ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

安住敦の句

2019年06月14日 | 俳句

 昨日は俳画教室でした。画題は〝紫陽花〟(あじさい)、もちろん夏の季語です。「ユキノシタ科の落葉低木」と説明にありましたが、ちょっと不思議!あのユキノシタとは、咲く時期が同じというぐらいで、他にはどこにも似たところがありませんから、とても同じ科だとは思えませんけどね。それに一方は草なんですが、紫陽花の方は木ですものね。

  歳月やはびこるものに鴨足草(さいげつやはびこるものにゆきのした)

  あぢさゐの藍をつくして了りけり(あじさいのあいをつくしておわりけり)

 どちらも安住敦の句です。安住敦(あずみあつし)は、1907年東京生れ。1930年同僚に誘われて短歌を学びますが、同時期にやはり誘われて上司の富安風生が主宰する「若葉」に入会し、俳句を風生に師事。以後8年間短歌と俳句をともに続けたんだそうです。戦後は久保田万太郎を擁して「春燈」を創刊し、自分は編集人として奮闘。1963年万太郎が没した後は、「春燈」主宰を継承しました。

 1966年、『春夏秋冬帖』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1972年、句集『午前午後』他で第6回蛇笏賞受賞。1972年、紫綬褒章受章。1982年、俳人協会会長に就任(1987年まで)。1984年より朝日俳壇選者(1986年まで)。1985年、勲四等旭日小綬章受章と、いろいろと活躍した後、1988年7月8日、肺炎により死去しました。享年81歳。

 ところで、私は安住敦というと、どんな句よりもすぐに〈しぐるるや駅に西口東口〉(『古暦』春燈社、1954年)の句を思い出してしまいます。なぜかというと、それは東京へ行ったときの実感でしたから本当に納得したんです。こちら田舎の新山口でも北口と南口と二つありますもの。まして東京駅のようなところでは二つどころの騒ぎではないでしょうし、それが地下鉄などの駅だとしても、いくつか出口があるでしょう。一つ間違うととんでもない方に出てしまって…、以前間違って真反対の方へ出てしまって往生したことがありました。その時つくづく東京は田舎者の来るところではないと懲りましたもの。

 さて、この句は「しぐるる」が季語ですから、初冬の通り雨の中を何処かへ行こうとしているのでしょう。家に帰るのならば出口を迷うことはないのですから、多分初めての駅なのかも。もしかしたら待合せ?先般の〝あしかび会〟で、近江八幡駅集合としていたら、なかなか全員が集まらないので、聞いてみるとやはり北口と南口で間違っていたようで…。だからどんな駅でも出口は確認しないといけませんね。敦の句も調べてみたら、これは東京の「田園調布駅」だったとか…。私は行ったことがないので分かりませんが、ここには間違いなく西口と東口の二つがあるようですね。

 写真は、我が家の〝紫陽花〟です。少しずつですが、いろんな種類が咲いています。別の種類がまだ二つほどありますが、ボケていましたので、撮り直しますね。それにしても我が家には赤系は育たないようで、いつの間にか青か白になります。2枚目はその中の貴重な一つ。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする