母と娘のブルース」(TBS系)は出色の家族ドラマになった。際立っていたのがヒロイン、宮本亜希子(綾瀬はるか)のキャラクターだ。家でも外でもビジネスウーマンの姿勢を崩さず、奇妙なほど事務的で丁寧な話し方。何事にも戦略的に取り組むバイタリティー。それでいて、どこか抜けているから目が離せない。笑わせたり泣かせたりの展開を通じて、夫婦とは、親子とは何かを考えさせてくれた。

10月期では金子ありさ脚本の「中学聖日記」(TBS系)が賛否両論となった。たとえタブーと呼ばれる恋愛であっても、人の気持ちは誰にも止められない。しかし有村架純が演じるヒロインに、視聴者の共感を得るだけの覚悟が見られないことがもどかしかった。

その点、大石静脚本「大恋愛~僕を忘れる君と」(TBS系)の病を抱えたヒロイン(戸田恵梨香)と、それを支える男(ムロツヨシ)の覚悟には、最後まで見届けたいと思わせるだけの現代性と切実感がある。また戸田とムロの好演も予想を超えていた。

平成“最後”のドラマ界は、女性脚本家の活躍と「おっさん」特需に彩られた1年だったのだ。

(毎日新聞「週刊テレビ評」 2018.12.08)


書評した本: 『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』

2018年12月09日 | 書評した本たち


週刊新潮に、以下の書評を寄稿しました。


常識が失われた時代に考えたい保守主義の本質
適菜 収
『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』

講談社+α新書 907円

かつて高校の国語教師をしていたことがある。教科書には小林秀雄の文章も載っていたが、教えるのに難渋した記憶ばかりで、作品名さえ覚えていない。もしも当時、適菜収『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』が出版されていたら随分助かったはずだ。

キーワードは「近代」である。何でも論理的、合理的、理性的に説明するのが近代の精神だ。一方、小林が扱ったのは、解釈によって切り捨てることができない「経験」であり、概念の背後にある世界だった。

たとえば近代においては個性や独自性が尊ばれる。しかし小林はモーツァルトを「訓練と模倣とを教養の根幹とする演奏家」と呼び、ものまねを極めることから独創が生まれるとした。教育についても、「自由と教育とは矛盾した言葉」であり、教育とは「厳格な訓練」だと言い切っている。

さらに興味深いのは「保守」と政治についてだ。著者によれば、「小林は本質的な保守主義者」だった。保守主義とは、「常識」が失われた時代に「常識」を取り戻そうとする動きだ。

そして保守主義の本質は人間理性に対する懐疑であり、保守主義者は自身の判断さえ確信することはない。自らが信じる道を「断固として突き進む」と繰り返す政治家など、実は保守の対極にいることがわかる。

小林がヒトラーについて書いた、「本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている」という言葉がリアリティをもって甦ってきた。

(週刊新潮 2018年11月29日号)