ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

ゲームにおける文法2

2005年07月17日 | ゲーム
 演出の大量投下。今年末、今年度末に登場するといわれる次世代機は基本的には任天堂も含めて、よりその方向に傾斜して行くようだ。
 以前からささやかれていたが、物量勝負になるとゲームにおいても文化的グローバリゼーションが顕在化することになる。演出的物量ならば、ハリウッドを抱えるアメリカには現状の日本製ゲームは勝てるはずは無い。情緒的なものならいざ知らず、少なくとも娯楽性の高い映画では決して敵うまい。

 このような危機意識のもとに送り出されたのが任天堂のニンテンドーDSである。発表時から任天堂が強調していたのはゲーム機であるということ。二つの画面、タッチパネル、音声認識、通信機能。これらすべて既存の技術でしかないが、今までゲーム機には、もちろん携帯ゲーム機にはデフォルトでは搭載されていない機能である。

 新たなゲーム文法の提示。ハード、入力デバイス、両方での提示である。それも今まで行われたゲーム文法の提示と明らかに異なるのは、それらの提示が非常に意識的に行われた点である。しかしこれは大変に危うい。
 これまでの文法の提示というものは必要性の必然なのである。横軸に、縦軸に動かすためにボリュームコントローラーがあり、より操作性の良い移動が求められたときに、十字キーがうまれ、3D表現に適した操作が求められたときに、3Dスティックが生まれ、より本格的な3D表現を行うために、デュアルディスプレイが求められ、横画面のみという家庭用ゲームにおいての既成概念の転倒のため、縦画面(横画面、縦画面両方使用可能)が生まれている。
 だがニンテンドーDSには明確な必要性はなく、強いて挙げれば新たな文法の提示の必要性自体が必要性なのである。そのため私はニンテンドーDSに対しては懐疑的だ。確かにロングヒット中の『脳を鍛えるおとなのDSトレーニング』はニンテンドーDSの特徴を良く捉え、私にも非常に魅力的に映る。だが『DSトレーニング』はあくまで知育玩具の部類でしかない。
 もちろん出自がどうだから、新たなゲームを提示できないとは思わない。ただ思うのは必要性が明確にならなければ、新たなゲームの提示は困難であると言いたいのだ。現にニンテンドーDSのタイトルの中にはニンテンドーDSの特徴を使い切れていないものが大半であり、持て余してしまっている。また過去の文法に囚われてしまっていて、かなり酷い出来のものも少なくない。

 しかし物量の競争がゲームのメインストリームとなりつつある現在において、SCEやマイクロソフトに新たなゲーム文法の提示は期待できない。模索の中で新たな衝撃がゲームというものの中で現れることを期待する。

ゲームにおける文法1

2005年07月15日 | ゲーム
 言語に文法があるように、ゲームにも文法がある。簡単に言えば、ハードの性能、入力デバイスに適したゲームを作る方法論のことである。
 古くはボリュームコントローラーに『ポン』や『ブロック崩し』があったように、レバーコントローラーをより使いやすくした十字キーを持ったファミコンに『マリオブラザーズ』、『スーパーマリオブラザーズ』があったように、3D処理能力と3Dスティックを持ったニンテンドー64(付け加えれば、振動機能)に『スーパーマリオ64』があったように、デュアルディスプレイを持ったバーチャルボーイに『レッドアラーム』があったように、縦画面を持ったワンダースワンに『グンペイ』、『ジャッジメントシルバーソード』があったように、確実に時代を築いたゲームがあった。
 だがSCEのプレイステーション、特にプレイステーション2以降このようなゲームにおけるエポックメイキングなゲーム的刺激の創出は見られず、過去にもあった映像や音声などの演出などの物量により傾斜していった。そこにはあらたな表現はほぼ皆無で、表象的な部分においての装飾にのみ心血がそそがれていった。
 もちろんプレイステーションには多くの実験的、野心的作品があり、任天堂ハードではハードの特性的にも、任天堂の企業体質的にも決して作れなかったであろう作品がハードホルダーであるSCEを筆頭にサードパーティーからも発売されたことは忘れてはならない。たとえばアート性の強い『アクアノートの休日』、『太陽のしっぽ』などの飯田和敏氏の作品群、『DEPTH』、『グルーヴ地獄Ⅴ』といったSCEの一連の音楽ゲームや『パラッパラッパー』などファーストパーティー、サードパーティーに関わらずこの種の新規性を持ったゲームをあげれば、枚挙に暇が無い。これらのゲームはゲームの新たな表現、概念を示し、その成果は現在のゲームにも引き継がれてきている。
 しかしこれらのゲームの新規性はビジュアルや音、切り口、つまりは表現の新規性であり、前述したボリュームコントローラにおける『ポン』などのように根本的な新規性では決して無い。

