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『感性創房』kansei-souboh

《修活》は脱TVによる読書を中心に、音楽・映画・SPEECH等動画、ラジオ、囲碁を少々:花雅美秀理 2020.4.7

・『愛と青春の旅立ち』-13/リネットにプロポーズするシド

2012年07月05日 20時36分14秒 | ◆映画を読み解く
 
 【26】 高度訓練「不適性」により「DOR」をするシド
 
 ……「高度3万フィート(約9,000m)」想定の減圧訓練室。その中にザックシドシーガーたちの姿が見える。
 
       ☆
 
 戦闘機搭乗時には「酸素マスク」を付けるのですが、ここではそのマスクを外し、酸素欠乏による目まい、息切れ、閉所恐怖などを体感させるのでしょう。そういう徴候を感じたら、直ちに「酸素マスク」を着用して酸素を補給するという訓練です。
 
 のみならず、低酸素での「パイロット適性」のチェックという狙いもあるのかもしれません。結果としてシドは「不適性」となり、自ら「DOR」(自主退学)を申請します。あとわずか1週間で「訓練修了」でした。
 
       ☆
 
 ところが、この「DOR」をフォーリー教官による圧力と考えたザックは、それを「撤回」させようと「やっき」になります。そのアピール方法に、激高しやすいザックの一面が出ています。上官でもあるフォーリー教官に無礼な態度をとるわけですが、言葉遣いはひどいですね。
 
 しかし、ザックとフォーリー教官との間には、「シゴキともいえるあのペナルティ訓練」以降、不思議な「連帯感」が感じられます。「連帯感」というより、「できの悪い無礼な息子」を「好きなようにさせている父親」というところでしょうか。
 ザックも甘えているわけではないのでしょうが、「実の父親と息子」にしか判らないような「特異な馴れ」を感じさせます。
 
 まるで「実父バイロン」に甘えられなかった部分を、フォーリー上官に求めているような気がしないでもありません。無論、両者ともそのような意識はないのでしょうが。
 ともあれザックの一番の親友は、「パイロット(海軍士官)」への道を自らの手で閉ざしたのです
 
 
 【27】 リネットへのシドのプロポーズ
  
 ……タクシーに乗ったシドが、リネットの家にやってくる――。
 
       ☆
 
 彼はリネットに「指輪」を渡すため、つまりは「プロポーズ」をするための訪問です。リネットのことで思い悩んでいたシドが、「DOR」(自主退学)によって導き出した結論でしょう。
 
 久しぶりに見せるシドの明るい笑顔。“吹っ切れた”表情をしていますね。
 リネットは、シドが士官候補生の軍服姿ではないことに気づきますが、シドは無視したように上着のポケットから、「指輪」の入ったケースを取り出します。
 
 海兵隊の「パイロット」にこだわっていないシドと、あくまでも「パイロット(士官)」との結婚にこだわり続けるリネット。その違いが表れる場面です。
  
 指輪を渡されたリネットは、「パイロットとの結婚」という夢が、今まさに実現しようとしている感激と興奮を抑えることができません。
 
 シドは、すぐにでも判事の所に行って「婚姻の手続き」をしようとするのですが、ひとりはしゃいでいるリネットは、最初の赴任地にハワイを希望するなど、興奮冷めやらぬ状態です。
 
 しかし、その興奮も――、
 
 ――DORしたんだ。
 
 というシドの「ひと言」で吹き飛んでしまいます。何が起きたか信じられないといったリネットの表情。シドは再度「DOR」という言葉を口にするとともに、さらに追い討ちをかけるかのように言葉を続けます。
 
 ――パイロットには向かない。自分をごまかしてた。
 
 信じがたい表情のまま、リネットは聞き返します。
 
 ――じゃ、どうするの?
 
 シドはオクラホマへ戻り、そこで以前勤めていたデパートの仕事をする旨を伝えます。それに加え、母親が喜んでくれることや、お金がないため当分は親と同居することなども。
 
 失望と落胆の表情のリネット。無理もありません。パイロットの妻の夢も、海外赴任地での生活も、夢のまた夢と消えたのですから。
 意を決したように、リネットは口を開きます。
 
 
 ――シド。赤ん坊は間違いよ。
 
 つまりは「妊娠」していなかったことを明かしたものですが、言うまでもなく「妊娠」は、シドに対するリネットの「罠」だったのです。
 
 『何てこった』と言ったきり、すぐには言葉も出ないシド。大きな衝撃を受けたのは当然でしょう。
 
 それでもシドは、リネットから告げられた言葉の意味を確かめながら、これから先の「あるべき自分自身」を導き出そうとしているようです。そして、出した「結論」は――、
 
 ――とにかく結婚だ。君を愛している。いまそれがはっきり判った。ここにきて初めて幸せを知った。素直になり、君はありのままの僕を愛してくれた。僕の妻に、僕を世界一の幸せ者に……。
 
 シドは、左手の薬指に「指輪」をはめたリネットの手を握り締め、あらためてプロポーズの言葉を伝えます。
 
 しかし、シドの「プロポーズ」を受け入れることができないリネット。「断わりの言葉」を述べながら指輪を返し、はっきりと告げるのです。
 
 ――わたしはパイロットと結婚して外国へ行きたいの。パイロットエイビエイター)の妻に……
 
 リネットはそう告げた後、『あんたは馬鹿よ。大馬鹿よ。12週目にDORするなんて。大馬鹿よ』と言葉を浴びせます。そしてシドに背を向け、叩きつけるようにドアを激しく閉めて家の中に入ってしまうのです。
 
       ☆
 
 落胆と哀しみに打ちひがれたシド
 リネットを妊娠させたかもしれないと、「その事実に責任をもって立ち向かおうとしていた」シド。兄の身代わりとしての「パイロットの任務」と「戦死した兄の恋人との結婚」という二つを否定した上で、リネットとの結婚を選択したのですが……。
 
 素直に自分を振り返り、自分らしいと思って下したシドの結論……。
 
 それが「そうでない」としたら。「これしかない」との究極の選択が「否定された」としたら。シドは、これから先“どのように生きて行く”べきでしょうか……。(続く)
 
 
      ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 
 
 ――演劇案内     !!! 「夜の部」は両日とも「売り切れ」のようです。
 
   元 集団あしゃしゃ 浜地泰造 × 九州大学演劇部 酒井絵莉子
 
   演劇ユニット  「 」(かぎかっこ)  旗揚げ公演決定!!
 
      ◇

  『F』
        作:宮森さつき  演出:浜地泰造
 
      ◇

   「あっち側」の男性型アンドロイドと「こっち側」の少女。
   交わるはずのない世界にいきる一人と一体。
   そんな彼らが出会いふれあい語り合い、
   見つけた喜びは片手に収まる程度のものだった。
   思い出は、ささやかでいい。
   これは、棄てられた世界で生きる女とアンドロイドが、季節をたどる物語。

 〈日時〉 7月14日(土)・15日(日) 両日とも 13時~/18時~ 
 
 〈場所〉 エンジョイスペース大名
         (福岡市中央区大名1丁目14-20)
        ・地下鉄:空港線「天神駅」下車、徒歩10分
        ・西鉄バス:「西鉄グランドホテル前」バス停下車、徒歩7分
              「今泉一丁目」バス停下車、徒歩5分

 〈料金〉 前売り500円  当日700円
 
 〈ご予約・お問い合わせ〉erikoro4416@yahoo.co.jp
                  090-1196-7569 酒井
 〈公式FBページ〉  http://www.facebook.com/playunitkagikakko

・『愛と青春の旅立ち』-12/親友シドの苦悩

2012年06月24日 17時18分05秒 | ◆映画を読み解く
 
【23】 シドの子?! ――リネットの“罠”?!
 
 「モーテル」にいるシドとリネット。リネットだけが帰り支度をしている――。
 
 シドはリネットが妊娠しているかどうか、かなり“気にして”います。しかし、リネットにはそのような様子はみられません。仮に「妊娠」していても、それは『私の責任だから』と、意に介さない態度をとるようです。
 
 無論それは、「駆け引き」のためのポーズにすぎないのですが、シドが“本気で”心配していることがよく判ります。
 リネットはさらに――、
 
 『たとえ妊娠しても、(あなたに)迷惑はかけないわ』
 それに対してシドは、『簡単に片付けるわけには行かない』といい、『父親にも責任があり、もし妊娠させたのなら、中絶の費用を払う』と、シドらしい責任と誠意を見せます。のみならず、中絶の際には『君のそばに付き添い、君と一緒に苦しみを味わう』とまで言うのです。
 
 しかし、リネットが“そのようなこと”で満足するはずはありません。納得や了解の態度が見られないのは当然です。
 『(妊娠しているかどうか)もう少し様子をみるわ』とだけ言い残して、そそくさと去っていきます。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 シドとリネットに関し、「重要なポイント」をここで整理しておきましょう。次の3点です。
 
 1.ザックがポーラを“棄てたこと”を、二人は知っている。
 
 2.リネットの最終目標は、「パイロットの妻」になること。そのために、シドと“付き合って”いる。 
 
 3.上記2の「目標達成」のためには、まず「妊娠する」ことが不可欠と思っている。
 
 「妊娠」を、「結婚」へ導くための《(わな)》と考えているリネット。彼女にとって、その「罠」を否定したポーラが棄てられたのは“やむなし”と思っているのでしょう。それだけに、いっそう慎重に推移を見極めようとしているのかもしれません
 
 しかし、先ほどのシドの言葉からも判るように、「妊娠という事実」は絶対的な「切り札」すなわち「結婚を約束」するものではないということです。
 
 このことを確認したリネットは、ショックだったと思います。腑に落ちない様子をみせ、やや不機嫌な表情のままモーテルを跡にしたのは、おそらくそのためでしょう。
 何といっても、もう「時間」はありません。シドの訓練期間は、残り2週間ほどになっているのです。
 
 
 
【24】 「タイムトライアル訓練」でシーガーを助けるザック
 
 ザックの「新記録」樹立がかかったタイムトライアルの訓練――。
 
 ザックは板壁を上ることができないシーガーを助けます。その結果、「新記録達成」を放棄することになるのですが、自分のことしか考えることのなかったザックの新たな一面を示したシーンです。
 
 クラスのみんなが、シーガーと彼女を助けたザックを囲んで喜んでいます。しかし、その輪の中にシドの姿はありません。彼はみんなから離れた所で独り寂しそうに佇んでいます。言うまでもなく、リネットのことで悩んでいるのです。正確に言えば、妊娠させたかもしれないという事実を前に、その「対応」についての「悩み」なのです。
 
 その後姿に何ともいえない困惑の影が滲み出ています。同時に、その「後姿」を見守っているザックの表情にも、不安と混迷とが感じられるようです。
 
 
【25】 リネットの「妊娠?!」に責任を感じるシド
 
 基地の食堂にいるザックとシド。トレイにメニューの食事を載せながら、リネットの「妊娠問題」について話をしている――。
 
 どうやらリネットは妊娠したようです。
 堕胎を勧めるザック。しかし、リネットがカトリックなので堕せないというシド。『結婚する気か』と問うザックに対し、リネット一人で生ませるわけにはいかないというシド。それに対してザックは――、
 
 ――それが何だ。
 ――よくそんなことが言えるな。俺の子だぞ。
 ――確かか?
 ――確かだ。
 
 と、憤然と答えるシド。ザックは謝罪の言葉を述べながらも、リネットが『わざと妊娠したとしたら?』と突き放した言い方をしています。
 
 ――同じことだ。僕の子供が生を受ける。僕は会うこともないんだ。
 ――馬鹿な。何もかもおまえの責任か。
 
       
 
 食堂のテーブルに着いた後も二人の会話は続きます。
 
 シドにしてみれば、簡単に「堕せ」といったり、「妊娠させた女性への配慮に欠ける」ザックのことが容認できないのです。
 
 ――責任を自覚するのが人間だ。そこが動物と違う。おまえみたいに自分だけ安眠はできない。
 
 つい、そう強調せざるを得なかったのでしょう。
 
 だが、ザックはザックで独自の「論理」と「倫理」とがあるのです。
 
 ――責任なら、まず自分への責任をとれ。妊娠した女はそれからだ。
 
       ☆
 
 この二人の様子を見ていたフォーリー教官。この意味は非常に大きなものです。
 
 それにしても、シドに厳しく告げたザックの最後の言葉。この言葉こそ、軍隊における「一兵士としてのあり方」を問うきわめて重要な言葉です。
 
 ザックが告げた自分」という部分は、フォーリー教官なら「国家」や「軍隊」に置き換えたことでしょう。そういうニュアンスを感じさせるフォーリー教官の姿であり、ザックとシドの会話でした。
 
 そして、次にシドにとっての“運命の訓練”がやってくるのです。
 
 だがこの訓練の結果は、単にシド一人だけのものではなく、ザックにとっても、シドの恋人リネットにとっても、そしてザックの恋人ポーラにとっても、人生を左右するほどの問題へと発展していくのです。 (続く
 
 

・『愛と青春の旅立ち』-11/棄てられた?! ポーラ?

