かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

土塔と役行者の生誕地と役行者の墓は正三角形を描く

2022-01-29 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年1月29日(土)

役行者の生誕地は、奈良県御所市にある吉祥草寺です。

そして、役行者の墓は、土塔と吉祥草寺とで正三角形(赤色)を描くポイントに造営されました。

その役行者の墓から蘇我入鹿の埋め墓までと土塔までの距離は大まかに二等辺三角形(黄色)を描きます。

そして、土塔から蘇我入鹿の墓(阿武山古墳)までと役行者堂までの距離は共に37.1㎞で、見事に二等辺三角形(青色)を描きます。

まだ皆さんを役行者の墓へはお連れしていませんが、すぐ近くまではお連れしたことはあります。

蘇我入鹿=聖徳太子=第35代皇極天皇の次男として生まれた御子が漢皇子=役行者でした。

このことが分かった上で、できるだけ早いうちに巡礼ツアーを行いたいと思います。


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阿武山古墳は蘇我入鹿の墓であり、土塔は蘇我入鹿の詣り墓と埋め墓を教えていた

2022-01-28 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年1月28日(金)

大阪府堺市中区土塔町にある「土塔」の第一目的は、聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿の詣り墓と埋め墓の位置を教えていた

日本には、埋め墓と詣り墓両墓制がありました。

このような二つの墓を造る風習があるということを知ったのは、昨年のお盆に瀬戸内の岩黒島に泊まったのがきっかけでした。

それまでは、そのようなものは、大王、天皇たちに限られたものだとばかり思っていました。

岩黒島から西に18㎞ほど行ったところに佐柳島という島があって、そこの人達は埋め墓と詣り墓の二つ造る風習があったことを知り、入鹿の埋め墓はどこなのかとづっと頭の片隅にありました。

そしてついにその場所を空海コードでたどり着きました。詳しくは後日にして今日は、基本図形を掲載します。

 

下の図の三点は、黄金比で美しい三角形であるケプラー三角形で位置決めされています。 特別な三角形です。

阿武山古墳は蘇我入鹿の埋め墓である。

そして松尾寺(大和郡山)の補陀落山は蘇我入鹿の詣り墓でした。

堺市の土塔は、その大事な両墓を教えるベンチマークポイントとなるモニュメントでした。


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ベニヤミン族のシンボルである『狼』が出現

2021-09-12 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年9月12日(日)

京丹後市弥栄町鳥取に500mほどの巨大な狼が出現です。

ジャッカルか狐にも見えますが・・。

この地上絵は、蘇我入鹿の墓と、ウガヤのうさぎさんとで、ケプラー三角形となる場所に造営されています。

これは、蘇我入鹿がウガヤの流れであり、ユダヤの12部族で、南のユダ王とともに行動したベニヤミン族にも深く縁を持っていたことを物語ってるようにも思えます。

蘇我入鹿が中大兄皇子と藤原鎌足に殺害された乙巳の変の一つの真相を教えてくれる手がかりとなるようにも思います。

日本に帰ってきたユダヤの北の十部族と南の二部族との争いが日本でも続いていたように推測できそうです。

それにしても、ウガヤうさぎさんは、綺麗に造営されていますねぇ。

 


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蘇我入鹿と投馬国の大王 彌彌のピラミッドと赤十字山

2021-08-07 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年8月7日(土)

赤十字山は大事なベンチマークマウンテンです。

その赤十字山と蘇我入鹿の墓と、投馬国の大王 彌彌のピラミッドの三点は、正五角形の一部に近い綺麗な直角三角形を描きます。

その大事な赤十字山と長老ヶ岳と、移し替えられた藤原鎌足の墓も基本形の2:1:√3の直角三角形を描いていました。

赤十字山とを結ぶ重要な場所に大王や天皇とその親族の墓などの存在をまだまだ見つけることができるような気がします。


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斑鳩寺(兵庫県揖保郡太子町)の三重塔の存在は重大なことを教えています

