『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・新春俳話―下巻(正月の生活と遊び)

2021年01月05日 12時13分32秒 | ■俳句・短歌・詩

 

 鏡餅、雑煮、初夢

 前回までの「上・中巻」は、「新年」の「風物(「時候・天文・地理」)に関する「季語」を採り上げていました。

 そこで今回は「生活・行事」の季語を選び、できるだけ多くの作品に触れてみたいと思います。ただし、本稿で採り上げる「季語」について、若い世代の方々にはピンとこない部分があると思います。

 最初に採り上げる「鏡餅」にしても、今日スーパーなどで売られている「パッケージ・パック化された鏡餅」とは異なります。私が小学一、二年生の頃は、一般家庭等においても、竈(釜戸)などでもち米を蒸し、臼と杵を使ってつくということが、結構行われていました。(※注①)。

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 それでは、さっそく「鏡餅」からまいりましょう。

  鏡餅暗きところに割れて坐す   西東 三鬼

 〝割れて坐す〟という表現に、これぞまさしく〝旧き良き時代〟の「鏡餅」という雰囲気が出ています。

 「鏡餅」は陽に当たりすぎたり、暖房が効きすぎると、当然のようにヒビや割れが早く進むため、極力、日の光や火の気を避けたものです。

 といって、全く人目に触れない所に置いたのでは意味がありません。そのため、床の間や玄関、それに廊下の突き当たりなど、できるだけ室温の低い所(といっても、低すぎてもいけないわけですが)に置かれていました。少なくとも、私が小学低学年時の自宅や祖父の家はそうでした。

 この句の「鏡餅」の場合、ヒビや割れが酷くなっていたのでしょう。それでやむなく〝お役御免〟として「暗きところ」に置き換えられ、「割れて坐す」という姿に成ったのでしょうか。子供の頃、祖父の家において、階段下に〝ヒビ割れてぼろぼろになった鏡餅〟が 置かれているのを見た記憶があります。65、6年前の話ですが。

 「坐す」としたところに、この「鏡餅」が、結構な大きさであることをうかがい知ることができるとともに、〝ヒビ割れてまでよく頑張ったね〟といった〝労いの気持ち〟も感じられます。

 「鏡餅」は大きければ大きいほど、それに比例して〝割れ〟も大きくなるものです。逆に言えば、「鏡餅のヒビや割れの大きさ」は、或る意味〝ステイタス・シンボル〟でもあったのかも知れません。

 〝物そして物事の本質〟を〝有無を言わさずズバリと言い切る〟西東三鬼ここにありと言える秀句です。団塊世代の方々には、本句によって、子供時代の正月の記憶や想い出が甦って来たのではないでしょうか。

 

  青黴の春色ふかし鏡餅   佐々木 有風

 一般家庭において自分たちで「ついた餅」は、言うまでもなく防腐や防黴処理を施すことはありませんでした。そこで当然のことながら〝ヒビや割れ〟だけでなく、〝黴(カビ)〟にも見まわれたものです。といって嫌悪感や悲壮感はなく、子供の頃は〝黴の部分だけ〟を巧みに〝こそぎ落す〟ことを、ゲーム感覚でやっていました。

 その土地や室内の温熱環境にもよるでしょうが、「青黴」が生えるまでには結構時間がかかったように記憶しています。本句の「春色ふかし」に、その時間の経過がさりげなく詠み込まれていますね。

 ところで「春色」とは、〝春らしい柔らかい光や明るさ〟がもたらす「春の景色や趣き」を意味する「春の季語」であり、また「青黴」も、本来、梅雨期を象徴するものとして「夏の季語」になっています。

 とはいえ、ここでの主役はあくまでも「鏡餅」(新年の季語)であるため、「春色ふかし」は、「鏡餅」に係る形容となっています。つまりは〝戸外の景色〟云々ではなく、〝気がつけば、青黴が生えるほど時間が経過していたんだ〟といった感じに受け止める必要があります。