2012年06月20日 18時21分02秒 | ◆映画を読み解く

 

 【21】 “棄てられた”ポーラの“こころのうち”!

  『T.J』という基地ご用達のような「パブ」に、ザックペリマンデラ・セラ、そして女性士官候補生のシーガーがいます。カウンター席にいる4人は、無事に「サバイバル訓練」を乗り越えた祝杯をあげているところです。
 
 店の奥に眼をやったデラ・セラが、「男性」とビリヤードに興じているポーラを見つけます。ポーラはこの男性から頬や首筋に軽い愛撫を受けますが、ザックはその様子をデラ・セラとともに目撃します。
 
 男性が「飛行教官」であり、『あてつけ』と断言してはばからないデラ・セラ。そういう“雰囲気”がないとは言えません。
 しかし、決して露骨なものではなく、ポーラの慎みと品位は保たれています。ザックに“棄てられて”からさほど日数は経っていません。長い髪を解き、赤いドレスに身を包んだ姿は魅力的です。否応なく男性の目を惹くのでしょう。
  
 どうやらザックは、ポーラのことに気持が移ってしまったようです。カウンター席から振り返ったザックの眼に、「ジュークボックス」に歩み寄るポーラの姿が映ります。
 ザックに見られていることを確信しているかのように髪をたくし上げるポーラ。ジュークボックスを覗き込んでいます。一連のポーラの仕草に、ザックはたまらくなってジュークボックスへと近づいて行くのです。
 
        ☆
  
 「物語」の進行つまり「脚本」にそうした話の展開があるわけですが、「筋の運び」はとても自然であり、素直に納得できるでしょう。ロングに退(ひ)いたカメラ越しに、飛行教官とともに小さく映るポーラ。二人の“恋人同士らしき姿“。しかもそれが「紫煙(しえん=タバコの煙)」を背景ときては……。
  
 どうも「ハリウッド映画」は、「何か事が起きる予兆」として、この「ビリヤード」と「紫煙」を巧みに使うような気がします。何かが起きる……いや、何かが起きて欲しい……。「心の変化」を刺激するのかもしれません。
 
        ☆
 
 続けましょう――。
 
 ジュークボックスを覗き込むポーラ。その機器の明かりが、ポーラの整った顔立ちや、大きく開いた肩と胸の上部を照らし、亜麻色の長い髪も、今は緩やかに流れています。ポーラはジュークボックス内の「曲目」を見ているのでしょうが、その“こころ”は、別の“ところ”にあるのでしょう。
 
 そのポーラの背後から、「つれ」の「飛行教官」を気にしながらゆっくりと近づくザック。さりげなく、しかし明確な意志としてポーラの背部にそれとなく触れたようです。
 触れられたポーラはほんのちょっと驚くものの、それが“必然”でもあるかのような受け止め方さえしています。彼女にとっては、必ず来るべき「予測どおりの再会」ということかもしれません。
 
 とてもデリケートな「シーン」ながら、背景といい、演技そしてカメラワークといい巧みであり、「映像」としても好きなシーンです。ライティングもBGMも申し分ありません。
 
 何よりも、大勢の人間がランダムにごったがえしたパブの様子が効果的です。どこの誰だか判らない「男と女」。『そんなの関係ねえ~!』 と言わんばかりの“無関心な大衆”。その中のちっぽけな“ふたり”といった感覚がいいですね。
 
 
       
 【22】 “棄てた”ザックの男の本性
 
 ザックは、初めてこの店に来たことを告げます。ところがポーラは、何度も来ているようです。ポーラにしてみれば、基地の軍人たちが集まるこの「T.J」に来れば、ザックに会えるかも知れないとの期待を抱いていたのでしょう。
 
 もちろん、そのような思惑はおくびにも出しません。女の意地といってしまえばそれまでですが、何かを期待しつつも、「はずれ」たときの哀しみや痛みを避けたいという防御本能なのかもしれません。 
 
 ――電話しなくてごめんよ。その暇もなかった。
 
 ――いいのよ。サバイバル訓練は? ……生き残ったのね。
 
 ――君の方は?
 
 ザックは、ビリヤード・コーナーにいる「飛行教官」のことを聞き出そうとしたのでしょう。それに対するポーラの答えは、ザックの真意をかわしたものであり、「給料が上がるかもしれない」という、今の二人にはどうでもよいことをポツリと語ります。
 
 ポーラは話題を変え、
 
 ――(訓練も)あと2週間ね。
 
 ――やっとやれそうな気がしてきた。 
 
 ――思い込めば実現すると言ったでしょ?
 
 ――憶えているよ。
 
 少し話の切り口が見え始め、何とか話を続けたいと思い始めたザック。ポーラの顔を正面にしながら、「飛行教官」の動きを視野に捉えようとして身体を入れ替えます。そのとき、ポーラはきっぱりと告げます。
 
 ――つれがいるの。失礼するわ。
 
       ☆
 
 言うまでもなくポーラは、自分に「つれ」がいることを、ザックも知っていると確信した上でそう言ったのです。ポーラにしてみれば、「最後の勝負」のための「カード」を切ったということかもしれません。
 仕掛けたこの「勝負」に対して、ザックがどのような「カード」で応じるのか。最終判断をザックに委ねたというところでしょうか。
 
 このポーラの言葉に、ザックは急に真剣な眼差しを見せます。彼は、彼なりの「勝負のカード」を今から切ろうとしているのです。
 
 ――君に……
 
 そう言い始めたザックは、言葉を詰まらせながらポーラの顔を見つめ、また眼を閉じます。しかし、言葉が続きません。
 
 ――君に礼を言いたい。
 
 やっとそう言葉をつないだものの、「本当に言いたかった言葉」を“のみ込んだ”のです。 
 
 ――君を心のよりどころにして、ここまで来られた。
 
 この言葉に嘘はないでしょう。ポーラは応えます。
 
 ――いいのよ。楽しかったわ。ペンサコラ(※ザックの最初の赴任地)でも頑張って。いよいよジェットね。
 
 ポーラの言葉は心の底からのものでしょう。ザックにはその誠意と真実さがよくわかるだけに辛いのです。言葉の後の沈黙――。
 
 ――じゃあね。
 
 そういって「つれ」の所に戻り始めるポーラ。“大きな落胆”が襲っていたに違いありません。
 その彼女を待ち受けていたかのような「つれ」。二人はすぐに店を出ようとしています。
 そのためザックは、“取り残された”かのような“屈辱と寂寥”を感じたに違いありません。
 
 それにしても、このジュークボックスを前にしたポーラは、この映画全体の中でも、もっとも華麗で魅惑的であり、それでいて愛らしさといじらしさ、そして切なさを醸し出しています。 
 
 それだけ“ザックの心”を揺り動かしたというわけです。実に優れた「シーン・メイク」です。
 ザックの中で何かが弾け始めます。恋愛における「男性心理」とでもいうのかもしれません。ザックにも人並みの“嫉妬心”と“独占欲”と“競争心”とが育ち始めたというのでしょうか。明らかにザックのこれまでの「女性観」や「女性に対する態度」とは異質なものです。
 
 店を出て行くポーラと、その「つれ」の飛行教官を背後で感じるザック。瓶ごと買った洋酒代をカウンターにたたきつけるように支払う姿に、彼の心境がよく表現されています。と同時に、今後の推移を予感させてもいるのです。
 
 ポーラと一緒に店を出て行く「つれ」が、ちらっとザックの方を見ているようです。「ソフトフォーカス」気味の画面のため、「観客」にはいっそう印象深いのでしょう。
 
 物語としても、大きな「転換点」を迎えています。 (続く
 

・『愛と青春の旅立ち』-10/ポーラの家族・シドの秘密

2012年06月14日 01時33分35秒 | ◆映画を読み解く
 
 【19】 ポーラ家での食事招待
 
 
 ザックがポーラの家で「食事の招待」を受けています。ポーラの家は、母親と二人の妹、それに継父の5人家族。以前お話したように、ポーラは「士官候補生」との間に生まれた子供であり、2人の妹は異父姉妹というわけです。
 
 ポーラと同じ製紙工場に勤める母親と、妹たちはザックに好意的ですが、父親の態度はそうではありません。明らかに“不信感”と“不快感”を示し、まるで睨み付けているかのようです。その視線にザックもうんざりした表情を隠すことができないほど。
 
 この父親の顔をどこかで見たと思っていたら、あの「スーパーマリオ」を少し意地悪にした「感じ」でした。ザックとポーラは、途中で切り上げるように家を出ます。
 
 ――招待したのが間違いね。
 
 というポーラ。ザックは、
 
 ――君に同情するよ。
 
 ――(父は)いつもああなのよ。慣れてるわ。
 
       ☆
 
 それから、ザックの「卒業後」についてポーラが語りかけ、
 
 ――その先は? 考えたことないの? 結婚とか子供とか?
 
 ――考えない。
 
 ザックは、「即答」します。それでも、
 
 ――君は? 
 
 ――ときどき。……家と違う家庭をつくるわ。
 
 ――どこを変える?
 
 とのザックの問いに、
 
 ――すべてを。
 
 と笑って答えるポーラ。すぐにまじめな顔になって、
 
 ――まず愛のある結婚を。
 
 ――君の両親は違うのかい?
 
 少しの会話の後、ポーラは自分の本当の父親の写真をザックに見せます。ザックは、受け取った写真を半ば驚きの表情で見つめ、
 
 ――君の親父さんも士官候補生か。
 
 ――今から22年前よ。
 
 ――(現在のポーラの継父)が睨(にら)んだわけだ。
 
 ――そういうひとなのよ。
 
 優しくポーラを抱き寄せるザック。涙ぐむポーラ。
 
       ☆
 
 ――戦争ごっこに戻るよ。
 
 そう言った後、腕組しながらバイクの所まで歩いて行く二人。仲睦まじい恋人の感じがよく出ています。
 
 ――今週中に電話してね。
 
 ――約束はできない。今週は「サバイバル訓練」だ。
 
 その言葉に、不安げな表情を見せるポーラ。
 
 ――約束なし?
 
