(続き: ライブ本編の話し②)
(photos by TST)
11 Jack the Ripper
この歌の効果でのスモークはすごい。
ジャック・ザ・リッパーなので、「霧のロンドン」を再現して
いるのかもしれない。スーパー歌舞伎並みの舞台効果。
煙から立ち上るモリッシーの姿は、妖術使いのようだ。
そしてライブで聞いて本当に好きになったこの歌。
レコードでは地味?と思っていたがなんて「派手」なんだ
と思う。
I'M GONNA GET YOU
Crash into my arms
I WANT YOU
You don't agree -
But you don't refuse
I know you
という確信的なサビ。そして
And no one knows a thing about my life
I can come and go as I please
And if I want to, I can stay
Oh, or if I want to, I can leave
良い意味での「自分本位」で歌う姿を見ていると、
自分が切り裂きジャックのように人々の心を
引き裂いて、それでもその存在を「許容」されるのか
試しているかのように思う。
この歌の最後で深いため息をついていたのが
印象的だった。
曲間で「モリッシー!」と呼ばれると、「イエスッ」と
答える。やる気満タンな感じ。
「ステージに上がりたい?なんで?何も起こらないよ」
と我々を挑発する。何も起こらない?もうすでにこんなに
起こしてるのに。
客席から「タワーレコードにまた行った?」と聞かれたら
「もちろん!」とドヤ答え。
そんなひとつひとつのコミュニケーションも楽しい、
てか信じられない。まったく信じられない。
信じなくてもいいのかもしれない、
ただ目で見ていようと思った。
そして、メッセージがあると言う。
ほんとにメッセージを聞く覚悟はできているかと言う。
「もちろん!」と叫ぶ私たち。
そしてそのメッセージ…
“My message is
please don't kill anything”
であった。
「もちろん!」と言ったものの、本当にそのメッセージを
受ける覚悟は私にあるのだろうか、と思った。
少し自信はなくなったが、渋谷でも言っていたこの
モリッシーのメッセージはわかった。
そのメッセージを言うために、そのために
こういう全部を、しているのだと思った。
12 The Bullfighter Dies
そして始まったこの歌。
フレ~イフレ~イで一緒に歌うのが好き。
ラッパからのイントロがかっこいいと、
今回ライブに来た「非モリ」「未モリ」の方々は
口ぐちに言っていた。
「すごく、メッセージ性が強いんだよ」
と言うと、そんなことわからなかったし、単純に
かっこいいんだけど、と言う。
単純にかっこいい中に強いメッセージ
があるのも戦略のひとつなのかもしれない。
非モリの人たちが
「ばんざ~い、ばんざ~い闘牛士が死んだ」と
口ずさんでいた。
今回友だちになった日本に住むイギリス人のLが
「本当にスペインの闘牛って見たことある?ひどいものだよ」
と言って、非モリの人たちと一緒に「闘犬」とか「闘鶏」とかの
話しもしていた。
この歌を聞かなければ、トピックにもならないことだった。
そういうひとつひとつが、急にではないけど、
人の心や行動に訴求するのではなかろうか。
この歌の後、バンドメンバー紹介。
グスタボ、ジェシー、マシュー、マンドを丁寧に紹介し、
いつもオチはボズw
今回は「キム・フォン・トン」(?)さんと言われていた。
…誰やねん。
13 First of the Gang to Die
本当に10月なのに「オオサカ、トゥーホット!!」
だった日。LAのトゥーホットさがなんだか牧歌的になった
アレンジで、元の方が好きなんだけど、でも皆が
平和的にシンガロングしていた。まわりを(首が動かせる
範囲で)見ると、みんな幸せそうだった。目が輝いてる。
モリッシーだけを、見ている。こんなに幸せそうな人たち
の中にまみれているのは、とてもむずむずするというか、
恥ずかしくなる。
てか、自分も幸せなんだからいいのだけど。
14 Meat Is Murder
(The Smiths song)
そんな多幸感をぶっつぶすもんが始まった。
実は私は、これを聞きにきた。
向き合いにきた。
29日にはこの歌がなくて、10月1日にも聞けなかった。
10月1日の横浜がやれなかったのは、
この歌をきちんとやれる環境が保てなかったから
という理由が本当なんだかどうなんだか、
よくわからないけどとにかくわかるのは、
モリッシーは、音楽活動の中でこの歌を歌っているのではなく、
この歌を歌って、自分の活動をしているということだ。
この歌を歌わなくてはいけない理由があり、すべてに
先だっているということだ。
“Beautiful creature must die”という歌詞に
“and why”を足していた。
この“why”がモリッシーの活動の核にあるものだ。
「あなたはどう言い訳しますか?
