Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシーの苦悩と幸福

2012-03-11 20:55:46 | Morrissey Interview

昨日に引き続き、RO69に掲載されたモリッシーインタビュー。

今日の質問は、

「モリッシーにとっての苦悩とは? そしてモリッシーにとっての幸福とは何ですか?」

(あいかわらずのすごい質問…w)

 

<質問>


あなたとあなたの歌と、それを聴くファンの関係は、

他のアーティスのそれとは別物の、強固な絆と熱狂的な信頼

築き上げられています。そんなあなたの聴き手たちというのは、

あなたの歌に、生きていくことの苦しさやどうしようもなさ、

もっと言ってしまえば、自分が自分であることの苦悩

をそこにみているのだと思います。

そこで訊きたいのですが、モリッシーは、モリッシーであることの苦悩を、

どういうものとして感じているのでしょうか。

それとは反対に、モリッシーがモリッシーであることの幸福とは、何ですか。

 

<回答>

 

ぼくは今まで作ってきた音楽のおかげで満足できているんだ。

それ以外には満足している理由なんてないよ。

ほかのソングライターだったら、『まず家族が大事で、妻がいて、

子供たちがいて、山羊がいて、クィーンズ・パーク・レンジャーズFCがいて…

…それと音楽かな』

というようなことを言うものなんだけど、

ぼくはそんな態度を取ったことは一度もないんだ。

ぼくと音楽の間に人間はいない

ぼくがこれまで関わった関係というのは自分の音楽とのものでしかないし、

妻や夫などといったものはそうした献身を

間違いなく台無しにしてしまうようなものなんだ。

ぼくはいつだって人をよく知れば知るほど失望すると学んできたから、

今でもあえて自分の庭の外からは出ないようにしているんだ

それで充分快適にやっていけるしね。

自分のことをフリークスだなんて感じることはまずもってないし。

むしろ、不幸せな状態でつがいを続けている人たちこそ

ぼくにはフリークスとしか思えないよ!」

 

…文中、名言が多すぎるので、太字にしてみました。

まず「自分の庭の外からは出ないようにしている」

は、モリッシーの大好きなオスカー・ワイルドの"The Selfish Giant”

(「わがままな大男」)のイメージ。読んでないひとは、短いから読んでみてね。

この庭で大男と遊ぶ、あの、神様の子になりたい!!

 

「ぼくと音楽の間に人間はいない」。

この言葉の原文が知りたい。

その原文ママを持って友達のお父さん(彫り師)にところに持って行って

かいなってぃーは腕に彫りたいくらい感激しました。。。

「主観AV」でさえ、映像とAV嬢の間には「カメラ」があります!←ちがうか!

しかし、モリッシーと音楽の間には何もない。ていうかモリッシーの音楽こそ、モリッシー。

「存在の耐えられないモリッシー」!!

だからわたしたちは「モリッシー、あんたじゃなきゃ駄目なんだ」(2度目)なんだ。

 

で、自分の音楽に対する献身を台無しにする妻や夫といった存在に対する問題。

モリッシーは"Years of Refusal”のインタビューの時こう言っています。

 

「経験から学んだことは、大人になるというのは苦い体験をし、

自分は孤独、たったひとりで死ぬ…ということに気がつくことだ」

 

死や孤独、様々な問題に対して「執行猶予」など必要ない、

今受け容れ、今さいなまれ、なんの気休めも傷のなめ合いも意味がない

ことをモリッシーは約30年言い続けている。

モリッシーがモリッシーであることは人並みのいわゆる幸福でもなければ不幸でもない、

圧倒的な「事実」なのです!!

 

で、「妻や夫などといったものはそうした献身を間違いなく台無しにしてしまう」で

思い出したのは、かいなってぃーけっこう好きなこのひとのこと。

 

江頭2:50。

 

江頭2:50は彼女を作らない。自分の彼女というだけでかわいそうだし、

その気づかいから、

「世間から笑われて日本の様々な悲しみを癒すという

芸風が変わってしまうかもしれない」から。

生きながら、「孤独」と心中しているもうひとりの漢、えがッシー!!