 予想外のザックの言葉に、小さな失望と不満を抱くポーラ。そんなポーラの気持にお構いなく、バイクのエンジンをかけるザック。もう“身も心も”、最難関の「サバイバル訓練にあり」という雰囲気です。
  
 ポーラをあくまでも「一時の遊び相手」と割り切っているザック。彼にしてみれば、彼女の生い立ちや将来の想いなどどうでもよいのです。
 ザックがバイクで立ち去ろうとするとき、そういう“男の本心”が出ています。ザックの“視線の先”には、次の「サバイバル訓練」のことしかないのでしょう。
 
 去っていく後姿のザック。いっそう不安げな表情でバイクを眼で追うポーラ。もちろん、次のシーンの「伏線」となっています。 
 
      ☆   ☆   ☆ 
 
 次のシーンは製紙工場の従業員の休憩室。「電話」に出ないザックに不安を抱くポーラ。ザックは、「外出したこと」にして、「ポーラの電話」に出ないのです。バニーという同僚が言い放ちます。
 
 ――やっぱり。「サバイバル訓練」が終わるとこうなのよ。急に強気になって、女は突然ご用済み。
 
 電話口からリネットのところに戻って来たポーラに、バーニーは追い討ちをかけるように、
 
 ――電話はかからないわよ。
 
 その言葉に促されるかのように席を立ち、基地のザックに会いに行こうとするポーラ。同じ職場で働く母親は、それを止めようとポーラを追って出て行きます。
 
 母親は言います。
 
 ――行ってもムダなのよ。行かないで。お願い。
 
 そう言って涙する母親。それを見たポーラも涙し、二人は抱き合います。母親は、20数年前に「同じ体験」をしたのです。その「哀しみの証」が眼の前に居る娘ポーラであるため、母親の心の傷(いた)みは、ひとしおでしょう。
 
 
 【20】 シドの両親と、故郷のシドの恋人
 
 シドの両親とシド、それにザックの4人がレストランで食事をしています。シドの一家は軍人一家です。父親も戦死した兄も、そして祖父も立派な軍人のようです。
 
 このレストランでの話から、シドにはスーザンという女性が故郷のオクラホマに居ることが明かされます。しかもスーザンは、戦死した兄の恋人だったというのです。
 
        ☆
 
 レストランの後、外を歩くザックとシド。
 シドは卒業後、教会で身障児の奉仕活動をしているスーザンと結婚することになっているというのです。だが現実は、リネットと「男女の関係」になってしまったシド。リネットを“単なる遊び相手”と割り切れないだけに、その悩みは深そうです。
 
 ――思い切って女を切る。それが一番だ。
 
 そう断言して憚らないザックとは、かなりの「隔たり」があるのでしょう。別れ際、シドは言います。
 
 ――ポーラは、ひどく落ち込んでるそうだぜ。
 
 ――女はやっかいだ。
 
 
 その後、「T.J」という店に立ち寄るザック。シドはリネットと会わなければなりません。そのため、ザックと一緒に行くことができないのです。
 
 ザックポーラシドリネット。二組の若い男女は、危うさと不安と混迷を秘めたまま、激しく、そして哀しく揺れ動き続けるのです。(続く
 
  

・『愛と青春の旅立ち』-9/ザックとシドの友情

2012年06月10日 08時10分12秒 | ◆映画を読み解く

 

  【16】 男の友情

 次のシーンでは、ザックが“ペナルティ”として階段の上がり口を磨いています。そこへペリマン、そしてその後にシドが通りかかります。

 ザックはシドに、彼がポーラとリネットの3人で励ましてくれたことに対する礼を言っているようです
 
 そのあと、ペリマンとシドは寮の部屋に戻りますが、先に戻っていたペリマンが、後から入ってきたシドに「ある物」を見せます。それはピカピカに磨かれたベルトの真鍮の「バックル」でした。ペリマンはそれをシドに見せながら、感激と感謝の気持ちを込めて『あいつ……』とひと言。
 
 それに対してシドは、ペリマンの胸元を帽子でボディブローをするような仕草を見せます。シドは、『あいつ、いいとこあるだろう』……そう言いたいのでしょうが、もちろん言葉には出しません。「あいつ」とは「ザック」であり、彼は「磨きぬいたバックル」をペリマンにプレゼントしたというわけです。
 
 軍隊という「生死を共にするかもしれない仲間から儲けを得ようとしていたザック」。 ほんの少し前まで、ペリマンに10ドルで売りつけようとしていた「バックル」すなわち「商品」でした。
 
 ペリマンとの「やりとり」のあと、廊下の床磨きをしているザックを見守るように眺めるシド。ザックとの“友情”をあらためて心に刻み付けるような面持ちです。ペリマンとの「やりとり」のカットといい、ザックを離れた所から見守るシドのカットといい、「つなぎ」のための何でもない地味なシーンですが、実に効果的にザックとシドとペリマン3人の“男の友情”を描いています。
 
 これが女性同士であれば、“ワーワー、キャーキャー”と盛り上がるのでしょう。手を取り合ったり、肩を抱き合ったり、また駆け寄ってキスをしたりと、大変なアクションとなるのかもしれません
 
 男性同士なればこその“静かでゆったりとした“表現であり、控えめな表情や仕草が“3人の友情”を、さりげなく醸し出しています。好きなシーンの一つです。
 
 
 【17】 抑制の効いたラブシーン
 
 監督のテイラー・ハックフォードは、この映画の一つの「テーマ」として、「性の解放」を挙げています。そのため、ザックとポーラのベッドシーンは官能的なボディラインや表情が見せ場となっています。
 
 それでも抑制の効いたものであり、好意的に受け止めることができるのではないでしょうか。ポーラの大きな眼の演技(表情)が素晴らしく、ラブシーンの雰囲気を巧みに作り出しています。
 
 と同時に、ザックに対する女性としての情念や愛情といったものが、ピュアなものであることもよく伝わって来ます。
 
 二人はお互いの心情や思いを素直にぶつけながらも、存外、真剣な話をしており、決して性に溺れてはいません。その最大のポイントは、リネットとは正反対の男女交際哲学を持っているポーラでしょう。
 
 多少、将来の結婚をイメージしているとはいえ、ポーラは“今このときのザックとの愛に生きよう”としているのです。
 
 その結果、「結婚」という形に結びつけばそれでよし。そうならなければ、それはそれでまたよし。といった「割り切り方」です。恋や愛に対しては、打算や邪(よこしま)な心がないと言えるでしょう。
 
 
  
 【18】 ポーラとリネット
 
 そのポーラとリネットの気持ちや思惑が明確に示されるのが、「フェリー乗り場」のシーンであり、互いに本音を語り合っているようです。
 
 ――ポーラ。どこまで覚悟してるの? つまり妊娠するってことよ。 
   
 ――まさか。あんた?
 
 ――私もできないと思っていたけど、判らなくなったわ。本物の恋は9週間ではつかめないわ。
 
 と、リネットは現実的です。それに対してポーラは、
 
 ――だから罠にはめるの? ひと昔前の女たちがしたことだわ。
 
 ――じゃ、男はどうなの? 相変わらずその時だけ女をもてあそび、用がすめばゴミ同然。
   あんたは使い捨てされて平気? 男にもツケを払わせるべきよ。 
 
 ――そうは思わないわ。
 
 ポーラは、毅然とそう答えます。 
 
 ――私は違うわ。
 
 ポーラとリネット二人の性格や恋愛観、人間観の違いがよく表現されています。この女性二人の、「現在の交際相手」についての考え方の違いは、言うまでもなく、一人はその相手の「男性」を「死に追いやる」ことになり、他方は……。 (続く
 
       ★   ★   ★
 
 ――男性同士の友情は“静かでゆったりとしたもの”。でも女性同士の友情は、“ワーワー、キャーキャーの大変なアクションに”……ってなのかしら? 確かにそういう傾向はあるのかもしれないわ。でもだからといって、“ワーワー、キャーキャー”ってのは、ちょっと。……って言うか、実際に発せられた言葉かしら? 単なる「オノマトペ」(擬音語)? それとも雰囲気としての「擬態語」? どっちにしても“揶揄する気持ち”が含まれているような気がしてならないの。ここはもう少し冷静で穏やかに、こんなのいかが……。
 “彼女たちはあまりの感激と感動とにより、やや興奮気味に互いの気持ちや友情を強く確かめ合うかのように……” ねえ? どう? 聞いてる? ……あれっ? 眠ちゃったの?
 
   

・『愛と青春の旅立ち』-8/“行くところがない?!”ザック

2012年06月03日 15時22分14秒 | ◆映画を読み解く
 
 【14】 「しごき」はフォーリー教官の「戯れ」?!
 
 フォーリー教官による「夕暮れの砂浜」での“特別な意味を持った個人的特訓”。もちろんそれは、すでにお判りのように、ザックに「DOR」(自主退学願い)を迫るための「虐(いじ)めに」近いものです。
 
 次の「シーン」は翌日の「虐め」の続きですが、みなさんはもうお気づきでしょう。確かに同教官はザックを「しごいて」はいます。しかし、その表情やザックに投げかける言葉のどこかに、「ザックと戯れている」ようなニュアンスが感じられませんか? すなわち「本気で退学させようとは想っていない」……そんな気がしませんか?
 
 もし、彼が本気でザックを「退学」をさせるつもりであれば、彼はいつでも指導教官としての「実権」を行使できるのです。憶い出してください。訓練校入校日の集合整列の際に、彼はこう言っていました。
 
 ――ときには汚い手段を使ってでも、貴様らの無能を暴く。パイロットとして不適格な奴らだ。わかったか?
 
 「ときには汚い手段」――。実際には「こういう言い方」はしないと思いますが、映画の「伏線」として不可欠だったのでしょう。ザックとフォーリー教官との関係を考える上でも、「この一節」は重要な意味を持っています。
 
 つまりフォーリー教官は、ザックを「試している」のです。「パイロットになりたい」という気持が「どこまで本当なのか」、その真意を測ろうとしているのです。
 彼の本音は、『虐めにも似たシゴキに耐えられるようであれば、(学校に)残してやろう』。そういう意図があるのでしょう。もし「耐え切れないのであれば、所詮は「それだけの訓練生」でしかなく、「不適格者」として今度こそ“確実にDOR”をさせるだけのことです。
 
 と言っても、早合点しないでください。フォーリー教官は、ザックの「生立ち」や父親バイロン、そして母親の自殺等を“気遣って”そう考えているのではありません。あくまでも、米国海軍の「戦闘パイロット」に相応しい「人材」かどうかを“見極め”ようとしているにすぎないのです。
 
 訓練中の掛け声などにも出て来ましたね。『女子供の頭の上にナパーム弾を投下できるか』であり、そのようなMISSIONに沈着冷静に対処できるか否かということです。少なくとも、「この時点」でのフォーリー教官の真意はそうだったのでしょう。
 
 
  
 【15】 “行く所がない?!”
 
 二人の「会話」は、重大な局面に差し掛かってきます。そこで映画の進行をそのままを再現してみましょう。
 
 ――どうだ、メイヨ。馬鹿なことはやめてビールでも飲まないか。どうせ士官になれっこないんだ。
 
 ――私は士官になってみせます。
 
 ――お前のような利己主義の奴がなれると思うか? 戦場で誰がお前に命を預ける? 
    最新鋭機に乗るが早いか敵に売り渡す奴だ。
 
 ――私は祖国を愛しています。
 
 ――デタラメは空軍に言え。
 
       ☆
 
 
 ――なぜだ。なぜお前みたいな奴がシゴキに耐える?
 
 ――ジェットを……
 
 ――それだけか?
 