 そしてそれらの実験的・野心的作品の一方で物量に任せたゲームが数多く制作され、好調なセールスを記録した事実がある。そのためPS2期に入ると、ハードウェアの高性能化、複雑化に伴って開発費の高騰が表面化し、映像などの演出は売り上げの保険として、演出の大量投下が恒常的に行われ始めた。

どっちつかずの絢爛舞踏祭

2005年07月14日 | ゲーム
 目的が分からない。ゲーム自体ではなく、一体どんなユーザー層に向けて作られたのか、がだ。公式ホームページなどの芝村氏の発言を見ると『絢爛』が『ガンパレ2』では無い背景には続編志向への抵抗と新規ユーザーの獲得にあると思われる。今回3Dモデリングに下方ポスタリゼーションという特殊なグラフィック処理がなされている点やシステムコマンド時、データブック時もポスタリゼーションではないが似たようなポップなポスター的なデザインに統一されている。またパッケージも新規ユーザーを求めたためではないかと思われる。
 だがそうするとCMの少なさはやはり気になる。確かに『ガンパレ』が口コミで売れたゲームであり、長期的展開を狙っているならさもありなんだが、新規のユーザー獲得を本気で考えているならば、ゲームに関する情報を積極的に求めないライトユーザーにも訴求するにはやはりCMは不可欠であろう。またゲームのキャラクターもイカナはSFものの範疇に収まるのでまだしも、ニャンポコはライトユーザーには正直きつい。

 コアユーザーには物足りなく、ライトユーザーには訴求効果が無い、ゲーム。ゲーム自体の出来は良いのに残念だ。

PS ここ掘れ!プッカ

2005年07月12日 | ゲーム
 『がんばれ森川君2号』や『アストロノーカ』に続く森川幸人氏のAIゲーム第三弾。『森川君』の続編的作品。実質の前作『森川君』をより遊びやすくなっている。
 前作では森川君(PIT)を育てると言うこと以外には大きな目標は無く、ややゲームプレイの意欲を沸き立たせる点で弱かったが、今作では宇宙石と呼ばれる宝石を探すと言う明確な目的が設定されたことで、よりゲームプレイに張り合いが出た。
 また前作は生まれたてのPITとよばれるロボットが育成対象であり、PITは喋らないため愛着が持ちにくかったが、今作の育成対象はプッカというかわいらしい宇宙人。また宇宙人といっても今作のプッカはプレイヤーに対して語りかけてくれるので、愛着がわきやすい。
 プレイヤーはプッカに指令を出して、宇宙石を探させる。開始当初プッカは何が宇宙石で、何が価値あるものなのかということが分からないので、プレイヤーはそれを教えてゆく必要がある。

 と、これが基本的なゲーム内容であるが、既存の基準で『プッカ』を見るとゲームとしての要素は極めて少ない。ユーザーが行うのはプッカの世話であり、宇宙石を探すのはプッカである。(森川氏のゲーム制作の考え方が面倒くさくないであるらしいので当然と言えば、当然。)
 だがプッカの行動を見ているだけでも、面白い。こういったゲームも新しい文法のゲームなのだ。

PS2 フットボールキングダム トライアルエディション

2005年07月11日 | ゲーム
 今現在最も売れているサッカーゲームといえば、もちろん『ウイニングイレブン』シリーズだが、サッカーには全くと言って造詣の無い私は『ウイイレ』よりも『フットボールキングダム』に夢中だ。
 確かにチーム名は架空のものであり、選手の顔は似ていない。ロードは頻繁でおまけに長い。毎回PS2が壊れないか不安になるほどに読み込みを行う。売りにしている「アナライズリプレイ」はあまり行われない。リプレイの機能は充実していない。エキシビジョンの試合では続けて試合が出来ないなど、システム面では『ウイイレ』に大きく劣る。
 だが肝心のゲーム内容は非常に面白い。キャラクタはグリグリ動き、ボールは不自然なほどに曲げられる。コーナーから選手の能力があれば、ゴールすることも難しくない。スルーパスは狙ったところに出せる。フリーキックのシステムは『ウイイレ』に比べ格段に扱いやすく、よく入る。
 しかし何より熱いのはライン際の攻防である。本当にラインを割るか、割らないかのところまでボールを追いかけることが出来る。ライン際ギリギリのところで相手選手に競り勝って、センタリングを上げ、ゴールを決める快感は『ウイイレ』では得がたいものだ。

 おそらくこの面白さの違いは『ウイイレ』と『フットボールキングダム』の開発思想に由来しているのだろう。前者はサッカーを再現することに重きをより置き、後者はサッカーを再現する前にゲームであるということに重きを置いているのではないか。仮にプレイヤー自身が操作するスポーツゲームをより差異にわたって分類させるなら、前者はSLGよりスポーツゲームで、後者はACTよりスポーツゲームと言えるかもしれない。
 
 『フットボールキングダム』ではシュートもセンタリングも現実にありえないほど良く曲がる。だからリアリティが薄いと思われるかもしれない。でもゲームは楽しいほうが、面白いほうがいい。
 

 
 

GBA 逆転裁判2

2005年07月10日 | ゲーム
 一時期私はADVをゲームとは見なしていなかった。単にボタンを押して、話を読み進めるだけの単なる小説に過ぎないと。ADVゲームが次世代機になって乱発されたことには、作りやすさや、開発費の低さがあったからだろう。その大半が凡百のシナリオ、美少女、ホラーなどサプライズに欠け、ゲームとしての面白さを感じ得なかった。
 『逆転裁判』も本質的にそれらのゲームと変わりはない。ボタンを押して単々に物語を進める。誰にも能力の差にかかわらず、エンディングを迎えることが出来る。
 しかしながらそれらのゲームと決定的に異なるのはプレイヤーを楽しませようという姿勢である。個性が強いというか、キワモノといかなんとも形容詞しづらいが魅力的なキャラクターたち、テンポのいいテキスト、そのテキストをよりテンポ良く読ませる演出。ボタンを押して物語を進めるルーティンはそれらによって物語へ積極的に介入する行為となる。
 いつしか主人公、成歩堂 龍一とともに「異議あり!!」と叫んでしまうのだ。

PS2 絢爛舞踏際ファーストインプレッション

2005年07月09日 | ゲーム
 久方ぶりに発売日に新品でゲームソフトを買った。『絢爛舞踏際』だ。
 まず初めに驚かされたのはゲームデザインが前々作『高機動幻想ガンパレードマーチ』や前作『新世紀エヴァンゲリオン2』と比べても、いや他のゲームと比べても格段に洗練されている。
 ゲーム開始時に、OVERSとよばれる現実とゲームを結ぶという設定のプログラムがコントローラーを手に取り、ゲームを開始するように促す。この演出が大変にプレイヤーをゲームに引き込むことに貢献している。一見現実とゲームを明確に区別し、ゲームに没入することを阻害するかのように感じるが、実際は現実とゲームとの区別を明確に区別されることにより、設定の中の介入者としてのプレイヤーが自覚され、よりゲームへの感情移入がなされるように思われる。
 『絢爛』では前作『エヴァ2』から実装された生理現象の概念が装備されているが、前作でのそれが激しく作業であるとか、非常にテンポを悪くするなどの不評を買ったためか、PCには介入者が操る義体という設定が与えられ、PCは生理現象から開放されている。これにより生理現象を解消する行動が強制からプレイヤーの自由意志にゆだねられ、より自由に行動が出来るようになった。
 またこれと同様に前作から実装された距離と関係性により行動が制限されるというシステムも、前作のように不条理に感じることはあまり無く、より自然に扱うことが出来るようになった。
 これまで『バイオハザード』のような固定であったカメラも今作からは自由に横軸に回転させることが出来るようになった。これによりPCを見失うことがほぼ無くなった。
 移動は簡易マップが常時画面の横に表示されており、またどこかに入ろうとすればその入り口にそこがどこであるのかが表示される。これにより似たような見た目の間違いそうな艦内もほぼ迷わず移動が可能だ。(多少の慣れはやはり必要だが)
 セーブも前作、前々作のように特定の時間、場所でのみセーブが可能なのではなく、戦闘以外ならば場所を問わずセーブが出来るようになった。
 ポリゴンキャラは賛否があるようだが、モデリングの出来はよく、感情の表現も上手に表現されており、少しの感情移入で萌えることうけあい。またビジュアル部分が大変すっきりしており、見た目にもカッコイイ。
 今作は以前のものよりデフォルトでより早く移動できるようになっているほか、さらに×ボタンでより早く走れるようになった。前作『エヴァ2』の操作形態がSLGのような感覚でテンポが非常に悪かったためか、余計に快適に感じる。

 このように今作『絢爛舞踏際』はアルファシステム×芝村裕吏AIゲームの集大成であるといえる。システム洗練され、基本的な部分で限りなくプレイヤーに負担を掛けまいとの思いが伝わってくる。操作上はきわめてストレスを感じない仕上がりとなっている。これらの改善のおかげでこの世界をブラブラするだけでもかなり心地よい。

 ただもちろん不満が無いわけではない。戦闘は前作、前々作にさらに輪を掛けて抽象度をまし、取っ付きがすこぶる悪い。慣れればどうということは無いが、やはり辛い。


 まだ開始して7時間ほどなのでこれから不満点が出るかもしれないが、今のところは快適なシステムや統一感があり、こざっぱりしたグラフィックのため大変心地よくプレイが出来る。