『F』
作:宮森さつき 演出:浜地泰造
「あっち側」の男性型アンドロイドと「こっち側」の少女。
思い出は、ささやかでいい。
これは、棄てられた世界で生きる女とアンドロイドが、季節をたどる物語。
〈日時〉 7月14日(土)・15日(日) 両日とも 13時~/18時~
〈料金〉 前売り500円 当日700円
090-1196-7569 酒井
〈公式FBページ〉 http://www.facebook.com/playunitkagikakko
【21】 “棄てられた”ポーラの“こころのうち”!
【16】 男の友情
次のシーンでは、ザックが“ペナルティ”として階段の上がり口を磨いています。そこへペリマン、そしてその後にシドが通りかかります。
【12】 2回目のデートと「アクシデント」
ザックとポーラ、シドとリネットたちの2回目の「デートの夕べ」がやってきます。
地元の「パブ」でポーラとリネットを待つザックとシド。もちろん二人は「軍人」の格好です。地元青年の思い思いの私服に比べ、「軍服」に「制帽」スタイルはそれだけで際立ち、また魅力的に映っています。
その青年たちは、一応「ビリヤード」を楽しんでいるようです。しかし、“心ここにあらず”なのでしょう。彼等の関心はザックとシド、そして彼らのガールフレンドとしてやってくるポーラとリネットにあるのです。地元青年には、地元女性の「憧れの的(まと)」である「士官候補生」が妬ましいに違いありません。
【9】 「訓練」と4人の「出逢い」
【6】 “しごき軍曹”の片鱗
【2】続・父と息子(父バイロンの部屋)
【1】父と息子(父バイロンの部屋)―ワシントン州シアトル ●ファーストシーン
☆☆……映画が始まり、薄暗い部屋(父親・バイロンの部屋)の窓辺だけが見える。画面に製作・配給会社、プロダクション、製作者などのクレジット(名称)が順次流れ、その後、「シアトル、ワシントン州」と出る。主人公の「青年ザック」が右手から登場し、薄地のカーテンを開ける。
ザックは半分下がったロールスクリーンを上げるかと思いきや逆に下げる。ただでさえ薄暗い部屋がいっそう薄暗くなる。そのため、窓辺以外はほとんど見えない。ザックは右下の暗みに視線をやり、緩慢な動作で身体を正面に向ける。
※この映画についての感想などお寄せください。
このシリーズの「中」(2011.10.10)をアップした翌日、私と同年代の知人より面白いものを紹介してもらいました。
それは≪米映画協会(AFI)が選んだ米国映画ベスト100≫と≪米国Yahoo編集者が選ぶ世界の映画ベスト100≫という、2つの大変興味深いランキングでした。
「前者」は、同協会所属の1500人からなる監督、脚本家、俳優、編集者、批評家が、歴代の「米国映画ベスト100」を選び出したものです。映画関係者による選出と言う点に特徴がありますが、映画関係者として『作ってみたい・演じてみたい』映画と言うことでしょう。
「後者」は、映画好きが多いと言われる「米国Yahooの編集者達」によるものです。米国映画に限定することなく、「世界の映画史上に残る名作」を発表しています。
興味深いのは、今世紀の作品でランクインしたのが、「ロード・オブ・ザ・リング」たった1本という点です。今世紀に入って、どれだけの映画が作られたでしょうか。その膨大な数の中から、たった1本しかランクインしなかったという事実は何を物語るでしょうか。
この十余年、「映画」(国内外とも)は数えるほどしか観ていません。あまりにも「脚本」がつまらないからです。満足なストーリーもないまま、やたら「特殊撮影」や「CG」を駆使しています。ゆっくり味わったり、深く考える余地を与えない物語の進行には疲れます。
何よりも、意味のないアクションや台詞が多すぎるのです。しかし、最大の罪は、「映画」を「投資ビジネス」としか考えない「映画商人」達が、映画「製作」の実権を握ったからでしょう。
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さて前回ご紹介したように、私が「10回以上観た作品」は、『第三の男』、『カサブランカ』、『七人の侍』、『東京物語』そして『ローマの休日』の5作品です。
おそらく今後は、これらに『道』をはじめ、『アラビアのロレンス』、『シンドラーのリスト』、『羅生門』などが加わることになるでしょう。
実は前回の「5回以上10回まで」の作品として、『十二人の怒れる男』が抜けていました。ヘンリー・フォンダ主演のこの映画は、実父を殺したとされる少年について、陪審員に選ばれた「十二人の男たち」が「評決」を下す物語です。その「評決」までのプロセスを、「心理劇」タッチのサスペンスに仕上げています。日本の「裁判員制度」を意識して観ると、いっそう興味が増すのかもしれません。
この作品も将来、冒頭に述べた「10回以上観た作品」の中に入るでしょう。
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ともあれ、近い将来(いつという断定はできませんが)、『10回でも20回でも観たくなる映画』の代表として、『ローマの休日』を採りあげてみたいと想います。
と言うのも、私はこの映画こそが「映画」の醍醐味を堪能できる最高の作品であり、また「映画」というものを学ぶ上において、もっとも適した「教材」ではないかと想っているからです。すなわち、この「映画」を『お茶目な王女様』の単なる『お忍びの休日』と捉えて欲しくはないと想います。この作品には、深い、そして重大な「メッセージ」が潜んでいることが判ります。
しかも、それらの「メッセージ」は見事な“伏線”によって巧みに覆われ、また絶妙なタイミングで小出しされています。何でもない「カット」や「シーン」において。何気ない「台詞」や「表情」や「背景」それに「小物」等によって……。
それは、汲めども尽きない映画の魅力であり、結局、映画が描きだそうとしている“人間そのものの魅力”ということでしょうか。それらを“さりげなく”伝えようとしているところに、10回、20回と観ても飽きない、そして尽きない感動があるのです。言うまでもなくその総ての功績は「脚本」にあります。いえ、「脚本」にしかないのです。
――は~い。もう時間が来てしまいましたね。
では、またお会いしましょう。
それでは……サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。(完)
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≪米国Yahoo編集者が選ぶ世界の映画ベスト100(死ぬまでに観たい映画100)≫