ここ数日雨が続きそう。
こんな日は、じっと家にこもり、商品の製作に励む。
しかし、そんなときに限ってミシンの機嫌がよくない。なだめすかして動かす。
ミシンは他に、レトロな足踏みが2台ある。そのうちの1台は実家にある骨董の域。
でも、母はミシンより手縫いを好んで、ちょこちょこっと小物を作ってくれた。
むかしむかし、少女のころ、近所に洋裁の上手なお姉さんがいて、時々洋服を作ってもらった
学校から帰ると、部屋の隅に、出来上がったばかりのブラウスやワンピースが掛けられていた
日は、嬉しくて1日中幸せ気分だったことを覚えている。
素材は、小花柄やチェックの綿プリントがほとんどで、冬場にはウールのジャンバースカート
母のきものを解いて作ったハーフコートなどもあり、どれも世界で1枚だけの「私のドレス」だっ
た。
手作りの服は、ふんわりと空気を含んでいて、袖口の柔らかさや、私のからだにフイットした
心地よい感触は、数十年経った今でも鮮やかに蘇ってくる。
そのお姉さんが、ある日突然、結婚をして遠くにいってしまった。
顔も手も足も、何もかも小さな、よく笑うお姉さんは、誰かのものになってしまったのだった
子どもの私などには、ひと言の挨拶もなく。
「お祝いをしたわ」と嬉しそうに母が言ったので、私も少しは喜ばなければいけないのだと
思ったが、とてもそんな気分にはなれなかった。23、4歳と聞いていたが、本当は
もっといっていたのかもしれない。
夾竹桃の枝の揺れる路地からミシンの音が消えた夏、私は『大人になるということは、こんな
別離がいくつもきて、でも何ごともなかったような顔をしてさりげなく生活していくことなのかも
しれない』とボンヤリ思ったのだった。
昭和30年代、この後、世の中は大量生産、大量消費時代へと突き進んでいくことになる。
「 きもの草子 いろはのい」(今村玖美子著)より