 ――子供の頃からの夢です。
 
 ――その性格じゃ望みない。
 
 ――私は変わりました。……本当です。
 
 ――ネコをかぶっているだけだ。申請するのだ。DORを。……申請しろ。
 
 お判りのように、ザックの返事は「当たり障りのない常識的なもの」です。無論、そのような「月並みな返事」を許すようなフォーリー教官ではありません。
 
       ☆
 
 ――言ってみろ。D・O・R。ここを出て、親父と女を買いに行け。
 
 ――ノー、サー。
 
 ――DOR!
 
 ――いやです。
 
 ――そうか、たたき出してやる。
 
 ザックはその言葉に猛然と反発して起き上がり、激しい抵抗の表情を見せます。
 その怒りは頂点に達し、
 
 ――そんなことはさせないぞ!
 
 その言葉のあまりの強さに、思わずフォーリー教官も振り返ります。
 
       ☆
 
 
 ――行く所がない。行く所がんないんだ。
 
 半べそをかいたザック。でもどこか吹っ切れた表情でフォーリー教官を見つめています。
 フォーリーはフォーリーで、“予想もしなかった”ザックの言葉を聞いたという驚きの表情です。
 
 ザックはフォーリー教官を大きな息をしながら睨み付け、
 
 ――僕には……。
 
 そう言って、ザックはひと呼吸おいて頭を抱えます。
 
 ――……何もない。
 
 フォーリーが求めていた“ザックの本心”であり、ザックが初めてフォーリに“心を開いた瞬間”です。
 
 ――判った、メイヨ。立て。
 
 立ち上がるメイヨ。その様子を見守るフォーリー教官。相互不信と緊張から解き放たれた二人が、深い絆で結ばれたように歩き始めます。
 
       ☆
 
 「場面」が変わり、海が大きく広がっています。水平線を画面上部に取り込んだため、晴天の「空の青」の下の「紺碧の海」が、いいですね。
 まさに「映画」でしかなしえない表現です。
 
 ――兵舎に帰ろう。
 
 フォーリー教官の「眼差し」には、「鬼軍曹」の面影はありません。そこには、“どのようなことがあっても息子を受け止めて行こう”とする、寛いそして深い“父親の愛”のようなものが感じられます。
 その直後、シド、ポーラ、リネットの三人が、ザックとフォーリー教官に呼びかけるように「お尻」を出したままボートで走り去って行きます。
 
 ――友達か?
 
 ――イエス、サー。
 
 樹にかかった大きな「入道雲」が、とてもよく“効いて”いますね。(続く
 
 

・『愛と青春の旅立ち』-7/ザック、自主退学の危険へ

2012年05月16日 19時10分30秒 | ◆映画を読み解く

 【12】 2回目のデートと「アクシデント」 

 ザックとポーラ、シドとリネットたちの2回目の「デートの夕べ」がやってきます。

 地元の「パブ」でポーラとリネットを待つザックとシド。もちろん二人は「軍人」の格好です。地元青年の思い思いの私服に比べ、「軍服」に「制帽」スタイルはそれだけで際立ち、また魅力的に映っています。

 その青年たちは、一応「ビリヤード」を楽しんでいるようです。しかし、“心ここにあらず”なのでしょう。彼等の関心はザックとシド、そして彼らのガールフレンドとしてやってくるポーラとリネットにあるのです。地元青年には、地元女性の「憧れの的(まと)」である「士官候補生」が妬ましいに違いありません。 

 そこへグラマラスなスタイルのポーラとリネットが、青年たちを刺激するような衣装に身を包んでやってきます。青年たちの視線と気持が彼女二人とその相手の士官候補生に向けられます。そういう青年たちを尻目に、「再会挨拶」の大胆な抱擁とキスに夢中になるザックとポーラ、そしてシドとリネット。
 
 やがて「モーテル」に行くために店を出て行こうとする4人。しかし、地元青年の一人が、ビリヤードの「キュー」(玉撞き棒)で4人を「とうせんぼ」するように語りかけます。
 
 ――戦争屋のお通りだぜ。
 
 キューで妨げられたザックが応えます。
 
 ――何だと?。
 
 ――お前ら戦争屋だろ?
 
 
 しかし、それを軽くいなして出て行く4人。店を出た4人の前に先回りした「先ほどの青年」がザックに絡み、引きとめようとしながら、
 
 ――大学出の坊やがここ数ヶ月、めかし込んでデカい面をしやがる。気にくわねえ。
 
 ザックは返します。
 
 ――落ち着けよ。ケンカはご免だ。中に戻って頭を冷やせ。
 
 そう言って彼を無視して歩きはじめようとしたとき、「先ほどの青年」が、
 
 ――つべこべ言うな。
 
 そう言って、ザックの制帽を飛ばすのです。その瞬間、ザックの「空手の一撃」と「回し蹴り」が炸裂し、青年は路上に仰向けとなって倒されてしまいます。「青年」は鼻骨を損傷させられたようです。まさにあっという間の出来事でした。
 
       ☆
 
 フィリピンでの少年時代、ザックは地元の少年グループに、「空手と回し蹴り」で倒され、お金を奪われた苦い経験がありました。そのため、「護身」として「空手を習得」したのでしょう。
 このシーンによって、ザックが辿ってきた少年時代の別の一面が想像されます。実父すら“当てに出来ない”ザック少年の、“生きていくためには何が必要か”という思いの象徴であり、彼の人生観や精神性を示す重要なシーンです。
  
       ☆
  
 この後、4人は予定通り「モーテル」に入ります。しかし、さきほどの「いざこざ」によって、「忌まわしい少年時代」を振り返えらざるをえなくなったザックの様相が一転します。ポーラをまるで娼婦のように扱い、自分の性的欲望を果たす対象だけのような口の利き方をするのです。そのことに深く傷つたポーラは、モーテルを出て行こうとします。しかし、開けようとしたそのドアをザックが抑え、ポーラを外に出さないようにします。
 やがて若い二人は情念の炎と燃え、「結ばれる一夜」を迎えます。
 
       ☆  ☆  ☆
 
 
 次のシーンは、「飛行機着水時の脱出訓練」です。訓練に失敗したザックの同室のダニエルズが、「DOR」を申請して去っていきます。というより、「申請を余儀なくされた」というべきでしょう。
 
  
 【13】 ザック、「DOR」の危機!
 
 フォーリー教官による「寮室」の点検が実施され、ザックの「サイドビジネス」が発覚します。天井裏に隠した靴などの「商品」が見つけられたのです。その結果、ザックはその場で「DOR」すなわち「自主退学」申請を指示されます。
 しかし、彼は「DOR申請」を拒否し、『私はやめません』と即答するのです。それに対してフォーリー教官は言います。
 
 ――作業着に着替えろ。週末までに気が変わる。
 
       ☆
 
 ここから「虐め(いじめ)」にも似たフォーリー教官の「マンツーマン」の「しごき」が始まります。ホースの水を浴びせられながらの「銃の捧げ(持ち上げ)」に始まり、水溜りの中での「腕立て伏せ」と続きます。
 この際、フォーリー教官はザックの顔面が水溜りに浸かるよう指示し、『DORするか?』と尋ねます。もちろんザックは拒否しますが、そのとき教官は、離れたところで「自主訓練」しているシーガー(女性候補生)を見るよう促します。彼女は腕力が弱いため、「腕立て伏せ」や綱を使っての「壁登り」が満足に出来ません。そのため、外出を返上してトレーニングをしているのです。
 
 ――いずれ落第するだろうが、見上げたもんだ。貴様とは出来が違う。
 
 吐き捨てるように言うフォーリー教官。この後、教官はちょっと驚くような行動を見せます。『ついてないな。メイヨ』と語りかけた後、明らかに泥濘状態になっている地面に腹ばいになり、腕立て伏せをしているザックの目線になって語りかけるのです。
 
 ――貴様の身上書を調べたんだ。お袋のことを知っているぞ。おやじは酒と女に浸りづめ。だからお前は他人に心を許そうとはしない。心の底に劣等感をかかえているからだ。
 
 ときおり教官の顔を見ながらも、黙って聞いているザック。ひたすら腕立て伏せを繰り返しています。だが、フォーリー教官は、ザックの腕を掴んで返事を促そうとします。
 
 ――どうだ、図星だろ。
 
 それに対して、ザックは激しくそして強く、
 
 ――違います! ノー、サー! ノー、サー!
 
        ☆
 
 この後、訓練は「夕暮れの砂浜」へと続きます。
 
 ――どうしたバテたか。だらしないぞ。お楽しみはこれからだ。続けろ。明日もまた楽しいぞ。
 
 フォーリー教官の周囲を、ふらふらになりながら銃を抱えて回るザック。
 
        ☆
 
 この「水溜りでの腕立て伏せ」と「夕暮れの砂浜」での2つの訓練シーンは、印象深い象徴的なシーンです。前者は「正味2分20秒足らず」、後者は「たった18秒」しかありません。
 この映画の上映時間は「2時間4分」ですが、両シーンは、ちょうど真ん中辺りです。製作者側としては、主人公ザックのこれまでを観客に「振り返ってもらう」とともに、今現在「彼が置かれている状況」と「DORの意味」を再確認してもらうという狙いがあるのでしょう。
 
 「前者」の「腕立て伏せ」のシーンは緊張感に溢れ、内容的にも重たいものとなっています。フォーリー教官が、ザックの「生い立ち」や「母親の自殺」、それに「一介の水兵にすぎない父親」のことを知ったからです。
 
 それに対して「後者」の「夕暮れの砂浜」は、前者の“緊張を解きほぐす”シーンです。右上の小さな灯台とその灯り、煙突付きの付属家屋……。また左下には「流木」が映っています。暮れなずむ空に、ほんのりと柔らかい明るみを点けた灯台。その灯りが回りながら点灯し続けています。心憎い映像表現であり、筆者のようなマニアを充分満足させるものです。ひとつ欲を言えば、「流木」がもう少し「本物っぽいもの」であったら……というところでしょうか。
 
  ともあれ以上「2つの訓練シーン」によって、「訓練の続き」としての「次の最重要シーン」がいっそう効果的となります。(続く
 

・『愛と青春の旅立ち』-6/ザックとポーラとの出会い

2012年05月09日 20時20分13秒 | ◆映画を読み解く

 【9】 「訓練」と4人の「出逢い」

 いよいよ訓練が始まります。ペナルティの腕立て伏せを命じられたザックシド。その前を、基地に押しかけて来たポーラリネットの二人が歩いていくシーンがあります。
 「カメラアングル」が「腕立て伏せ」をしているザックとシドの「目線」であるため、ポーラ、リネットの二人も、「膝から下」だけが映っています。そのため、二人の若い士官候補生は、女性二人の「キュートな足元」に惹かれるのです。
 
 このシーンこそ、後に「恋人同士」となる「ザックとポーラ」、「シドとリネット」が「初めて出逢う瞬間」となっています。
 
         ☆ 
  
 いよいよ本格的な「訓練」がスタート。ザックの運動能力は優れています。フィジカル面では理想的な「士官候補生」と言えるでしょう。だが“抜け目のない”彼の“サイドビジネス”は、メンタルいえスピリチュアル面での適格性に疑問を投げかけるものです。
 
  
【10】 「基地内パーティ」と初デート
 
 「訓練生」となって初めての週末がやってきました。基地内で「パーティ」が催され、「ザック・メイヨ」「シド・ウォリーそして「ポーラ・ポクリフキー」と「リネット・ポメロイ」の4人は、ルファウェル夫人の「紹介」によって正式に「出逢う」こととなります。
 
