暮れの鎌倉の街で、托鉢僧の姿を見る。
ただひたすら歩き、喜捨(きしゃ)したい人がいれば立ち止まりお経を唱える。街頭募金とは違うのです。修行の一つです。
人生は修行です、幾つになっても。悩み、怒り、悲しみ、それからそれから・・・、棺のふたが閉じるまで続くのでしょうか?
人生100年時代なんて言われても、100まで生きることが幸せかどうかわかりません。老後資金2000万円の政府の突然の「おふれ」は、結局は、皆が抱えているお金、市場に出して投資などに回してみて~、が本音なようです。
お金があって健康が一番いいですね。
お金がなくて病院通いは辛いですね、悲しいですね。
あと欲しいものは、良き友と、生涯を通じて取り組める仕事。贅沢は言いません。いや、これだけで十分贅沢です。
托鉢僧の後ろ姿を見送る、12月の鎌倉の路地裏。ひたひたと暮れの匂いがしてきた。