2021-08-01 04:36:31 | かごめかごめの真実とは

2021年8月1日(日)・・2024年1月17日に前記事を訂正しています。

「矢野さん、斑鳩寺って奈良ではなく太子町にあるんですかぁ」と私。

9月4日のツアーの行程の中に、『斑鳩寺』と書いてあって、私の頭は・・???で、矢野さんに聞いたほどでした。

斑鳩(いかるが)って聞いたら、奈良の斑鳩を思い浮かべませんか。

それで早速、兵庫県揖保郡太子町にある斑鳩寺の三重塔にポイントを打って、私の頭の中に浮かんだのは、奈良斑鳩にある法隆寺の今は無き若草伽藍にポイントを打ちました。

そして、若草伽藍は丹後半島にある秦始皇帝の地下神殿に向けて造営されていましたから、その場所にポイントを打ちました。

そして三点の位置関係を見ると・・、斑鳩寺から若草伽藍までと、秦始皇帝の地下神殿までとは109~111㎞と凡そ同距離で二等辺三角形を描いています。

ここまで隠されたものが浮き上がると、西の比叡山延暦寺と言われる書写山円教寺摩尼殿と秦始皇帝の地下神殿までと、秦始皇帝の地下神殿に向けて若草伽藍を造営した蘇我入鹿の墓(松尾寺補陀落山)との関係を見ることにしました。

そうすると・・思いは的中しました。

書写山円教寺摩尼殿から徐福達が造った秦始皇帝の地下神殿までと、蘇我入鹿の墓である松尾寺の補陀落山までの距離は、共に102.2㎞と見事に同距離です。素晴らしい二等辺三角形です。

ここまでくれば、隠されていた日本の歴史が一気に表に吹き出しそうです。


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蘇我入鹿の墓と天武天皇の墓は、モーセの地下神殿と蛇岩とでそれぞれ直角三角形を描いている

2021-01-30 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年1月30日(土)

モーセの地下神殿蛇岩蘇我入鹿の墓は、基本形である2:1:√3の直角三角形を描いています。

そして、天武天皇の墓は、モーセの地下神殿と蛇岩とで直角三角形を描きます。

蘇我入鹿と天武天皇は父子であり、素戔嗚尊=モーセの直系であると教えています。

 


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蘇我入鹿と天武天皇はモーセの血を強く受け継いでいる

2021-01-22 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年1月22日(金)

モーセの墓とひょうたんの山と天武天皇の墓は、直角三角形を描きます。

京都府京丹波町にある鼓山は、古代日本の国土設計の重要なベンチマークの山です。

この鼓山からひょうたんの山までと蘇我入鹿の墓までは68㎞と同距離で、二等辺三角形を描きます。

このことは、蘇我入鹿と天武天皇はモーセの血を強く受け継いでいることを教えています。

そして、天武天皇は蘇我入鹿の子であることはおいおいと分かってくることでしょう。

それにしてもこの日本列島にご先祖様達は、魚や金魚、うさぎ、鶴と亀、蛇、ひょうたん、十字架など、沢山の地上絵を残しています。

この日本列島に住んだご先祖様たちは、ユニークでおおらかな人たちだったのでしょうねぇ。

その時々のリーダーたちに会ってみたいと思う私です。

鼓山は古墳ですね。


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ひょうたんが出現

2021-01-21 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年1月21日(木)

モーセと言えば、蛇とひょうたんと牛。

丑年に入って兵庫県宍粟市の山(822,5m)に長さ250mほどのひょうたんのコンターライン現れました。

このひょうたんは、モーセの墓と蘇我入鹿の墓と天武天皇の墓と直角三角形を描くポイントに造形されています。

蘇我入鹿と天武天皇のルーツがモーセに行きつくことを教えています。

詳しくは後日に。


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金毘羅宮と松尾寺と宮山

2020-06-16 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

[English]

2020年6月16日(火)

神社本庁激震!“こんぴらさん”が離脱、「本庁は天皇陛下に不敬極まる」のニュース。

 