 正直に言えば、当初この句は〝鑑賞文を付けず、例句のみの紹介〟の予定でした。それはやはり、トリプルの〝季重なり〟が気になっていたからです。

 しかし、先ほどの「三鬼の句」をよりよく理解していただくためには、欠かせない句との判断によって鑑賞を加えました。

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 「餅」と来たら、次はやはり「雑煮」でしょうね。

 しかし、こと「季節限定の食べ物」となれば、それこそ〝地域の風土や慣習〟それに〝各人各様〟の好みがかなり異なるため、収拾がつかなくなるおそれがあります。そこでここでは、「例句」のご紹介だけにしておきましょう。

 もし私が、うっかり「博多の雑煮」について語り出すとなれば、今日この「俳話」はとても終わりそうにないでしょう。そのため、ここでの鑑賞は強制終了といたします。

  高砂や雑煮の餅に松の塵        志太 野坡

  脇差を横にまはして雑煮かな      森川 許六

  笹鳴きを覗く子と待つ雑煮かな     渡辺 水巴

  空たかき風ききながら雑煮かな     臼田 亜浪

  (はぜ)だしの博多雑煮は家伝もの 小原 菁々子  

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 次は「初夢」。「上巻」でご紹介した「講談社版・大歳時記」では、「初夢」を〝正月元日から二日にかけての夜見る夢〟と定義付けています。

 しかし、他の「歳時記」では、〝正月二日の夜あるいは節分の夜(昔の節分は正月)の夢〟としています(角川:入門歳時記)※注②)。

 

  初夢のあいふれし手の覚めて冷ゆ   野澤 節子

 夢の中で触れた手と手。それは〝ゆったりと揺蕩(たゆた)うような調子〟からして、「作者」と「異性(男性)」ということでしょうか。とはいえ、その「男性」がどのような人物で、また二人の関係がどのようなものであるのか、もちろん何一つ判ってはいません。

 というより、そもそも「夢そのもの」の多くが〝とりとめもない〟ものであり、〝儚(はかな)い〟存在なのですから。

 それでも〝夢とは潜在願望の充足である〟とするS・フロイトの精神分析学的「夢判断」に従えば、やはりこの場合の「男性」は〝特定の人〟ではないでしょうか。

 私がそう感じた一番の理由は、「覚めて冷ゆ」という下五の表現にありました。どこか〝自分自身をも突き離したような醒めた〟言い回しです。

 そこには、作者の〝口惜しさ〟……もっと言えば〝落胆〟のようなものが感じられたからです。それを、病弱であったと言われる節子の〝生〟そして〝性〟の〝密やかな 心の叫び〟と言うのは言い過ぎでしょうか。

 「あいふれし」は「相触れし」であり、もちろん〝互いに触れ合う〟ことを意味しています。本句では「あいふれし」として、〝だけが触れ合ったような〟表現となってはいますが……。

 「あいふれし」と「ひらがな表記」にしたことによって、「漢字」部分の「初夢・手・覚・冷」の4文字が、不思議な結びつきと響きを感じさせてもいるようです。

 もちろん、それはこの「初夢」に対する節子自身の心の有り様であり、読者へ何かを託しているように私は受け取ったのですが。

 これ以上のことは控えることにして、読者各位のイマジネーションとクリエイティビティにお任せしましょう。

  なお本句鑑賞に当たっての参照句として――、

  初夢や秘して語らず一人笑(え)む      伊藤 松宇 

  初夢の思い出せねどよきめざめ    三浦 恒礼子

 の2句をあげておきましょう。その他〝いかにも初夢らしい〟雰囲気たっぷりの例句として、 

  初夢に見たり返らぬ日のことを     日野 草城

  初夢のせめては末のよかりけり     久保田 万太郎

  初夢の河が光ってをりしのみ      加倉井 秋を

 