肉は殺人です」
というメッセージが映され、その前に座り込む
モリッシー。
ユリンベさんがツイッターで
「即身仏のように座り、座禅を組むように座り込む
モリッシー。小さな背中の大きなメッセージ」
と言っていたが、本当にその通り、
即身仏のようだった。生で見たことないけど。
自分のメッセージと心中する覚悟。。
そんなとてつもない意気込みとメッセージと重い
サウンドに対して、私は踊るしかない阿呆だった。
皆によく呆れられるが、私はこの歌で踊るのが大好き。
後ろから見ていたAたんにも見られて恥ずかしいが
まわりの人が「食肉ダメ地蔵」になっている中
「マーダー踊り」をしてしまう。元々重い曲で踊る
のが好きという志向もあるが、踊るしか仕方なくて
踊るのである←偉そうに言うことでもないw
私は普通の人と比べたらほぼ肉を食べない。
でもそれは主張でも決意でもない。
小さい頃から、嫌いなだけ。
逆にヴェジタリアンではないことに、決意もない。
ギリギリのところにいて、モリッシーのメッセージに
対峙しても結局困って、ものすごく踊るのである。
でも、最後に牛の咆哮のように、ギターの歪んだ音が
鳴りやまず、その時は黙ってそれを見ていた。
受け止めきれたかは、わからないけど、本気で向き合おう
と思ったものが聞けたのは、見れたのは、喜びだった。
15 Everyday Is Like Sunday
そして、“Meat Is Murder”の重さを癒すかのような、
鎮魂するかのような美しいグスタボのピアノが鳴り響き
(それにしても芸達者すぎるグスタボ…)
それに続いてどんどん光が刺してくるみたいにこの歌
が始まった。ちょうど日曜日、こういうマッチング好き。
この歌を聞くと、4年前の仙台公演のオープニングを
どうしても思い出してしまう。
あの時と世界は変わったようでそんなに変わっていない。
とてつもなくヤバいこともたくさんある。
毎日が「静かな日曜日」になる日が来てしまうかもしれない。
でも少なくとも今日は、全く静かになら(れ)ない日曜日です…。
歌の途中から、体に張り付いたシャツを「あちあち」みたく
パタパタしていたモリッシー。“This is hot this is hot”と繰り返し
言っていました。
16 The World Is Full of Crashing Bores
“Crashing Bores”=ひどくつまんね~奴ら。
渋谷では、ウィリアム王子夫妻の写真を指さしながら
彼らについての歌だと言っていた。
ロイヤルファミリーを
“Boil Family”=できもの一家 (ひど)と。
世界がそんな奴らであふれているなんて、言われなくても
わかってる。自分もそのひとり。なのに、この場に
モリッシーがいる、私がいる、みんながいる、すべてが
「つまんね~」ものでなくなる瞬間がある。なんか奇跡
みたいだと思うんだよね。
"Take me in your arms
Take me in your arms and love me
And love me"
というメッセージは、つまんね~ものではないものに対して
胸の中から発し続けていこうと、これ聞くと心がきらめく。
歌い終わり、「私はまだここにいますけど」と言う
モリッシー。いてくれるだけでいいんですけど、もうほんと。
いや、いて歌ってくれるだけでいい。それがどんなにすごいことか
1秒ごとに、納得してる。
17 Alma Matters
書くのに疲れてきた…書くのは疲れないか、思い出すのに
疲れるw そんだけ、すごい刺激を脳に受けたので、反駁する
とまた脳がしびれてですね、、とかそんな話はいいから先を
進めろあと少しだ。
これはもう「歌い上げ」シナトラ系。素直にきれい。ほんとに
「声」の迫力。もうなんもいらね。
もうよく覚えてないけど、ポニーテールの女の子がひらりと
舞台に上がってモリッシーに抱きついた。
それ、この歌でだった??(違ったら直します)
私のところから、よく見えた。一瞬だけど、女の子は笑っていた。
モリッシーも笑っていた。
駅に、お父さんをお迎えに来た子みたいだった。
当たり前みたく抱きついてた。
上がった後、クルーが慌てて舞台はじをなおしてた。壊したんかw
そんなの関係なく美しい一瞬だった。
18 World Peace Is None of Your Business
この歌もそう。本当にきれい。終盤にこんなきれいな声を
聞かせてくれて、ありがとう。こんな「パンク」な歌なのに、
本当に大切に、大切にきれいに歌い上げる。客も歌う。
美しい絶望倶楽部、運命共同体。
あれ、これで終わり!?と思ったら、案の定、ふつうに
さらっと袖にひっこんでいった。
見えなくなるまで見ていた。
グスタボがたったひとり舞台に残され、きちんと最後まで
終えてひっこんだ。
クールだよね。
よりかからない、何も。
ベタベタしてない。
一方の私は、ベタベタしてるから「モリッシー!!」って
叫んでばかり。
こんなに近いのに、とっても遠い。あっち側とこっち側。
それが、ファン。ここが、ファンの場所。
もう、徹底的にファンでいてやろうと思った。
アンコール
19 Judy Is a Punk
(Ramones cover)
さらっとまた出て来て、全員でお辞儀して、
さくっとラモーンズをやって帰っていった。
シャツを脱いで、ポーンと投げて。
袖に下がっていく後ろ姿見たら、半ケツだった。
あんな半ケツ、他にない。
「余韻」を許さないほどのあっけない終わり。
見終わった後、ハリウッドの“25Live”の冒頭で、
ラッセル・ブランドが言っていた言葉を思い出したので引用します。
「彼はほんとに超ピュアなアーティストだと思う。
そんなアーティストは、もうこの世の中に、
ほとんどいない。彼が唯一無比。
どこに、彼みたいな魔力を持ってる奴がいる?
彼みたいに神秘的な人、他にはいない。
この何でもさらけ出せばOKみたいな時代に、
自分の表現に対して、こんなにマジな人いる?
ライブを見て、ステージの上で死んだら、本望
なんだろうなこの人!って思える人、他にいる?
多くないよ、そんな人。
だからモリッシーのライブは、特別な経験なんだ。
ライブ会場にいるみんなと一体になってしまえば、
そのすごさが何なのかってわかると思う、きっと」
…はい、すごくわかりました。
そして、横浜キャンセルの不安がつきまといましたが、
モリッシーは決して、日本でライブやるのが嫌とか
そういうんじゃないということもわかりました。
自分の活動がちゃんとできれば、ちゃんと整っていれば、
やるのです。やりたいのだと思います。
モリッシーが、お客さんが、場所が、時間が、すべてが
ひとつの方向を見て、盛り上がっていた。
すごく貴重な体験をした。
一生忘れるわけない。
しばらくは、「モリロス」になる以前にまだ「モリ渦中」
なので、また思いついたことつぶやいたり、
書いたり、会った方とはお話しできればと思います。