 その際の4人の「立ち位置」と「シドの選択」に注目してください。シドの前にはポーラ、ザックの前にはリネットが立っています。
 
 ところがシドが「ダンス」の相手に選んだのは、自分の「正面」に立っているポーラではなく、「斜め前」のリネットです。シドの正面のポーラは、シドが当然、自分を誘うものと思っていたようです。
 そのため、シドがリネットの手を取ったとき、ポーラが「腑に落ちない怪訝な表情」を見せています。とはいえ、それで「がっかりした」というのではなく、シドの予想外の行動に「不意をつかれて」とまどったというところでしょう。
  
 この「シーン」すなわち「シドの選択」は、その後の「ザックとポーラ」、そして「シドとリネット」という「2組の恋人」の“成り行き”を大きく左右するとともに、それぞれが背負う“人間智を超えた宿命”を暗示しています。 
 
 もしこのとき、シドが彼の正面に立っているポーラを選んでいたとしたら……。その結果、ザックとリネットというカップルが誕生していたとしたら……。彼ら4人の「愛と青春」そして「その後の人生」はどうなっていたでしょうか。
 
        ☆
 
 それにしても、その日のうちに「男女の関係」になってしまったシドとリネット。シドを誘うリネットの表情と行動に、フォーリー軍曹が注意を促した“”の気配が感じられます。
  
 一方、ザックはザックで、初めて言葉を交わすポーラに、とんでもない嘘をついています。『父親が第七艦隊の少将』であり、『カトマンズ、モスクワ、ナイロビなど、世界中の基地で暮らした』という嘘です。
 すでに明らかなように、ザックの父バイロンは「うだつのあがらない」飲んだくれの一介の水兵にすぎず、女性関係にだらしない夫そして父親として描かれています。しかも平然と嘘をつく人間であり、ザックは、まさにそのような「父親のDNA」を確実に受け継いでいるのでしょう。
 
 言うまでもなく、ザックは父親の赴任地・フィリピンにおいて、「娼館住まい」の父と6年間過ごしましたね。地元の少年たちに「カツアゲ」されるという、忌まわしい記憶とともに。
 
        ☆
 
 「ザックの嘘」は、『モスクワには米国海軍の基地はない』とのポーラの指摘によって脆くも崩されることになります。彼女は「しっかりした考え」を持っている女性です。
 本来、彼女も「基地」の「士官や士官候補生」との「結婚目当て」の地元の女性の一人なのでしょう。しかし、ポーラは「それだけの女性」ではないことが、次第に明らかになっていきます。そのあたりの様子は、リネットとの比較によって、しっかり描かれていますので、注意してご覧ください。
 
 それにしても、「ポーラ」すなわち「デブラ・ウインガー」は大きな瞳ですね。そのため「眼の表情」つまりは「眼の演技」が、とても効果的です。嘘を語るザックを、「不審と興味」の眼差しで見ているときなど、深い精神性と母性とが滲み出ています。
 ことにザックの「嘘」を指摘するとき、「いたずらっこ」を諭し示すような「眼の表情と笑み」を見せ、魅力的なシーンです。 
  
 以上の「初デート」の後、4人は急速に親密の度合いを深めていきます。
 
 
【11】 ダニエルズ「DOR」(自主退学)の意味と効果   
 
 この後、物語は「マーシャルアーツ(格闘技)」の実践訓練となります。フォーリー教官(軍曹)は、この実技訓練の対戦相手として、ザックと同室のダニエルズを指名します。
 それは明らかに彼を「潰す」ためであり、案の定、ダニエルズは一瞬のうちに教官に組み伏せられ、喉を痛めつけられます。その結果、“予想されたように”リタイア(試合放棄)を余儀なくされます。
 
 この「シーン」の意味は、訓練生に対するフォーリー教官(軍曹)の「絶対的な権力」というものです。彼は訓練生の「生殺与奪の権」を持っており、“その気”になれば、いつでも「訓練生」に「DOR」(自主退学)の申請を提出させることができるのです。前回、彼はこう言っていました。
 
 『ときには汚い手段を使ってでも、貴様らの無能を暴く。パイロットとして不適格な奴らだ。わかったか?』
 
 事実、このダニエルズは、この後の「飛行機着水時の脱出訓練」において大変な失敗を犯し、結局、「DOR」によって去っていくことになります。
 
 結論的になりますが、「ダニエルズのDOR」、というより「ダニエルズに対するフォーリー教官の対応」は、最初からはっきりしていたようです。見た目にも「ひ弱な印象」のダニエルズは、早い段階で「DOR見込み生」とされていたのでしょう。
 
 何といっても「フォーリー教官の職務」は、いかにして優れた「海軍航空隊の士官」を育てるかということにあります。「一人当たりの訓練価値」が100万ドルと言われるここでの訓練。国防そして国家経済的な見地からも、「不適格な訓練生」は、できるだけ早い段階で排除しなければならないのです。
 
 このシーンでの「ダニエルズ」に対する「フォーリー教官」のインパクトが強いため、後に出てくる「ザックのDOR危機」の意味と効果とが倍加することになります。このことは、物語の展開にとっても、重要な意味を持っています。(続く
 

・『愛と青春の旅だち』-5/しごきの鬼軍曹

2012年05月02日 20時55分04秒 | ◆映画を読み解く

【6】 “しごき軍曹”の片鱗

 ザックの所へと近づいてくるフォーリー軍曹。
 
 ―今笑ったか?
 
  そう言いながら、帽子の「ツバ」でザックの頭を突き押すような「動作」を見せるフォーリー軍曹。何でもないような「動作」ですが、巧みに計算された「演出」そして「演技」です。 
 
 
 ――(ザックに向かって)俺の顔を見るな。目玉をくりぬいてやるぞ。 
  
 軍曹は言います。『こんなナマクラ(ザック)を。海軍も落ちたもんだ』と。そう言ってザックの前を通り過ぎようとした軍曹は、ザックの左肩の「貼り物」に気づき、それを勢いよくはぎ取るのです。無論、そこには「イーグル(鷲)の刺青」があり、軍曹は吐き捨てるように言います。 
 
 ――貴様の勲章は永久にそれだけだ。マヨネーズ(ザックのこと)!
 
 ザックにとっては、「最悪」ともいえるフォーリー軍曹(訓練教官)との“出会い”です。しかし、物語的には両者の“その後”を暗示する「伏線」となっています。
 
 軍曹はこのあと、ひときわ背が低い「デラ・セラ」の前に立ち、「テキサス工科大学数学科」を優秀な成績で卒業した彼に、『DORの第一号にしてやる』という暴言を浴びせるのです。「DOR」とは「Drop on Request」(=希望退学)を意味しています。
 つまりは、途中で退学するように“かわいがってやる”という意味です。 
 
        ☆
 
 「全コース」終了までに「半数」は脱落するという訓練。軍曹は、整列している全員に向けて、
 
 ――ときには汚い手段を使ってでも、貴様らの無能を暴く。パイロットとして不適格な奴らだ。わかったか?
 
 全員『イエス、サー』と答えるのですが、軍曹は続けて、
 
 ――卒業時には、100万ドル相当の技術が身につく。その前に私の教練に耐えるのだ。
 
 「基礎訓練」は「13週間」行われます。その後、訓練生は6年間海軍に拘束されることになりますが、フォーリー軍曹も述べるように、当然、その間に「実戦出動」ということもありうるのです。
 
 ――女子供の頭上にナパームを投下できるか? 出来ぬ奴は容赦なく切る
 
 というフォーリー軍曹の言葉は、私たち「観客へ向けたメッセージ」ともなっています。「訓練教官」と「訓練生」との立場の違い。偉大な国家権力に支えられ「軍隊」という組織の一面。無駄なく端的に表現しています。
 「ナパーム」 とは「ナパーム弾」という「焼夷弾」のことであり、1,000度前後の高温で広範囲を破壊し焼き尽くすようです。
 
 
 【7】 「ポーラ、リネット」と「訓練生」
 
 次のシーンは「製紙工場」の全景、そして工場内ですね。作業従事中の「ポーラ」と「リネット」が映り、すぐに終業となります。
  後片付けも「そっちのけ」で、ポーラを促して外へ出ようとするリネット。 
 
 
       ☆   ☆   ☆
 
 
 次のシーンでは、坊主頭のデラ・セラが出てきます。軍曹が、『女の子にもてる』と言いながらその頭を撫でています。軍曹は、「航空隊のパイロット目当ての女性たち」が「週末ごとに基地に押しかけて来る」と語ります。
 
 つまり、基地周辺近くの「若い女性たち」は「パイロットとの結婚」を夢見ている」といい、その「罠(わな)」に「かからない」ようにと注意を促しているのです。
 この「」というのは、後に「非常に重大な意味」を持つことになります。
 
 ポーラやリネットが、その「女性たち」の「一人」となる可能性があることも示唆しています。後に明らかになりますが、その昔「ポーラ」の母親も基地の士官と恋仲になり、その結果、生まれたのが「ポーラ」だったのです。
 現在のポーラの父親は再婚相手であり、軍人ではありません。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 次のシーンは、「車の中」のポーラとリネット。運転するリネットの隣りで、ポーラが着替えています。無論、行く先は「海兵隊の基地」であり、訓練生や若い士官が「お目当て」です。
 
 慌てて着替え終えたポーラが車を止め、運転をリネットと交代するシーンがあります。一見、何でもないシーンなのですが、基地へ急ごうとしている「夢見る若い女性の心の弾み」が巧みに描かれています。
 
 裸足で車から降りたポーラが、右手で背中のホックか何かを止めながら左手で運転席のドアを開けようとしていますね。その姿が何とも色っぽく“いじましく”、とても“キュート”です。よくご覧ください。
 
 リネットと運転を替わったポーラが、車を発車させた直後に、後方確認のために慌てて後ろを振り返っていますね。「つなぎのシーン」であっても、決して手を抜いていません。いかに急いでいるかを、さらりとリアルに“コミカル”に表現しています。
 個人的には、こういうシーンが大好きです。監督、カメラマン、そして編集者のセンスがよく判るからです。
 
       ☆   ☆   ☆
 
 【8】 訓練生の入寮
 
 訓練生は「一部屋4人ずつ」。上下2人用の2段ベッド。この入寮初日、ザックは自分が本来「下のベッド」となっているのに気づき、すかさず自分の名前が書いてあるヘルメットを「上のベッド」に上げ、上にあったヘルメット(それはダニエルズのもの)を下に置きます。
 
 その間、ザックは「一瞬たりともためらってはいない」ということです。普通の人間であれば、多少は良心の呵責を感じて躊躇するのでしょうが……。
 このような「非情な判断」と「俊敏な行動」こそ、「士官」そして「パイロット」に求められている「資質」であるということです。
 
 訓練生が整列している際に、フォーリー軍曹が語った言葉を想い出してください。こう言っていましたね。
 
 『女子供の頭上にナパームを投下できるか? 出来ぬ奴は容赦なく切る!』
 
 刻々と戦況が変わる戦場において、迅速かつ的確な判断と行動は絶対的といえるでしょう。「要領がよい人間」といえば、一般的には好ましくないわけですが、ここ「軍隊」ではまさに「それ」が求められているのです。
 
 ここで「象徴的なこと」は、本来は「上のベッド」であるべき「ダニエルズ」が、「ザック」によって「下のベッド」に追いやられたと言う「事実」です。後にダニエルズが訓練落伍生となり、「DOR」を申請して去って行くことを考え合わせるとき、とても意味深いものがあります。(続く
  

