Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー London The O2 Arena(2014.11.29)公演観てきました 6

2014-12-15 11:24:45 | Morrissey Live

先週“Meat Is Murder”というモリッシーの真骨頂発揮の瞬間レポートを

したら峠を越えた感(ブログとしては)…しかしモリッシーはクライマックスに

向けてガンガンぶちこんできます。アンコール含め、あと6曲。。。先を進めます。

(しかし、今回で終われる気がしない…)

 

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重々しく荘厳だった“Meat Is Murder”の余韻を感じることも許さず、続いて

重々しく“Scandinavia”が始まりました。


ちょうど、このライブの前日、私はロンドン在住のスウェーデン出身の友人に会い

モリッシーの話をしていました。彼女がモリッシーは北欧でもけっこう人気があるの

は、北欧は寒く、人は自己に対して深く真面目で、けっこう「熱い」魂を持って

いる人が多いから共感するのではないかと分析していたので「スカンジナビアという、

究極のディスりから土地にめりこむほどの深い愛の歌があるよ」と教えてあげたところ、

大変感激していました。「よく彼は、地域や国に特化した歌を歌うの?」と聞かれたので

ざっと考えました(地名が出てくるものも含めて)。


・London (スミス時代)(1987) 

・You're the One for Me, Fatty(1992)

・Dagenham Dave(1995)

・Mexico(2004)

・I'm Throwing My Arms Around Paris(2009)

・Scandinavia(2011)

・Istanbul(2014)

・Mountjoy(2014)


…こんなにご当地ソングを歌っている。

マンチェスター関係をいれたらもっとある。


ご当地ソングの女王、『鳥取砂丘』の水森ッシーくらい。

(この人とて、実は7曲らしい)

この歌詞は、まさに和製“I'm Throwing My Arms Around Paris”


 …というのはいいとして、前にも書きましたがまた来日した暁には是非

日本に関する歌も歌って欲しいものです。

 

そして、教会音楽のような美しいオルガンが響き…

でも花嫁を通路で蹴っ飛ばすというひどい歌詞の

“Kick the Bride Down the Aisle”が始まります。

この始まりの時に「なんかレコーディングみたいに聞こえる~」とか

ぶちぶちMCしたあと


“Well, then!!”

(よっしゃ!行くぜ!!)


と叫んでいちいち気合入っている。本当にノリノリで、声もこれでもかという

くらいキレイでシナトラみたい。ギターの音色のツヤも本当に素晴らしかった。

そして歌詞、アルバムのものとは変えた部分がありました。


"Kick the bride down the aisle

and back to the deli,

her God is her belly,

her world is her telly”

 

花嫁を通路で蹴っ飛ばせ

もう一回食事の買い出ししとけ

彼女は食道楽

彼女にとってテレビがすべて

 

モリッシーは男に求め自分はぬくぬく、ぶくぶくしている女、という生き物

に厳しいですよね。思うに「性差」によって特権を得ようとする人間すべてに

納得していないのだと思います。

 

スミス時代の“William, It Was Really Nothing”で揶揄した「太っちょの女の子」

の歌詞とも通じます。


How can you stay with a fat girl who'll say: 

"Oh! Would you like to marry me? 

And if you like you can buy the ring" 

She doesn't care about anything


…そして引き続きモリッシーの「性」に対する思いを考えさせる “I'm Not a Man”

続きます。ぼわ~んと幻想の中から生まれ、響くかのような前奏…時折り鳴るドラムで

はっと我に返らされました。そしてキラキラとしたメロディーに乗って歌が始まる。

ライブでのこの歌のモリッシーの歌声は力強くて、歌詞の一節一節畳みかけられるように、

聴き手は追い詰められるように進んでいきます。どんどん高まっていくので、一度座った

まわりの方々も立ち始めました。「敬意」を表しているのだと思いました。

このままクライマックスの天国への階段を一緒にのぼっていく感じ。

 

この歌詞については前にブログにも書きましたが、いつもゲイ?ホモ?オカマ?と

世間の尺度で詮索されるモリッシーの回答だと思います。 


僕は男ではない

僕は男ではない

僕はもっと大きくてもっといい何かだ

男なんかより




焦れたように「歌う」というかほとんど、吠えるように歌っていました。

I'd never kill or eat an animal

And I never would destroy this planet I'm on

Well, what do you think I am?

A man?

…そこからラストにかけてほとんど唸りです。

魂から絞り出す声というのはこういうことだと思いました。


くしくも、日本は昨日衆議院議員総選挙でした。

モリッシーは「男性性」が支配するこの世の中に対する危機感を何度も言葉にして

います。先ほどリンクしたブログ記事にも書きましたが、現在の日本の政治状況

~選挙に際して、モリッシーのこの意見を何度も思い出しました。

ライブ中も思い出しました。


「戦争とは、私が思うに、男性のヘテロセクシュアリティの最も負の側面を表して

いるものだよ。もし、もっとたくさんの男性がホモセクシャルだったとしたら、

戦争は起こらないだろう。なぜなら、ホモセクシャルの男性は、他の男性を決して

殺そうとはしないから。ヘテロセクシャルの男性が他の男性を殺すことを好んでいる

のに対してね。彼らはそれで勲章すらもらうんだから。女性は、他の女性を殺すため

に戦争に行ったりしない。戦争や軍隊や核兵器といったものは、本質的にヘテロセク

シャルの趣味みたいなものなんだよ」

(2003年2月、アメリカのティーン向けオンラインマガジン“ROOKIE”に掲載されたインタビュー

 
 
人間は自分が与えられた「性」による「傾向」に支配される。

モリッシーはそんなものからの開放を目指して「ヒューマセクシャル」と自称している

のだと思います。


僕は男ではない

僕は男ではない

僕はもっと大きくてもっといい何かだ

男なんかより


そう繰り返すモリッシーを観ながら、彼が求めているものは「世界が平和でありますように」

「何事も問題なくすんなりきますように」「なんかうまくいきますように」なんていう「平穏無事」ではなく、

そんなものが幻想であり偽善であることは百も承知、「戦いありき」で、国や利権のためではなく、

自分の敵と戦い続けるのだと思いました。こんな政治家がいたら、清き10000000000000票(気持ちの上で)
 
投票間違いないです。昨日万歳していた誰かにモリッシーの歌を聞かせたい。聞かないからああなのだろうがw


このあと、モリッシーソロ曲中、世界で一番好きなあの「宣戦布告」ソングが来る…言いたいことが

あり過ぎるので続く…。

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