 そして――、

  初夢の扇ひろげしところまで     後藤 夜半

 この場合の「」は、作者の二人の実弟が「能楽師」であることを考えると、能楽で使われるものかもしれません。

 「初夢」にかぎらず、およそ「」というものは、この句の「扇ひろげしところまで」のように、〝結末がなんとも曖昧〟という感じのものが大半ではありませんか? そのため〝あの先は、どうなるんだろう?〟という、モヤモヤ感に付き纏われるようです。

 あるいは〝何のためにこういう夢を……〟とか、〝その夢が過去、現在の自分と、どのように関わって来たのか……また将来、どのように関わろうとするのか〟といった「?」を突きつけられることも数多くあることでしょう。

 まさしく、あの「いろは歌」の最終句〝あさきゆめみし、ゑひもせす〟(浅き夢見し、酔いもせず)に通じています。

 

 ところが――、

  初ゆめのゆめの深さに溺れをり  村沢 夏風

 というのですから……。「ゆめの深さに」……「溺れをり」ですよ。あのMr.タモリは、同郷のMr.鉄矢に言うでしょう。

 『……鉄ちゃん。どげん思うね? 初夢ってゆうたっちゃ、たかが夢やなかね。その夢が深いてバイ。そやけん、溺れようて言いよんしゃあ……。あんた、なんか言葉ば、贈ってやりんしゃい……。』

 もっとも、人さまが意見したり慰めたりしたところで、解決する問題ではありませんが。果たして夏風氏の初夢とは、一体どのようなものだったのでしょうか。ず~っと気になっています。

 ついでに言えば、この句も〝ひらがな〟の使い方が巧みです。「初夢」の「夢」を「ゆめ」としたことにより、上五の終りと中七の始めとが、「……ゆめのゆめの……」と、素晴らしいリフレインとなっているからです。

 それだからこそ、下五の「溺れをり」がグンと引き立つとともに、上五へ戻っての「初ゆめの」そして中七の「ゆめの」への流れが、いっそう流麗になっているのです。

 文字を目で確かめながら、ゆっくりと何度も口ずさんでみませんか。作者の気持ちに近づくことができると思います。

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 最後は、昔々の「お正月の遊び」について――。

 私の子供の頃、正月には本当に「」を揚げたものです。もちろん何人かの近所の子供や大人達も一緒でした。「」を揚げる「空」と、走り回る「原っぱ」とがあったからでしょう。

 テレビもゲームも携帯電話もなく、コミック雑誌も満足にない時代でした。文字通り目を瞑って〝瞑想〟するとき、実に鮮やかにそのときの原っぱや周辺の光景、そして仲間や大人達の顔の表情や身ぶり手ぶりが甦って来ます。

 しかし、実は「」そのものは「新年の季語」ではなく、「春の季語」となっています。「独楽」や「羽子板・羽根つき」それに「手毬・毬つき」が「新年の季語」になっているだけに、個人的にはちょっと残念な気が致します。

 ところで「独楽」に関しては、特に「正月」だからといって遊んだ記憶はありません。それは、一時期、日常的に遊んでいたからでしょうか。

 一方、女の子達の「羽根つき」や「手毬つき」……。遊んでいた女の子の顔立ちや声の弾みなども、案外記憶に残っています。私と同世代の方々は、みなさん同じではないでしょうか。

 

  羽子板の重きが嬉し突かで立つ  長谷川 かな女

 この句は、小学一年生の頃の私の実体験でもあるのです。もちろん正月であり、着物姿の三人姉妹でした。上は、確か小学4年か5年生だったと思います。真中が私より一つ上、そして下の子は五つくらいではなかったでしょうか。

 三人が手にしていたのは、大きくて分厚い、いわゆる「役者絵」と言われる少し派手なものでした。幾重もの布地の工作が施された、とても豪華な、そして重たそうな「羽子板」でした。「飾り羽子板」であり、実際に「羽根つき」をするものではありません。 