・『愛と青春の旅立ち』-4/フォーリー軍曹との出会い

2012年04月28日 13時49分32秒 | ◆映画を読み解く
 
 【4】 航空士官訓練学校――「フォーリー軍曹」(訓練教官)の登場
 
  オートバイに乗ったザックが、『パイロット訓練学校』へやって来ます。ここは「海兵隊の基地」であり、その施設の広大さと「軍隊という組織の大きさ」……。それに対する「訓練候補生」という「一個人の小ささ」のようなものを対比させています。
 
 オートバイを降りたザックが、「モニュメントのジェット機」の所に到着します。ここで最後の「クレジット」として、脚本、製作、そして締めはもちろん『directed by Taylor Hackford』と、監督の「テイラー・ハックフォード」が紹介されます。
 
  その画面右手に、「訓練生」となるために集まって来た青年たちが、モニュメントの周囲に「たむろ」しています。ジェット機とそれを取り巻く右手の「訓練候補生」と左手の「ザック」という構図。この瞬間は「まったくの他人」である「彼ら」と「ザック」。しかし、のちに親友となっていく彼ら。巧みな配置の演出です。
 
 何よりも、「思い思いの服装と格好」により、リラックスして待機している「訓練候補生」の雰囲気がよく出ています。「映像」が、いかに「瞬時」に「物事を語りうるか」を如実に示しています。
 「このシーン」は、ザックを含めた「彼ら個々の成長」と「人間関係の深化」という「その後」の比較とにおいても、重要なカットそしてシーンとなっています。
 
        ☆
 
 次のカットは、『THROUGH THESE DOORS PASS THE FUTURE OF NAVAL AVIATION』〔海軍航空隊の未来の強者(つわもの)ここを巣立つ〕という碑文。
 
 その碑文のある「階段」を、ダークブラウンのズボンと黒靴だけが映った「一人の人物」が降りてきます。人物は階段を下りたところで足を揃えて静止し、五体を左90度に向け、再び歩き始めます。
 
 左脇にステッキ(指揮棒)を挟んだ左肩一部が映り、次に「襟章」「胸章」そして「帽子」だけが映ります。黒人ということは判っても、顔や全身の映像はまだありません。
 
 次のカットは、「帽子」だけを映したカメラが徐々にロングに引きながら、その「後頭部」と「肩から上」を映し出しています。そこでこの人物の命令口調の「」が発せられます。
 
 ――Fall in! (集まれ!)
  
 彼はジェット機の周りに「たむろしている青年たち」に集合整列の合図をかけたのです。
 
 ――I said “Fall in”, you slimy worms.(集まれ! ウジ虫ども)
 
 
 ここでようやく「飛行訓練学校」訓練教官の「エミール・フォーリー軍曹」の正面上半身が映し出されます。いかにも「しごき」そうな「訓練教官」の雰囲気が漂っています。見事な登場の仕方であり、また「させ方」といえるでしょう。
 ここまでわずか25,6秒。その見事さには溜息が出るばかり……。
 
 この映画の中で一番好きなのが、実は「この登場シーン」です。何十回観ても飽きません。「映像」として、また「カット」の「編集(つなぎ方)」としても秀逸であり、「フォーリー軍曹」をいっそう魅力あるものとしています。
 
 この「登場シーン」が引き立つのも、「思い思いの服装と格好で集合を待っていた」青年たちの「リラックスした雰囲気」によるものです。またこのシーンは、次の「訓練生の整列」と「教官の言い回し」のシーンへの見事な「つなぎ」を果たしています。
 
 私は「ルイス・ゴセット・ジュニア」がこの「フォーリー軍曹」役で「アカデミー助演男優賞」を受賞できた最大のポイントは、この「登場の仕方」と「整列シーン」にあったのではないかと思えてなりません。
 
 それにしても「ウジ虫ども」とは……凄い表現ですね。でもこういう表現は、当時の米国軍隊の「伝統的な歓待のメッセージ」なのかもしれません。
 
        ☆
 
 参考までに言えば、トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ』においても似たようなシーンがありました。
 
 それは陸軍に入隊した主人公(フォレスト・ガンプ)が、「訓練所」への軍用バスに乗るシーンがあります。そのとき、自分の名前を告げてバスに乗り込むわけですが、名前を名乗った彼に、運転手(もちろん軍人)は、「口にすることも憚られるような台詞」を浴びせます。このときの「日本語のテロップ」にも「ウジ虫」という文字が流れていました。
 
 ついでに言えば、フォレスト・ガンプが入った新人訓練所の教官も「黒人」であり、号令の掛け方など、まさに『愛と青春の旅立ち』の「パクリ」ともいえるものでした。というより、「オマージュ」と言ったほうがいいのかもしれません。
 
 
 【5】フォーリー軍曹とシド
 
 それにしても、この「整列シーン」は見事です。まったく無駄がありません。適度の緊張とユーモアの中に、「国家そして軍隊組織の途方もない大きさ」と、それに対する「新人訓練生の吹けば飛ぶような存在感の軽さ」のようなものが、暗黙のうちに描かれているからです。 
 
 軍曹が『Uderstand?(判ったか?)と尋ねたら、Yes, sir と答えろ!』と言い、『Uderstand?』そして『Yes, Sir』を2回繰り返させるシーンがあります。この雰囲気と声の調子がとてもいいですね。いかにも「しごき教官」と「訓練生」という感じがよく出ています。
 
 この整列の際、フォ-リー軍曹は黒人の「ペリマン」を手始めに、「シド」、「ザック」、そして「デラ・セラ」に絡んでいますね。巧みな「人物紹介」であり、各人物の持つ雰囲気を瞬時に表現しています。
 
 ともあれ、「この整列シーン」の素晴らしさは、言うまでもなくフォーリー軍曹の「啖呵調の台詞とその口調」にあります。さんざんシドをからかった後、軍曹はシドに尋ねます。
 
 ――出身はどこだ?
 ――オクラホマです。
 ――ああ。名物を(たった)2つ(だけ)知っている。
 
 
 この最後の行の台詞の原語(原音)をぜひ確認してください。フォーリー軍曹は、実はこう言っているのです。
 
 
 ――Only two thing come out of Oklahoma. Steers and queers. 
 
 おわかりですね。「Only」と「Oklahoma」の「O」の「頭韻」、そして「Steers」(去勢牛)と「queers」(ゲイ)の「脚韻」が、この台詞回しをとてもリズミカルに歯切れよく、つまりは心地よいものにしているのです。
 
 引き続き軍曹は尋ねます。『お前はどっちだ?』と。そしてさらに『貴様は? 角はない。ゲイの方だな』。
 シドは答えます。『ノーサー!』。すかさず軍曹『ささやくな! ヘンな気になる』。シド『ノーサー』。
 
 この二人のやりとりに、「ザック」が小さく苦笑します。「軍曹」は「ザック」の方を睨み、歩み寄って来るのです。(続く
 
 

・『愛と青春の旅立ち』-3/「士官訓練学校」入校

2012年04月14日 15時09分37秒 | ◆映画を読み解く

 

 【2】続・父と息子(父バイロンの部屋)

 ここで先に明かしますが、カレッジ(大学)を卒業したザックは、どうやら父親のところに「卒業の挨拶」に来たようです。そこで父親の住まいに「泊った」というわけでしょう。
 父親がザックに尋ねます。
 
 
 ――これからどうする?
 ――いいか。腰を抜かすなよ。
 ――驚くもんか。言ってみろ。
 
 揶揄するような父親の口調。ザックは「海軍に入る」ため、「これから、レニエ基地の士官訓練学校に入校する」ことを告げます。父親は――、
 
 
 ――なぜだ?
 ――そうしたいんだ。
 
 
 皮肉を込めて笑う父親。そして―、
 
 ――大統領に立候補するようなもんだ。そうだろ?
 
 父親はそう言って、「洗面コーナー」(トイレもあるところ)の小さな吊戸棚を手で敲きます。その態度は、口にこそしませんが『そんな馬鹿げたことを』といった蔑(さげす)みの気持が込められています。
 
 ――刺青(いれずみ)の士官か?
 
 と侮蔑な表情の父親に、ザックは洗面の流しに唾を吐き、『じゃ、また』と言って「出入口」のある「寝室」へと歩いて行きます。不快感をこらえているのが、よく判ります。
 
 ――ザック。怒ったのか? 
    ……お前のためを思って言っている。お前は俺と同じだ。士官の器じゃない。
 ――僕に敬礼するのが嫌なんだろ?
   ※ザックが訓練学校を終えて「士官」になれば、「下士官」の父親より「階級が上」になることを意味しています。
 ――馬鹿言え。何を言う。
 ――それが本音だろ。
 
 まともな父と息子の会話ではありませんね。ザックは明らかに早くこの部屋を離れたい、つまりは父親の所を立ち去りたいのです。部屋から出ようとドアに手をかけたザックは、部屋の中央(画面下)に視線を向けながら言います。
 
 ――「卒業祝い」ありがと。
 
 自嘲気味にそう言い残して「部屋」を出て行くザック。父親は『怒ることないだろ』とザックの背中に言葉を浴びせ、何か言いたげな表情で引きとめようとします……。無論、父親はパンツひとつの姿です。
 ザックが「」に視線をやったのか。父親からの「卒業祝い」が何であったのか。……もうお判りでしょう。
 
       ☆
 
 映画の「始まり」からここまでジャスト9分。実に内容のある第1シークエンスです。長すぎず短かすぎず、主人公の「生い立ち」と、今後予測される彼を取り巻く人物たちとの関わりを暗示しています。見事な導入部であり、観客の関心をぐっと引き込むことに成功しています。
 「脚本」と「編集」、そしてそれを見極め得た「監督」の勝利といえるでしょう。
 
 
 【3】レニエ海兵隊の「士官訓練学校」へ向かうザック
 
 「父親の部屋」を出た後、右肩の刺青を貼り物で隠すザック。これから「レニエ基地」にある「士官訓練学校(パイロット訓練)」へと向かうためです。
 
 ここで初めて「音楽」が流れます。この映画の「テーマ曲」であり、このタイミングも秀逸で無駄がありません。
 
 同時に、オートバイに乗ろうとするザックが映り、画面左上に「ザック・メイヨ」役の「Richard Gere」(リチャード・ギア)、それが消えて左下に「ポーラ・ポリフキ」役の「Debra Winger」(デブラ・ウィンガー)の名前(クレジット)が続きます。
 
 その次にようやく、「タイトル・クレジット」の『An Officer and a Gentleman』が出て来ます。
 3番目のキャスト名は、ザックの親友「シド・ウォーリー」役のデビッド・キース、4番目は、ザックの父親「バイロン・メイヨ」役のロバート・ロッジ、5番目はシドのガールフレンドとなる「リネット・ポメロイ」役のリサ・ブラント、6番目は女性士官候補生「ケイシ-・シーガー」役のリサ・アイルバッハーのクレジット(名前)と続きます。
 
 キャストの最後は、「and Louis Gossett Jr. as Foley」(ルイス・ゴセット・ジュニア〔フォーリー役〕)という「特別扱い」のクレジットにより、訓練教官「エミール・フォーリー軍曹」が紹介されます。この映画での彼の存在の大きさが判るというものです。
 
 
 ◆「クレジット」(スタッフやキャスト名)も「映画を読み解く」カギ
   
 「タイトル」が出る前に「リチャード・ギア」(ザック役)と「デブラ・ウィンガー」(ポーラ役)の2人が続けてクレジットされたのは、二人の「緊密な関係」を示唆するものです。と同時にこの映画が、ザックとポーラを第一とした物語であることを示してもいます。
 
