――前回の最後の後、沈黙が流れる。
〈弟〉は、〈妹〉に『ピザを10回言う』よう迫る。嫌がる〈妹〉に何とか10回『ピザ』と言わせる。
弟「ピザって、月に何回言う?」
妹「月に? ほとんど言わないよ。注文したら、たくさん言うけど。」
弟「じゃ、年に何回言う?」
妹「やっぱり、ほとんど言わない。注文したら……10回くらい……。」
弟「なのに、お前は今、10回もピザって言葉を言ったんだよ。」
黙って頷(うなづ)く〈妹〉。
弟「僕たちはね、注文なんてできない。食べていいのはね。ここにある食べ物だけ。なのにね、ピザと言う言葉を10回も言ったんだよ。僕たちはさ、外に出てはいけない。触れてもいけない。見てもいけない。なのにね、《外》の言葉を何回も言ったんだよ。……いやな気持になるだろう。」
……中略……
弟「……僕たちは、『止めて』と言う言葉を使いすぎたからこうなっちゃったんだよ。痛みを我慢するしかなくなったんだよ。言葉を言えなくなって。お互いの身を削いで。終(しま)いには、自分の身を押しつけて来るんだよ! それが家族だろって!」
俯(うつむ)いた〈弟〉の小さな嗚咽(おえつ)。そして沈黙。
弟「……家族じゃなくてもよかったんだよ。」
〈妹〉は、俯き加減にじっと聞いている。
〈妹〉が、何か心を決めたかのような改まった表情で〈弟〉に語りかける。
妹 ★1「あのね。あたし、つまらなかったの。……ずっと、つまらなかったの。あたしの“つまらない毎日”は、改修されて行ったの。何か、ぱあっとやろうとすると、結局、ぜんぶ“つまらない毎日”に改修されていったの。きっとさ、あたしの周りには楽しい毎日が流れていたと思うの。でも、そのどれにもうまく対応できなくて。頭がぼんやりして……そしたら、楽しいことも辛いことも苦しいことも悲しいことも嬉しいことも、全部、ぼんやりしてしまってね。……世の中であたしだけが、平べったァ~く、ぺたァって、なっててさ(両手でそのような仕草をする)……。結局、あたしは流されてしまうんだろうなって。すぐ、雨に流されて。すぐ、台風に飛ばされてしまうんだろうなって。」
――降り続く雨。
妹 ★2「凄い雨だね。六月は梅雨だから。梅雨は、雨が降ってできたんだから。外ではどれくらい雨が降っているんだろう。梅雨は、ジメジメしててさ、雨が鬱陶しくて嫌な気分。
[夏]は、スイカの季節。太陽は痛い。スイカの実を食べて、黒い種は吐き出す。種はよく見るとすごくきれい。 [秋]は……なんだろ? 枯れてる。枯れてるんだよ。ただただ枯れてる。焦げてる。なのに、みんなそれはきれいという。 [冬]は……何? 何にもない。空気がきれい。透明なのに白い。吐く息は関係ない。朝は白い。お日様は遠くにある。 [春]は……やっぱり桜? 定番。私は葉桜。桜は眼に悪い。眼が悪くなって、世界がどんどん見えなくなって来る。
そしてまた[梅雨]がやって来る。雨がザーザー降って、ポツポツとはなかなか降ってこない。ときにはガラスをバタバタと叩く。でも雨は止んじゃいけない。止んじゃうと、それ以上の音が聞こえちゃうから。人の動く音……。」
この間、〈弟〉は落ち込んだ様子で俯いたまま、手で顔を覆うように悲しみにくれている。
――激しい雨の音。 ――沈黙。
〈弟〉の方に眼をやる〈妹〉。
妹「あのね。こんなに苦しいことはなかったの。哀しいこともなかったの。」
その口調は強く、
妹「私の平っぺったい毎日が、大きな、形になったの。」
弟「(俯いたまま、涙声でやっと言葉を押し出すように)……ごめん。ごめん……。」
妹 ★3「わたしはお兄ちゃんを食べない。もうお互い食べ合うことなどしなくていい……。だって……わたしたちは、家族じゃないもん……。」
〈妹〉を見つめる〈弟〉。いっそう激しくなる雨音。
弟「でも僕はさ……」
妹「何? 聞こえない。」
弟「ごめん。お兄ちゃんと呼べなくて、ごめん。」
妹「何て?」
弟「ルール守れなくて、ごめん。」
妹「聞こえない。」
弟「家族になれなくて、ごめん。」
妹「もう一回言って。」
弟「本当の家族になれなくて、ごめん。」
妹「いいよ」
弟「何?」
妹「いいよ。」
弟「聞こえない。」
妹-★4「赦す。」
――雷鳴と共に、いっそう激しくなる雨。暗転(照明消える)
――舞台に、薄暗い照明が入る。
〈弟〉が《何か》を見つめるように一人立っている。その《何か》の方へと歩み寄る〈弟〉。
前回(下-3)同様、〈弟(次兄)〉が床にある《何か》から「布製の物」を “脱がせ”ています。 いや、“剥ぎ取っている” というべきでしょうか。しかし、観客には〈弟〉の視線の先が“見えない” ため、すぐには “それ” が何であるかは判りません。“脱がせた” ように見えなくはありませんが、やはり “その物”は “剥ぎ取った” とする言い方が適切なのかもしれません。「その物」とは、どうやら「シャツ」のようです。〈弟〉は今 “剥ぎ取った白いシャツ” をハンガーに掛けようとしています。薄暗い明りでその模様はよく判りませんが、何処となく「妹が着ていた、いくつかの赤い円形が一列に重なり繋がった模様」のような気がします。
――その薄暗い中、〈弟〉のモノローグが始まる。
弟 ★5「……こうしてぼくはまた一人で肉を食べているんです。硬くなっていくんです。肉だけは……。兄貴と妹は僕の身をギリギリに裂いて、ドロドロになるまでしゃぶって呑み込んで行きました。家族が僕の心を食べて、僕は家族の身体を食べたのです。……そして、ここに残った僕は何なんでしょうか? 僕の身体には、いま家族の血が流れています。僕たちは文字通り、形を超えた家族となったのです。これは多分、とても幸せなことなんです。」
そう言った後、椅子から転がり落ちる〈弟〉。しかし、急に何かに脅えたかのように床に蹲(うずくま)りながら、泣き叫ぶように声を出す。
弟 ★6「ここから出してください。もう誰もいないんです。もう食べるものがないんです。……助けてください。誰か僕を見つけてください。」
――外から家の壁を激しく叩く音。『止めてください』と何回も叫び続ける〈弟〉。
――照明が消えても(暗転)、外から家の「壁」を叩き続ける音がしている。
――BGMが入る。 終幕―― [続く]
※次回が「最終回」となります。