 

えがッシーとモリッシーふたりは共通点もある。少し。

 

★とりあえず、脱ぐ

 

★腰をくねくね踊り

 

★威嚇。

 

ウホウホウホ!!

 

★転がる

 

 

★金色のお召し物

 

★変顔

 

 でも、元祖えがッシーはこちらかしら??てかどっちが元祖だかwww

 

 

最後は、レディオヘッドの"Lotus Flower"で、トム・ヨーク顔負けのくねくねッシー、

かっこよすぎるえがッシーをお楽しみください★


2011年3月11日の震災後に聞いたViva Hateのこと

2012-03-11 14:32:03 | Morrissey Songs

今日は3月11日。

1年前から今日までのことを考えると、「よく今日になった」という気持ちもするし

まだまだ何ら解決していない問題の数々にどんよりもしたり。

 

震災直後は音楽さえ聞くのを忘れていました。

3月16日くらいになって、やっと、最初に聞いたのがモリッシーの"VIVA HATE"だった。

「元気になる」アルバムなんかではない、もちろんw

でも、本当に励まされた。

その時のことを、前にちょっとやってたブログに書いていたので読み返した。

再掲します。

 

 


「絶望よこんにちは」 (2011年3月17日のブログより)

 

3月11日から、世の中も、みんなも、私も、まったく変わってしまった。

テレビで映る被災地や被災者、原発の様子は、見るたびに血が噴き出るみたいな悲惨さだ。

自分が東京にいたことを、とりあえずよかったとか思えるレベルを超えてる。

どんな立場のひとも、物理的な辛さの量の雲泥の差での違いはあるとは言え、

辛くて不安でたまらないだろう。

音楽を聞くことすら、昨日まで忘れていた。

 

こんな時に何を聞こう…と考える間もなく、Morrissey “Viva Hate”を選んで聞いた。

モリッシーのファーストソロアルバム。ドゥルッティ・コラムのヴィニ・ライリーのギターとの

「なじみ」が悪い気がしてあまり聞いてなかった。

その中の1曲‘Everyday is like Sunday’は、「核爆弾が落ちた後のこの世」という

設定は違うものの、震災後の「今」聞くと心への浸透が違う。

モリッシーの声もヴィニのギターの開き直った明るさは、大気圏すら破壊されたかのような、

私たちが知っているこの世とは決別したような、気がふれた明るさ。


Everyday is like Sunday

Everyday is silent and gray

Truding back over pebbles and sand

and a strange dust lands on your hands

(and on your face)


何を言っても、しても、気休めにしかならない。

そんな今、お仕着せの「希望」より「絶望」のほうがずっと優しいと感じる。

LoveもPeaceもHarmonyも素敵、でもたぶん生まれ変わった世の中ではの話、

ってモリッシーは言ってる。

 

絶望は絶望、他の何にも変換できない。

でも絶望の淵で何を見て、何をするかは自分次第。

わたしはそこでどんなに泣いてても目を開けて、

手のひらに顔の上にふり積もる、モリッシーが言うところの

‘strange dust’が一体なんなんだか、見てやろうと思う。

 


 

 

来る、3月23日に"Viva Hate"は再発されます。

Stephen Streetによってリマスターされた今回の再発盤。

オリジナル盤の中盤に収録されていた

'The Ordinary Boys'が削除され、その代わりに、

2011年の限定7インチ"Glamorous Glue"のB面に収録された

'Treat Me Like a Human Being'("Viva Hate"レコーディング時のアウトテイク曲)

が入っています。

大好きな曲なのでうれしい。これに変えたモリッシーの意図を知りたい。

 

EMIからの1997年の再発時に変更されたアルバムジャケット(なんか雰囲気に合わない

さわやかモリッシーのやつ)はオリジナル版のAnton Corbijnによる写真に戻されており、

ブックレットとスリーブは「未公開の、びっくりするような」写真らしくてはやく見たい。

(また脱いでいるのかしらん?)

 

★表                            ★裏 

表はアルバムタイトルの文字の字体、大きさ、位置が変更。

裏は写真自体が上の写真に変更され、トラックリストなどの記述が写真下部に小さ~くのっているそうです。