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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

養老孟司 ガクモンの壁

2022-03-12 19:56:37 | 読んだ本

日経サイエンス=編 2003年 日経ビジネス人文庫版
これは最近、本棚の奥のほうから見つけ出したやつ、このブログに並べてなかった、っていうか存在おぼえてなかった。
本棚の奥というのは、ふつうの本棚だと奥行が単行本サイズなんで、私は文庫本は手前と奥と二列を一段に入れちゃってる、奥のやつは背表紙もふだん目につかないので、忘れてるとほんとに気づかないまま長い年月が経つこともある。
2003年に私が何をおもってこれ読もうとしたのかは、とんと思い出せない。
解剖学者の養老孟司氏が、さまざまな分野の、養老さんからみたら若手の、研究者と対談したもの。
初出は「日経サイエンス」の1997年から1999年にかけてで、1999年に『養老孟司・学問の格闘』として単行本刊行。
(そうか、新書『バカの壁』が2003年にヒットしたから、とりあえず「壁」ってつけて文庫で商売しようとしたのか。)
ところが、読み直してみると、意外におもしろい、これ、なんで何度かときどき取り出して読み返すことをしなかったのか、自分で自分の趣味がよくわからん。(私の興味のほうが変わってきたおそれは、ある。)
>再生系細胞と非再生系細胞とでは、死の制御機構も、実行装置も違っています。(略)
>再生系細胞の死は、細胞を個体内の循環の中に戻していく、リニューアルのための死です。組織に古い細胞がたまると、機能が停滞していしまいます。(略)細胞の死のプログラムが整っていないと、生体として成り立たないわけです。
>非再生系細胞の場合は、その死は個体の死につながり、個体を自然の循環の中に帰すことになります。有性生殖をする生物には、たえず新しい個体が生まれてきますから、古い個体を消去していくことが必要です。(p.190)
ってのは、たとえば、分子細胞生物学の田沼靖一氏の話だが、とても刺激的である。
プロローグで、養老氏が、
>だれかが本当に面白いと思ってやっている仕事の話を聞くことは、じつはたいへん幸せなことである。当人が本当に面白いと思っていることは、他人が聞いてもじつに面白いからである。(p.4)
と書いているが、実に全編にわたってそのとおりだと言いたくなる。
(んー、ってことは、ある人の仕事の話がつまんないと思ったら、その人がつまんないと思ってるってことか、もしかして。)
でも、まあ、それぞれの専門分野のことはおいといても、日本においてはだいたい研究者イコール教育者みたいなもんなんで、みなさん学校で学生教えてるんだけど、教育に関する養老氏の意見がときどきおもしろいのが今回は目にとまった。
遺伝の話をしているときに、とかく世間の人々は一対一の関係をつけようとしたがるとして、
>人々は、物事を単純な因果関係でとらえることができると、「わかった」と思う。そういう教育を日本人のほとんど全員が施されてしまっているのです。だから、「生物学というのはちょっと別ですよ」ということを繰り返し言わなければなりません。(p.92)
とか。
ウイリアムズ症候群という病気では認知機能障害があるけれど、脳のほかの部分では高い機能を発揮することがあるって話のなかで、
>つまり何かが欠けているために、しようがなくて似て非なる能力で補おうとする。無理して補うわけですから、似て非なる能力本来の機能も非常に高くなるんではないか。実際、才能のある人というのはほとんどどこか欠けている(笑い)。
>そういう人は、初めはやっと社会生活に適応していくんだけど、ある段階に来ると、無理して伸ばした能力だけを素直に動かしたらもうかるじゃないかという気が起きる。それが才能の発現です。(略)
>(略)だから内輪で言っているんですが、日本中から秀才を集めて全部ばかにして出している。それが教育の基本だと……。(p.233)
とか。
ゲストのほうでも、認知心理学の菊池聡氏が、クリティカル・シンキングという考えを学生に教えても、
>本来なら、大学でものの考え方とか人の心の落とし穴について学んだら、それが自分の生活の中で生きるはずなんです。自分はどこかで思い違いをしていないかとか、こんなことをあっさりと信じてしまうのは何かおかしいのじゃないかというふうに。ところが、いまの学生はそうじゃない。大学の授業は授業として、知識として覚えておくけれど、自分の生活とは別物なんです。(p.316-317)