 一方、同じように恋人同士となる「デビッド・キース」(シド役)と「リサ・ブラント」(リネット役)は、両者の名前の間にザックの父親役の「ロバート・ロッジア」の名前がはさまれていますね。つまり、ザックとポーラの場合のように「連続」してはいません。
 これはシドとリネットの二人が、「微妙な関係」となることを暗示しているのです。
 
 最後に出て来る「ルイス・ゴセット・ジュニア」のクレジットについては、配役上の重要性を見事に示しています。やはり「アカデミー・助演男優賞」を獲得するだけの貫禄でしょうか。製作者や監督はそれを狙っていたのかもしれません。そんな気がします。
 
 日本映画は、ハリウッド映画ほど「キャスティングのクレジット」にこだわらないような気がしますね。
 
 ともあれ、この「フォーリー軍曹」が「ザック」と「ポーラ」、「シド」と「リネット」という2組の青年男女の人生に、とてつもなく大きな影響を与えることになるのですが……。as Foley」と「役名」が入っているのは、このルイス・ゴセット・ジュニアだけです。
 
 このように、何気なく「画面」に流れる「スタッフ」や「キャスト」名を示す「クレジット」には、そういう深い意味が含まれていることもあるのです。というより、そうなのです。
 
 「クレジット」の「デザイン」や「字体」や「大きさ」、さらには「表記順序」といったものも、映画マニアにとっては「映画を読み解く」大きなカギであり、楽しみともなっています。〔続く
 
 

・『愛と青春の旅立ち』-2/息子・ザックとその父

2012年04月11日 12時13分46秒 | ◆映画を読み解く

  【1】父と息子(父バイロンの部屋)―ワシントン州シアトル ●ファーストシーン

 ☆☆……映画が始まり、薄暗い部屋(父親・バイロンの部屋)の窓辺だけが見える。画面に製作・配給会社、プロダクション、製作者などのクレジット(名称)が順次流れ、その後、「シアトル、ワシントン州」と出る。主人公の「青年ザック」が右手から登場し、薄地のカーテンを開ける。

 ザックは半分下がったロールスクリーンを上げるかと思いきや逆に下げる。ただでさえ薄暗い部屋がいっそう薄暗くなる。そのため、窓辺以外はほとんど見えない。ザックは右下の暗みに視線をやり、緩慢な動作で身体を正面に向ける。

 次のカットは、抱き合ったままベッドで眠っている全裸の男女。男はザックの「父親」のバイロンであり、その手は女性の裸体に触れている。よく見ると全裸女性は2人のようだ。
 
 「青年ザック」は父親に語りかけようとしてベッドの脇に屈み、眠っている父に呼びかけようとする。
 その「カット」のまま、「フィリピン航空118便がフィリピンのマニラ空港に到着した」旨のアナウンスの音声が「かぶり」、……☆☆
 
 ★★……その3秒後、「到着機」の前をキャビンアテンダントに付き添われた「少年ザック」が歩いて来る。アメリカ合衆国から来た少年が、マニラに降り立ったことを意味している。……★★
 
 
 ここから、ザックに関わる「現実(青年時代)」と「回想(少年時代)」シーン(カット)とが交互に織り成されます(カットバック)
 そこで回想シーン」は「★★…………★★」のように、また「現実シーン」は「☆☆………☆☆」のように表記し、私の「コメント」部分は◆【   】◆で囲みます。
 
      
       ◇  
 
 ☆☆……再び「全裸の父親」のベッド脇にいる「青年ザック」のカット。彼は眠っている「父親」の耳元に呼びかける。
 
 ――Hey.……☆☆
 
 ★★……「シーン」はマニラ空港に戻り、「少年ザック」が空港に出迎えに来た「父親」に呼びかけられている。
 
 ――Heykid.Are you Zack?(ザックか?)
 ――Yes, sir.(そうです。)
 ――I’m Byron.Nice to meet you.(わたしがバイロンだ) ……★★
  
 ◆【この映画の中で、「青年ザック」が「父親」に「最初に呼びかける言葉」も、そしてかつて「父親」が「少年ザック」に最初に呼びかけた言葉」も、同じ「Hey」でした。
 
 『ザックか?』という呼びかけは、まるで他人の子に呼びかけるかのようです。いかに「父親」が「少年ザック」と永い時間会っていなかったかを示唆しています。
 また「Yes. sir.」という「少年ザック」の返事も、およそ実の「父親」に対するものとは思われません。「普通の父と息子の間柄」ではありえない、二人だけの独特な関係が端的に表現されています。 
 
 このあと、「現実」と「回想」との「カットバック」が何回か繰り返され、その中でいくつかの事実が明らかにされます。
 
 第1に、海兵隊下士官の「父親」が原因で、「母親」が自殺したこと。
  その原因は「すぐに戻る」と約束した父親が「4か月間」も連絡しなかったことにあるようです。    
 第2に、そのため「少年ザック」が「父親」と住むため「米国」から「フィリピン」に来たこと。
 第3に、「父親」はマニラに「娼婦2人」を囲い、「少年ザック」はその3人と暮らすこと
 第4に、「父親」は「少年ザック」を手元に置きたくないため、バージニアに戻って欲しいと思っていること。
 
  しかし、「少年ザック」は戻りたくないと言います。すると「父親」は不機嫌な表情でそのことを叱り付けます。
 
 母親を亡くし、満足な身寄りもない「少年ザック」は、《他に行くところがない》のです。このことは、「士官訓練学校」での「ある事件」の場合同様、とても大きな意味を持ってきます。
  
 父親は自分を正当化するためにいろいろな理屈を持ち出し、また嘘をついています。しかし、アメリカに帰ると約束したはずの父親が帰らなかったことで、母親は自殺するのです。
 少年ザックの言葉によれば、父親は母親への手紙の中で『戻ると約束し、母親を愛している』と書いていたようです。 
 しかし、父親は戻らなかった。少年ザックが父親に向けて放つ、
 
 『And she believe you.You are a liar.(お母さんはお父さんを信じていたんだ。嘘つき!)』
 
 という言葉は「痛切な響き」を持っています。
 
 しかもこの一節は、青年ザックの「現実の姿」にオーバーラップしています。つまり、青年ザックの目の前には、少年時代に自分に「嘘つき!」と言わせたその父親が、全裸姿で二人の女性とベッドに寝ているのです。巧みな「回想シーン」(カットバック)であり、一瞬のうちに父と息子の微妙な人間関係を表現しています。】◆ 
 ※なぜ女性が2人いるのか、ザックが父親の部屋を去るときにその意味が判ります。とても重要な意味を持っています。 
 
 
  ☆☆……「青年ザック」が煙草を喫いながら、「寝室」から「洗面台」のある方へやって来る。「寝室」では、ようやく起き出した全裸の「父親」がパンツをはく姿が小さく映っている。……☆☆
 
 ★★……遊郭街の回想シーン。「少年ザック」がストリート・ガール(娼婦)に冷やかされながら歩いている。この後、「少年ザック」は、地元の少年に人気のないところへと誘われ、暴行の末お金を盗られる。……★★
 
 ☆☆……冷蔵庫からビールを取り出した父親が、ビンを見ることなく蓋をはずし、何のためらいもなくそのまま蓋を床に投げ捨てる。そのアルミの蓋がほんのちょっと転がって音を立てる。だがすぐに止まる。 
 
 ◆【シーンの作り方として、とても素晴らしいカットです。父親がいかに日常的にそのような行動をとっているかを一瞬のうちに描ききっています。「父と息子」とのシーンの中で、私が一番好きなカットです。
 
 「いかにもだらしがない父親」の味が見事に出ています。周到に計算された演出であり、また演技ですね。何よりも、「父親」と「息子ザック」の関係と、それぞれの人格を象徴的に表していもいます。】◆ (続く)
 
 
 

・『愛と青春の旅立ち』-1/原題の意味

2012年04月04日 00時04分46秒 | ◆映画を読み解く
 
 ◆原題:『An Officer and a Gentleman』の意味◆
 
 『愛と青春の旅だち』の原題は『An Officer and a Gentleman』ですね。この「原題」には、“祈り”のようなものが込められているような気がします。それは最後にお話しするのがよいのかも知れません。
 
 英語にはあまり自信がありませんが、「Wikipedia」の「英語版」で見ると、「原題」の意味がある程度判ります。少なくとも、士官と紳士』といった単語どおりのものではなく、「軍人」の「心得」のようなものを表わしているようです。
 
 どうやら「英国海軍」のものが「米国」に伝わったと思われます。単に「Officer」としているのは、「陸・海・空軍」を問わず使われているためでしょう。「英国」海軍というのがポイントですね。何と言っても「Gentleman」の国ですから。
 
 訳としては、『士官(軍人)であるとともに、紳士たれ』というところでしょうか。
 
        ☆   ☆   ☆
 
 
 ◆「助演男優賞」と「歌曲賞」を受賞◆
 
 ところでこの映画は、1982年「アカデミー賞」の「助演男優賞」と「歌曲賞」を受賞しています。
 前者は、「訓練教官(軍曹)」役の「ルイス・ゴセット・ジュニア」が評価されてのものです。後者はすっかり有名になった「テーマ曲」ですね。「作曲」はジャック・ニッチェとバフィー・セント=マリー、「作詞」は「ウィル・ジェニングス」です。
 
 またこの映画は前回お話したように、アカデミー賞4部門にノミネートされました。「主演女優賞」「脚本賞」「編集賞」そして「作曲賞」です。受賞こそ逃したものの、このノミネートも納得できます。
 
 個人的には、「脚本賞」と「編集賞」を受賞して欲しかったのですが。この年のアカデミー賞は、『ガンジー』『ET』それに『評決』という話題作があり、「ライバルが強すぎた」といわざるを得ません。
  
 なにしろ『ガンジー』は、「作品、監督、脚本、撮影、編集」各賞の「製作主要5部門」を独占し、また「主演男優、美術監督・装置、衣装デザイン」の3部門も受賞、合計「8つのオスカー」を手にしています。
 
 それに加え、「作曲、音響、メイクアップ」の3部門にもノミネートされました。まさしく圧倒的な存在感を持った映画であり、私も半年ほど前に「DVD」で観ました。みなさんにもお薦めしたい優れた作品です。
   
         
 ◆優れた「脚本、製作、音楽、撮影、編集」そして「監督」◆
 
 実はこの映画をはじめて観たのはほんの半年ほど前です。それまで観なかったのは、映画の「タイトル」が気に入らなかったからです。「愛と青春……」など、いかにもという感じでした。 
 昔から、「愛」や「青春」をタイトルに使うものは、邦画・洋画を問わず、またテレビや小説等であっても好きになれません。
 
 それでもこの映画を観るようになった“きっかけ”は、とても単純でした。『ガンジー』のDVDを観たとき、同じ1982年のアカデミー賞受賞作品としてその存在を知ったからです。ことに「脚本賞」と「編集賞」に「ノミネート」されていたために観ようと思ったのです。
 
 以前にもお話したように、私は「映画・演劇」そして「TVドラマ」も、「脚本(シナリオ)」がすべてと思っています。同時に「映画」においては、「編集」もかなり重要なポイントとなります。このことは一般的にはあまり意識されてはいません。
 「脚本」や「監督」、「出演者」「撮影」「美術」「音楽」等がどんなに優れていても、「編集」がまずければ、それまでの全てが無意味となります。
 
 
 ◆「編集」の重要性◆
 
 「編集」」とは、「カット」や「シーン」のつなぎ方であり、膨大なフィルムの中からいかに的確なものをピックアップするかということです。短すぎず長すぎず、舌足らずにも喋りすぎにもならず、タイミングよく効果的にカットとシーンを積み重ねる……。そういう「作業」をいいます。
  そのため編集」の仕方によっては、その映画が伝えようとする「テーマ」や「狙い」そのものが大きく左右されるものです。 
 
 
 ちなみに「Wikipedia」の「映画の紹介」ページをごらんください。おおむね右端に「囲み記事」の形で「映画の概要」が列記されています。その「項目」と「順序」はほぼ決められており、上から順に「監督」「脚本」「製作」の各スタッフ名があり、「出演者」を挟んで、「音楽」「撮影」「編集」のスタッフ名と続いています。
 
 『愛と青春の旅だち』にしても、「スタッフ」の最初に「監督」(ティラー・ハックフォード)、次に「脚本」(ダグラス・D・スチュアート)が来ています。そして「製作」(マーチン・エルファンド)さらに音楽」(ジャック・ニッチェ)、「撮影」(ドナルド・ソリン)、「編集」(ピーター・ツィンナー)となっています。
 
 「製作が3番目となっていますが、しかし、実を言えばこの「製作者」が「一番エライ人」なのです。なぜなら「お金」を出す人であり、何よりも初めに「脚本」や「監督」を選ぶ人だからです。無論、「出演者」などについても大きな権限を持っています。
 
 もっとも以上のことは「ハリウッド方式」にその傾向が強く、日本では「クリエイティブな責任者」である「監督」により大きな権限がある……と言われてはいますが。
 
 ともあれ、まずはこの映画に関わった全ての「スタッフ」と「キャスト」に心からの敬意を表したいと思います。
 
       ☆
 
 ところでこの映画のDVDでは、「15」のチャプターに分けてあり、その各々に「タイトル」がつけられています。正直いって「どうかな?」というタイトルもありますが、概要を知るには便利です。 
 
 今回は、“映画を読み解く”の第1回目であるため、かなり詳細な分析となりました。
 
 次回より、「ストリー」に沿って読み解いて行きましょう。(続く)
 
       ★   ★   ★
 

 ※この映画についての感想などお寄せください。


・映画を7倍楽しむ法/映画を読み解く

2012年03月31日 00時25分59秒 | ◆映画を読み解く
 
 ◆「映画」は、文学、美術、音楽、演劇等からなる「総合芸術」◆
 
 『10回でも20回でも観たくなる映画シリーズ』の「下-2:終章」(2011年10月18日)において、将来、「映画鑑賞」の最適教材として、オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペック主演の『ローマの休日』を採り上げる旨「予告」していました。
 
 ところが友人たちより、「対象映画」について6作品のリクエストが挙げられました。いずれも1990年以降に公開され、ともに何らかの「オスカー」を受賞した作品です。どれも優れたものであり、うち3つは《米映画協会(AFI)が選んだ米国映画ベスト100》にも入っています。
 しかし、いずれもこれといった「決め手」に欠けていたような気がします。
 
 そこで、他の友人たちの意見も参考にしました。「上記6点」に「新たに6点」を加えた「計12点」を「第1次審査」の対象とし、「第2次審査」において「4作品」に絞りました。もちろん私以下3人の審査員は、全員が「全12作品」を観ています。
 
 そして「第3次の最終審査」において、私に最終決定権が与えられました。そこで私は、「自分が何度も観たい作品」」を選びました。「何度も観たい」と思わなければ「原稿」など書けないでしょうし、何よりも「みなさん」に薦めることもできないでしょう。
 「第2次審査」に残った「4作品」は以下のとおりです(「公開年月」は「日本」)。
 
 1.『カッコーの巣の上で』
  1976年4月公開。監督/ミロシュ・フォアマン、主演/ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー。アカデミー賞主要5部門受賞(作品、監督両賞、主演男優・女優両賞、脚色賞)。他4部門にノミネート。
   
 2.『愛と青春の旅立ち』
  1982年12月公開。監督/ティラー・ハックフォード、主演/リチャード・ギア、デブラ・ウインガー。アカデミー賞2部門での受賞。他4部門にノミネート。
 
 3.『ショーシャンクの空に』
  1995年6月公開。監督/フランク・ダラボン、主演/ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン。アカデミー賞7部門にノミネート。 
  
 4.『アニーホール』
  1978年1月公開。監督・主演/ウッディ・アレン、主演/ダイアン・キートン。
  アカデミー賞4部門での受賞。他1部門にノミネート。
 
 
 ◆ 『愛と青春の旅立ち』を第1回作品に◆
 
 
 今回私が選んだのは、『愛と青春の旅立ち』(An Officer and a Gentleman:1982年日本公開)でした。
 この作品を通して、「映画の魅力」を語ってみたいと思います。
  
 ここでは、単なる「ストーリー」の展開や「俳優」の演技の評価にとどまらず、「総合芸術」としての「技術的な側面」にもスポットを当て、それがどれだけ「映画」の魅力となっているかを解き明かしたいと思います。
 
 結局映画」は、「人間とは何か」を描く芸術であり、そのために“生や死”、“愛や性”、“喜びや哀しみ”、“家族や国家“、さらには“平和や戦争”といったテーマを扱うものです。
 
 そして、ストーリーの展開や台詞(せりふ)だけでは表現しえない「人間の意識や感情、思想や行動」を、カットやシーンの巧みな積み重ねや画面背景、セット構成、照明、音楽等を駆使して表現するものです。
 
 そのため、監督や脚本家、それにカメラマンや編集者が伝えようとする「テーマ」や「視点」にも触れてみたいと思います。
 
 そこで今回のシリーズ「タイトル」は「映画鑑賞」ではなく、「映画を読み解く」としました。
 なぜなら「映画」とは、文学、美術、音楽、演劇等を総合的に駆使した芸術であり、単なる「鑑賞」といった受身の姿勢では、その真の理解は難しいと感じたからです。
 
       ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
 
 ◆映画を7倍楽しむために◆ 
 
 それではさっそく「本論」に入りましょう。いかにして、『映画を7倍楽しむ』かということですが、どんな「作品」(DVDやブルーレイ)を観る場合でも、次のことを念頭におきましょう。
 
 1.「映画」のよりよい理解のためにも、最低「3回」は観る。
 2.「特典付」を選ぶ。
 3.外国映画の場合、「音声」は極力「英語」にして観る。
 
       ☆
 
 「特典」で特に注目すべきは、当該映画の「監督」や「脚本家」が、その映画の進行に合わせて「解説」しているものがあります。特定のカットやシーンについての必要性や狙い、演出や俳優の裏話など、その「映画」そのものを理解するうえでも大変有意義です。
 何でもない小さな1カット、1シーンであっても、その映画のテーマそのものに関わる重要なものもあります。
 
 「外国映画」の場合、「音声」は「英語版」、ケースによって「日本語吹替版」があります。「字幕」は「英語」「日本語」「吹替用日本語」というのが一般的のようです。
 
 しかし、1回目は「音声」を「英語」(「フランス語」「ドイツ語」というものもあります)、「字幕」は「日本語」で観ましょう。
 そして2、3回目以降に、「ここぞと思う部分」だけでも「音声」と「字幕」を「英語」にして、「英文や英単語」を確認するのがよいと思います。
 
 俳優の「声の質」が、「配役」の雰囲気や人物の性格、人間性といったものを表現していることが多々あります。声が太いとか細いとか、甲高いとかハスキーといったことは、「キャスティング(配役設定)」においても重要な選定要因となっています。
 
 「ゴッドファーザー」でのマーロンブランドは、ほっぺに綿のようなものを入れて頬を少したるませていました。そのため「声」に「くぐもった感じの凄み」がありましたね。そういう「生の声」やその雰囲気を感じることも大切です。 
 
 また「日本語」では絶対に表現できない、「英文・英単語」だからこその「言葉のリズムや抑揚」そして「韻」などを楽しむことができます。 
 
 それでは、次回より『愛と青春の旅立ち』をともに読み解いてみたいと思います。 (続く)                                    
 
  

・10回でも20回でも観たくなる映画:下-2(終章)

2011年10月18日 00時20分41秒 | ◆映画を読み解く

 

 このシリーズの「中」(2011.10.10)をアップした翌日、私と同年代の知人より面白いものを紹介してもらいました。

 それは≪米映画協会(AFI)が選んだ米国映画ベスト100≫と≪米国Yahoo編集者が選ぶ世界の映画ベスト100≫という、2つの大変興味深いランキングでした。

 「前者」は、同協会所属の1500人からなる監督、脚本家、俳優、編集者、批評家が、歴代の「米国映画ベスト100」を選び出したものです。映画関係者による選出と言う点に特徴がありますが、映画関係者として『作ってみたい・演じてみたい』映画と言うことでしょう。

 「後者」は、映画好きが多いと言われる「米国Yahooの編集者達」によるものです。米国映画に限定することなく、「世界の映画史上に残る名作」を発表しています。

 興味深いのは、今世紀の作品でランクインしたのが、「ロード・オブ・ザ・リング」たった1本という点です。今世紀に入って、どれだけの映画が作られたでしょうか。その膨大な数の中から、たった1本しかランクインしなかったという事実は何を物語るでしょうか。

 この十余年、「映画」(国内外とも)は数えるほどしか観ていません。あまりにも「脚本」がつまらないからです。満足なストーリーもないまま、やたら「特殊撮影」や「CG」を駆使しています。ゆっくり味わったり、深く考える余地を与えない物語の進行には疲れます。

 何よりも、意味のないアクションや台詞が多すぎるのです。しかし、最大の罪は、「映画」を「投資ビジネス」としか考えない「映画商人」達が、映画「製作」の実権を握ったからでしょう。

      ★   ★   ★

 さて前回ご紹介したように、私が「10回以上観た作品」は、『第三の男』、『カサブランカ』、『七人の侍』、『東京物語』そして『ローマの休日』の5作品です。

 おそらく今後は、これらに『』をはじめ、『アラビアのロレンス』、『シンドラーのリスト』、『羅生門』などが加わることになるでしょう。

 実は前回の「5回以上10回まで」の作品として、『十二人の怒れる男』が抜けていました。ヘンリー・フォンダ主演のこの映画は、実父を殺したとされる少年について、陪審員に選ばれた「十二人の男たち」が「評決」を下す物語です。その「評決」までのプロセスを、「心理劇」タッチのサスペンスに仕上げています。日本の「裁判員制度」を意識して観ると、いっそう興味が増すのかもしれません。 

 この作品も将来、冒頭に述べた「10回以上観た作品」の中に入るでしょう。

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 ともあれ、近い将来(いつという断定はできませんが)、『10回でも20回でも観たくなる映画』の代表として、『ローマの休日』を採りあげてみたいと想います。

 と言うのも、私はこの映画こそが「映画」の醍醐味を堪能できる最高の作品であり、また「映画」というものを学ぶ上において、もっとも適した「教材」ではないかと想っているからです。すなわち、この「映画」を『お茶目な王女様』の単なる『お忍びの休日』と捉えて欲しくはないと想います。この作品には、深い、そして重大な「メッセージ」が潜んでいることが判ります。

 しかも、それらの「メッセージ」は見事な“伏線”によって巧みに覆われ、また絶妙なタイミングで小出しされています。何でもない「カット」や「シーン」において。何気ない「台詞」や「表情」や「背景」それに「小物」等によって……。

 それは、汲めども尽きない映画の魅力であり、結局、映画が描きだそうとしている“人間そのものの魅力”ということでしょうか。それらを“さりげなく”伝えようとしているところに、10回、20回と観ても飽きない、そして尽きない感動があるのです。言うまでもなくその総ての功績は「脚本」にあります。いえ、「脚本」にしかないのです。

 ――は~い。もう時間が来てしまいましたね。

 では、またお会いしましょう。

 それでは……サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。(完)

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