ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

〝納め稽古〟?

2018年12月28日 | 俳句

 今日はまさに冬の気候そのもの…朝から寒いはずで、とうとう雪が舞い始めました。こちらでは初雪?でも、時々日が差してきて、そうです!「風花」でした。

 「風花」は、もちろん冬の季語。〝冬の青空に舞う雪〟のことなんですが、今日のは青空というにはちょっと違って、しっかりと雪雲が覆いその隙間から日が洩れて…という感じ。それが、時々〝吹雪〟になったりして、外を歩くと本当に寒くて縮み上がりました。

  華かに風花降らすどの雲ぞ    相馬遷子

 相馬遷子も馬酔木の大先輩ですが、私は名前だけしか知りません。でも、馬酔木の吟行会で長野県佐久市に行った時、お墓にお参りしました。話では、秋櫻子の信頼がとても厚かった人だそうです。そこで、Wikipediaの説明(以下)を見てみました。

 相馬遷子(そうま せんし、1908年10月15日 -1976年1月19日)は、長野県出身の俳人、医師。本名・相馬富雄。東京帝国大学医学部卒。水原秋櫻子俳句の指導を受け、1940年より「馬醉木」同人。1945年より同人会長。同時に1938年から「鶴」同人、石田波郷に兄事する。同年斎藤玄の斡旋で句集『草枕』を出版。故郷の自然を詠み堀口星眠、大島民郎などとともに馬酔木高原派と呼ばれたが、山本健吉は遷子の句に他の「高原派」にはない、「鶴」との関わりからくる境涯性を指摘している。以後の句集に『山国』(1956年。一般にはこれが第一句集とされている)、『雪嶺』(1969年)、『山河』(1976年)、『相馬遷子全句集』(1982年)がある。1969年、『雪嶺』で第9回俳人協会賞受賞。医師としては1943年北海道市立函館病院内科医長に赴任。1946年、故郷の長野県佐久市に医院を開業。1976年佐久病院で死去。68歳。

 ところで、群馬県ではこの風花のことを「吹越」(ふつこし)と呼ぶらしいのですが、それを〈吹越に大きな耳の兎かな〉という加藤楸邨の句で知りました。最初は意味が分らなくて、辞書をひいてもないし…これもやっぱり方言なんでしょうかね~。

 雪雲が日本列島を縦断する山岳地帯にせき止められて日本海側に雪が降るとき、太平洋側は青空が広がり、風花日和となると。まさにその通り、今日の天気図は日本海側がそのような気圧配置で、こちらの山陰地方では大雪警報も…。

 さて、さて、この寒さで行こうか行くまいかと渋っていたのですが、今年最後のフラダンス…。昨日書いた〝「納め」と「初」〟の、「納め稽古」になるので、意を決して行くことにしました。しかし、この「納め稽古」は歳時記にはないのです。でも、広辞苑には「納め浚い」として〝芸事の、その年最後のおさらい〟とありますから、季語としての価値は十分あると思うのですが…。だって新年の季語には「初稽古」があるんですよ~。

 まあ、部屋の中は日が差すと暖房も利いているから暑いぐらいでした。一旦外に出てしまうといいのですが、出るまでが億劫で…いけませんね。今年最後のご挨拶をして、〝来年の初稽古は11日ね、じゃあよいお年を!〟と言って別れました。ああ、もう今年はこれで何もありません。あと3日…いやいや、年賀状と片付けがありました。さあこれから頑張ります!

 写真は、フラダンスの会場になっている〝ふれあいセンター〟の門松と玄関の飾り。小さな折紙のツリーがカワイらしくて…でも、この時は寒いし薄暗くて…だからやっぱりボケていますね。スミマセン!

 

 


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