 淑やかな仕草の「上のお姉さん」が、急に〝大人びて見えた〟のがとても印象的でした。下二人も可愛らしく見えたものの、今思えばお姉さんの〝引き立て役〟というところでしょうか。しばらくして着替えに戻ったこの二人は、ふだんの感じで遊んでいたようです。

 この句の「重きが嬉し」に全てが言い尽されていますね。

 関連句として、

  羽子板や唯にめでたきうらおもて    服部 嵐雪

  音冴えて羽根の羽白し松の風       泉 鏡花

  羽子板や子はまぼろしのすみだ川   水原 秋櫻子

               ★

 女の子達の「手毬つき」も、その「唄声」とともに記憶しています。といっても「唄の内容」は、全く憶えてはいませんが。

  手毬唄かなしきことをうつくしく   高浜 虚子

 この句も、正月の句としてはかなり有名な作品です。

 手毬と言えば、女の子が一人寂しく……という記憶はあまりありません。やはり、何人かがあれこれおしゃべりをしながら……あるいは、手毬唄を唄いながらというのが風情も臨場感もあっていいのでしょう。

   手毬つく髪ふさふさと動きけり    山口 波津女

 この句も次の句も、私個人の実景でもあります。「髪ふさふさと動きけり」に、元気溌剌とした少女達が、正月の淑気の中で……。

  姉のつく手毬妹(いもと)の手毬唄      野村 久雄

 住宅街の道路ことに表通りから少し引っ込んだ「路地」など、ごくまれにリヤカーを見かけることはあっても、車が通ることなど皆無と言ってよい時代でした。そこで女の子達が「手毬」をつくとなれば、そのかしましい声や弾んだ様子は、確たる風景となって路地に刻み込まれたのでしょう。

 しかもそれが〝正月の一こま〟となればなおのこと……。いつしか、ご近所間の年始の〝ささやかな挨拶のきっかけ〟となったのは確かです。そしてそのあと、ごく自然に他の子供や大人達が顔を出し、また笑みを浮かべながらそそくさと通り過ぎて行きました。

 それでも時折、近所のおばあさんや大きなお姉さんが、女の子達に交じって「手毬唄」を口ずさんだり、手毬を突いたり……。その様子に気づいた女子の中・高生もが、その輪に加わって来ました……。

 正月ならではの、そして〝あの時代〟ならではの風景だったのでしょうか。

                ★

  締めは「独楽の句」といたしましょう。どうぞ。各位それぞれのご鑑賞を……。

  たとふれば独楽のはじける如くなり    高浜 虚子

  はし汚れたる新しき独楽の紐        後藤 夜半

  手のくぼに重さうしなひ独楽まはる    篠原 梵

  独楽舐(ねぶ)鉄輪の匂ひわれも知る  橋本  多佳子 

  一片の雲ときそえる独楽の澄み       木下 夕爾

  おのが影ふりはなさんとあばれ独楽  上村 占魚

  独楽うつやなかに見知らぬ子がひとり  村上 しゅら

  ふところに勝独楽のあり畔をとぶ     神蔵 器

 ※4句目の「鉄輪」:かなわ。 この独楽は、独楽の「胴」の周囲に「鉄の輪」がはめられているものです。そのため、回っているときに独楽同士が接触した場合、「鉄輪(かなわ)」同士が〝こすれあい〟、その結果〝こすれあう鉄の匂い〟がしたと言う次第です。「(ねぶ)る」は「なめる」と同義。ここでは接触した「独楽」同士が〝こすれあう〟ことを物語っています。

    (完) 2021年1月5日 午前11時52分 花雅美 秀理

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  メールアドレス sunlight_moonriver@yahoo.co.jp

