ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝更衣〟

2019年06月09日 | 俳句

 このところ蒸し暑い日が続いていましたが、昨日は少し気温も下がって、最高気温も23度、最低気温17度と過ごしやすい日になりました。でも、やはりちょっと湿度が高いのでしょうか、カラッとした感じがないので洗濯物もイマイチかな…。でも、今日は朝から雲一つない快晴で、洗濯日和になったと喜んでいましたが、やっぱり午後にはもう曇ってきました。残念!

 昨日は午後と夜のダブル句会の日でしたので、帰りも遅くなりちょっと疲れてブログ書く気になりませんでした。ゴメンナサイ!

 さて、午後の部の兼題は「更衣」でした。陰暦4月1日をもって衣服や室内調度などを夏のものにあらためることで、初夏の季語です。現在でも制服のある学生や職員たちが夏服に替わっている姿を見ると、この季語を実感しますね。でも、昔のように何日からと厳しくは決めずに、その時の気候の状況に合せて柔軟に行っていているようです。しかし、概ね6月前後に行われているかな。

 ちなみに、10月頃に行う夏服から冬服に替わる「更衣」は、「後の更衣」とか「秋の更衣」といいますので、注意しましょう。

 ところで、俳句をしない人にこの季語を言うと、殆ど「衣替え」と書きます。それで「更衣」が本来の字ですよと教えますと、みんな不思議な顔をします。これはもともとは宮中行事で、「更衣(こうい)」というのが本当で、帝の側にあって身辺の世話をした女御更衣という役職からの言葉でした。この貴族社会の約束事が一般にも広まったものですので、俳句ではもともとの字を使って季語としています。

  一つ脱いで後に負ひぬ衣がへ(ひとつぬいでうしろにおいぬころもがえ)

 芭蕉の『笈の小文』の中の1句です。『笈の小文』(おいのこぶみ)とは、1687年10月江戸をたち、鳴海(名古屋市緑区)、保美(愛知県田原市)を経て郷里伊賀上野(三重県伊賀市)で越年、2月には伊勢参宮、3月には坪井杜国との2人旅で吉野の花見をし、高野山、和歌浦を経て4月8日奈良に到着、さらに大阪から須磨、明石まで漂泊した際の紀行文です。

 この句は、吉野の花見をした後、高野山から和歌浦へ向かうときに詠まれた句のようです。ちょうど陰暦4月朔日の更衣の時期、歩いていると道すがら出会う人々はみな身軽な服装をしていることだ。自分は漂泊の身で衣を更えようにも何も持ち合わせていない…せめて一枚脱いで後に背負い身軽になって、これで更衣をしたことにしょうか…とこんな句意でしょう。その時一緒に旅をしていた万菊丸(杜国のこと)が次のように詠んでいます。

  吉野出て布子賣たし衣がへ(よしのでてぬのこうりたしころもがえ)

 「布子」とは綿入れのことで、冬の季語になっていますが、メイン季語は「衣がへ」。ここでは更衣の時期なので、もう冬物の布子は暑くて来ていられないし、脱いでも荷物になることだから、なんならここで売ってしまいたいものだよ…と。

 芭蕉と万菊丸(坪井杜国)、まるで掛合いのようなこの二句をみると、いかにも楽しい旅をしている二人の姿が目に浮かんできます。ちなみに、芭蕉はこの時45歳、万菊丸は?と年齢は分かりませんが、とても美しい青年であったという話。なんだかオモシロい!と思いません?

 写真は、〝虫取撫子〟(むしとりなでしこ)で、夏の季語。ナデシコ科の一年草で、ヨーロッパ原産。花の下の茎から粘液を分泌するので、虫取撫子とか蠅取撫子と呼ばれているが、濃紅色の小さな五弁花を散房状につけたカワイイ花なんですよ。

 

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