というように、ガッコの勉強と自分自身のことは完全に切り離してしまっていると指摘してる。
養老さんの対談はじつに自由でおもしろくて、たとえば自我の話題について、脳のはたらきでどこの部位がどうとか神経細胞がどうとか理科系の理論をするかと思いきや、
>(略)結局、封建制度って士農工商で他人が自分のことを見る、そうした自我を保証することなんです。自分が何者であるか、他人にどう見られているかというのが初めから社会の約束ごととして決められているから、すごく楽なんです。(略)
>(略)しかし、社会的な自分のほかに、だれにも自分が考えている自分というものがある。それこそが自分だという常識が、明治になってからいつの間にか忍び込んできた。西洋的自我なんて呼びますけど、明治になって私小説ができたのは、士農工商が崩れて、自分がだれかということを説明せざるを得なくなっちゃったからなんです。(p.250-251)
なんて具合に日本の社会の歴史と文学に話が及ぶ、文学史の教科書よりよっぽどおもしろい。
あと、古代遺跡から、見た目は何か意味がわからない物が出てきた場合の例なんかで、
>見ただけでは用途がわからない物を作り出すのが、現代人型人類の特徴なですね。事物を抽象化してシンボル体系を作り出すという脳の働きの現れなんです。(p.52)
というだけでは、架空のものについて思考する認知能力ってサピエンスの特徴かとか、やっぱ脳の働きこそが重要な研究テーマなのかとか、思うんだけど、
>そういうときには、解釈する人が物語を作っていくしかないと思う。現実の解釈は一〇〇人の人がいれば一〇〇通りあっていい。日本人は、その他にもう一つ、唯一客観的な真実があると信じているようですが、そんなものはないと私は常々言っています。(略)
>たくさんの物語があることが、人生を豊かにしていることを認めればいいんです。唯一客観的な事実があると信じて、物語の面白さを認めないから、文学も何となく衰微しているのではないかと思います。(p.53)
って、物語の面白さみたいなとこに展開してくれるんで、そういうところがすごくいい。
コンテンツは以下のとおり。ゲストが自らの専門を紹介する短い文章があって、そのあとに対談を収録。
第一部 人はどこからきたか
 1 魅惑のネアンデルタール人
    ネアンデルタール人と現代人 奈良貴史
    かつての隣人への思い 養老孟司×奈良貴史
 2 神殿から生まれた古代アンデス文明
    神殿遺跡の発掘と保護 関雄二
    黄金文明の精神に迫る 養老孟司×関雄二
 3 言葉の中に過去の文化が見える
    語彙から探る事物のとらえ方 井上京子
    言葉の文化人類学とは 養老孟司×井上京子
 4 遺伝と環境が作る人間の能力
    素質を活かす環境を求めて 安藤寿康
    似てる?似てない?双子と遺伝 養老孟司×安藤寿康
第二部 知覚・感覚・生命の謎を追う
 5 視覚の不思議、脳の不思議
    コラム構造と視覚 田中啓治
    視覚はどう成り立っているか 養老孟司×田中啓治
 6 聴覚と言葉の起源を求めて
    鳥の聴覚と人間の聴覚 森浩一
    人の言葉、動物の「言葉」 養老孟司×森浩一
 7 ナメクジで探る嗅覚の秘密
    「におい」の原理を探る 木村哲也
    学習するナメクジが語ること 養老孟司×木村哲也
 8 「細胞死」から声明を問い直す
    再生する細胞としない細胞の死 田沼靖一
    細胞死が保つ生命の秩序 養老孟司×田沼靖一
第三部 自分とは何か、こころとは何か
 9 脳の中に「こころ」を探る
    精神活動のプロセスの画像化 百瀬敏光
    脳の像に「こころ」を見る 養老孟司×百瀬敏光
 10 人が「ことば」を習得するとき
    ウイリアムズ症候群と言語習得 正高信男
    見ることば、聞くことば 養老孟司×正高信男
 11 自我はどのように生まれたか
    ワーキングメモリー 澤口俊之
    自我と意識に関係する脳機能 養老孟司×澤口俊之
 12 記憶の確かさ、不確かさ
    記憶の変容を探る 仲真紀子
    目撃証言と記憶の落とし穴 養老孟司×仲真紀子
 13 人間の心はかくも傷つきやすい
    心の傷をいやす 崎尾英子
    トラウマとどうつき合うか 養老孟司×崎尾英子
 14 人はなぜ超常現象を信じるのか
    人の心の落とし穴を知ろう 菊池聡
    超常現象を信じる人、信じない人 養老孟司×菊池聡


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