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長谷川かな女 (はせがわ かなじょ)/明治20(1887.10.22)~昭和44(1969.9.22)。高浜虚子主宰の俳誌「ホトトギス」において、杉田久女竹下しずの女等とともに、大正期を代表する女流俳人となる。俳人の長谷川零余子(はせがわ れいよし)は夫。

佐々木有風/明治24(1891.4.12)~昭和34(1959.4.13)。新潟県新発田市生。東大法卒。昭和2「雲母」に拠り、飯田蛇笏に師事。昭和28「雲」を主宰する。

後藤夜半(ごとう やはん)/明治28(1895.1.30)~昭和51(1976.8.29)。大阪市出身。大正12より「ホトトギス」入会、高浜虚子に師事する。同誌の日野草城、山口誓子、阿波野清畝等と「無名会」を結成。昭和7に「蘆火」を創刊主宰するも病気のため廃刊。 昭和23「花鳥集」創刊主宰、28より「諷詠」と改称。

 なお喜多流の能楽師で人間国宝の後藤得三、喜多流十五世宗家の喜多実はともに実弟。また後藤比奈夫(ごとうひなお)は子息。 

西東三鬼(さいとう さんき)/明治33(1900.5.15)~昭和37(1962.4.1)。岡山県出身。現・日本歯科大学卒。歯科医。1933三谷昭らが創刊した日野草城選「走馬燈」に投句、翌年、同人となる。「馬酔木」「天の川」「旗艦」「天香」に拠り、伝統俳句から距離を置いた「新興俳句運動」の中心人物の一人として活躍。戦後は「現代俳句協会」の設立に参与。「激狼」「雷光」「断崖」を主宰。

山口波津女(やまぐちはつじょ)/明治39(1906.10.25)~昭和60(1985.6.17)。大阪市北区中之島生。父親が俳句をしていたこともあって、自宅に高浜虚子、村上鬼城が来泊。昭和2、山口誓子に俳句の指導を受け、翌年、誓子と結婚。「ホトトギス」「馬酔木」の同人を経て1948年、誓子主宰の「天狼」創刊と同時に同人となる。

村沢夏風(むらさわ かふう)/大正7(1918.11.14)~平成12(2000.11.29)。東京都出身。保善商業校卒。1942「鶴」に入会し、石田破郷(いしだ はきょう)に師事。1987に村山古郷(むらやま こきょう)没後の「嵯峨野」を継承し主宰となる。

野澤節子(のざわ せつこ)/大正9(1920.3.23)~平成7(1995.4.9)。横浜市生。フェリス女学校二年在学中に脊椎カリエスを病み中退。病臥の身で哲学書等を乱読する中、松尾芭蕉の「芭蕉七部集」と出会って俳句との縁を得、大野林火の「現代の俳句」に感動。臼田亜浪の「石楠(しゃくなげ)」に入会したのち、林火の「濱(はま)」創刊とともに参加、師事。翌年、同人となる。

    女の手年の始めの火を使ふ           野澤 節子

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 参考

※注①: 私が小学生の頃、福岡市東区の一部では、基本的に「餅つき」は〝各家庭〟若しくは〝数軒共同〟というスタイルで行っていたようです。とはいえ、「石臼に杵(きね)」それに「もち米」を噴かす「蒸籠(せいろう)」等はどの家庭にあるものではなく、大半の家庭が特定のお宅や農家などから一式を借り受けていました。

 また当時は専門の「餅つき代行屋」も存在し、大きな特製のリヤカーに、「小型の釜戸、石臼、杵、蒸籠など」を積み込んでいました。今でも当時の事はよく憶えています。

※注②: 「合本俳句歳時記」では、「元日又は二日の夜見る夢」/「現代俳句歳時記」では「元日から二日に見る夢」/「ホトトギス俳句季題便覧」では「二日の夜から三日の朝にかけてみる夢」としています。

※参考資料(追加)

「上・中巻」に追加:「入門歳時記」(大野林火監修・俳句文学館編/角川書店)。

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