『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・哀しき逡巡/『日本の美しい女』(文藝春秋)の系譜:(中)

2014年08月18日 00時40分24秒 | ■人物小論

 

 筆者が選ぶ「昭和の麗しき女優ベスト10」

   「抵抗作戦」とは、“すぐにレジには行かないこと” すなわち “慌てて本を購入しないこと”  だった。 筆者とて “恥じらい多き” 団塊世代――。それ相応の「手順」、いや「儀式」が必要なのだ。

   はやる心を抑えながら、ようやく本の表紙を捲った。最初のページは書名が入った「扉」であり、次に「目次」が続いている。その「目次」に眼をやったとき、何人かの女性……いや、明らかに「女優」の名前が眼に入った。一番初めは、間違いなく〈浅丘ルリ子〉とあった。その瞬間あることが “閃き”、 反射的に本を閉じた。

    そして、まるで何事もなかったかのように「本」を「新刊案内コーナー」に戻した。あくまでも自然体であり、未練を感じさせることなく、さりげなくその場を離れた。……離れながらも、“10人の女優を想い浮かべてみよう。もし、その10人中2人が欠けていれば、本の購入を控えよう” ……という “秘かな決意” も、“瞬間的な閃き” とともに湧きおこっていた。

    しかし、“ほんとに10人中2人が欠けていた場合は……購入しない=買えない” ということになるわけだが……その“苦悶に耐えきれるだろうか” ……という不安も消えなかった。“そのときはそのときで……” と自らを騙しながら、自分なりに「昭和という時代を担った10人の麗しき女優」を “頭の中” にリストアップし始めた。

    だが “頭の中” はそうであっても、そのことを容易に察知されないよう、“視線” は眼の前の月刊誌や週刊誌に向けられていた。誰があのとき、そう言う筆者の繊細かつ大胆な思惑や脳内活動を判読しえただろうか……。その周到な配慮と、寸分の狂いも迷いもない完璧さ……。自ら讃えたいと思ったほどだ。

      ☆

    「麗しき女優」の名前は、すぐに出て来た。〈岸恵子〉に始まり、〈八千草薫、有馬稲子、高峰秀子、香川京子、そして大原麗子〉の「6人」が揃った。彼女達が “66人の中に入っていない” など、露ほども考えられなかった。彼女達の出演した映画やテレビドラマの名シーンが、次々と脳裏を過(よぎ)る。そして少休止のあと、7番目に〈岩下志麻〉が浮かび、さらに昭和20年生まれトリオとも言うべき〈吉永小百合、藤(冨士)純子、栗原小巻〉と続いた。

   ここで、読者に念を押しておきたい。筆者がリストアップした「10人の麗しき女優」は、筆者 の個人的好みからだけのものでは決してない。筆者はあくまでも、《昭和という時代を代表するに相応しい眩(まばゆ)いばかりのミューズ(女神たち)》という、「文藝春秋」が掲げた《テーマ》に従い、その編集スタッフの気持ちを代行しつつ、客観的かつ沈着な判断を試みようとしていたのだ。

    そのためだろうか。リストアップしながら、筆者は次第に “強気” になり始めていた。“この10人の麗しき女優の誰か一人でも、『日本の美しい女』に欠けることがあるとしたら、その責任は、明らかにいや絶対に筆者ではなく、「文藝春秋」社にある。担当編集スタッフの感性こそ問われてしかるべきである……” そう確信するに到った。

    何はともあれ、10人のリストアップは完了した。肝心なことは “これから” だった。筆者はいっそう慎重に、しかし、さりげなくあたりを窺った。気がついたとき、筆者はいつしか、「文庫本コーナー」の前にいた。「新刊案内コーナー」から20m近く離れていたが、「肝心な場所」の見通しはよかった。

    筆者は、あくまでも静かに自然に、しかし、やや大胆に「新刊案内コーナー」へと歩み寄り始めた。そこに到達すれば、あとは “ひと呼吸 ”、いや “ふた呼吸” おいて『日本の美しい女性』をさりげなく手に取り、レジへと向かえばよかった。

   ……と、思い描いたまさにその時だった。書店のドアを一人の男が荒々しく開き、勢いよく入って来た。“入って来た” と言うより、“転がり込んで来た” と言うべきかもしれない。筆者が、その男の人相風体を確認しようとして「新刊案内コーナー」への歩みを止めた “その瞬間”、男は何やら言葉を発した。そして、「コーナー」に立てかけてあった『日本の美しい女』を1冊無造作に掴み取ると、何ら逡巡することなくレジへと向かい、すぐさま財布からピン札の1万円を出していた。

   筆者は、眼前で起きた五十代半ばと思われる男の “流れるような” ……いや違う……まるで “一気に何かを押し流すような” “一連の動作” を、何かに魅入られたかの如く、ただただ黙って見ているしかなかった。“間髪を入れず” とは、まさにこのことを言うのであろう。全身が “金縛り” にでも遭ったかのように硬直し、『日本の美しい女』を買うことを失念したかのように、その場に立ち尽くしていた。……というより、購入するという意欲をすっかり殺(そ)がれていたのだ。 嗚呼! To be continued

 



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