金毘羅大権現が祀られているお寺は、高野山真言宗松尾寺(まつおじ

松尾寺と言えば、蘇我入鹿の墓がある奈良県大和郡山の松尾寺(まつおでら補陀落山。

不思議なもので、二つの松尾寺と2:1:√3になる地点に、ピタリと岡山県美咲町の『宮山』が位置しています。

この図形の関係性は、偶然とは思えませんねぇ。深い意味がありそうです。


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鬼の俎・雪隠

2020-02-23 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年2月23日(日)

持統天皇陵から周りの風景を見終わって車に乗り込み、

「運転手さん、このあたりに鬼の俎ってありませんでしたかね」と私。

「一度だけ行ったことがありますが・・」と、不安げな声の運転手さん。

途中、案内板を見ていた運転手さんに、「こちらの道をまっすぐ行くとすぐですね」と私。

 

鬼の俎と雪隠は、先ほど立ち寄った持統天皇陵がすぐ先に見える場所でした。

鬼の俎の場所は、実は・・、蘇我入鹿が最後に息を引き取った場所なのでした。

蘇我入鹿の墓は、松尾寺の補陀落山でしたねぇ。  感慨深いものがありましたが、明日香は太古の昔と今もさほど

 

TRACES OF THE PHOENIX 

神一厘の仕組みが始まっている。

 


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3月14日(土) 午前 午後 と邪馬台国オリオン座説出版記念講演会を行います

2020-02-22 05:10:17 | かごめかごめの真実とは

2020年2月22日(土)

3月14日(土) 大阪梅田スカイビル 36Rで、

    邪馬台国オリオン座説出版記念講演会です。

午前の部   

10時受付    10:30~11:45 

オリオン座の山々の磐座  イワクラ学会理事 武部正俊

午後の部    

12:30受付  13:00~14:00  

 播磨国風土記から邪馬台国を読み解く    

              古代史研究家  市川 慎

         14:00~15:00

 邪馬台国オリオン座説           上森三郎

                    休憩

         15:20~16:20

                    質疑

                終了  16:30

申し込みは、T.T.C 迄

 

テラファイトを開発してから宗像大社へと行き、不思議な声を聴いて物語の幕は開いたようでした。

それからいろいろな場所へと、いろいろな人に連れて行かれた後、六甲道の前の事務所で又、不思議な声を聴いて契約を迫られて・・。

不思議な不思議な物語です。

契約した後に、十字架を三つ地図上に描かされて、ほとんどの場所に行かされ、「地下神殿の扉を開け」と生野で穴掘りして・・。

それからほどなくして、八幡山ピラミッドを紹介されていた古代史研究家の市川慎さんとの出会いがありました。

それから数年経って、武部さんを契約の主は私に使わしました。

そして、武部さんとともに誰も知らない行かない山々へと同行してもらいました。

それは、忘れ去られた古代大王たちの墓参りでした。 

卑弥呼の墓、天児屋命の墓 モーセの墓、テラの墓 アブラハムの墓、そしてイエス・キリストの墓、マリアの墓。

懿徳天皇の墓、懿徳天皇の曾孫の墓 卑弥呼の親族の墓。

桓武天皇の墓 空海様の墓 蘇我入鹿の墓 藤原鎌足の移し替えられた墓 天武天皇の墓、斉明天皇の墓 藤原不比等の墓

誰も知らない山の中へと行かされました。・・登らされました。

これらのお墓参りをし終わってやっと、ここに来て、意図的に隠されていた邪馬台国の謎を全て教えられたようです。

凡そ10年が経とうとしています。

そして・・、『邪馬台国オリオン座説』を3月14日に語りたいと思います。

その日には、本も出来上っていることでしょう。

この物語の扉が開かれた場所、宗像大社に今日、報告に参ります。

宗像大社で「よう来たの~~」と待っていたのは、空海様でしたね。

今日は卑弥呼さんと共に、お供の福神様たちが待って居られる御様子です。

私が今まで行けてない、壱岐から呼子、福吉、福岡、香椎、福津と七福神様たちが往来した九州ルートを私に案内してくれるとのことであります。

そして、テラファイトを創るきっかけになった弟の13回忌と、テラファイトコアを創るきっかけになった母の一周忌に手を合わせに故郷、熊本へと参ります。

空海様と共に・・旅をします。

さぁ~身支度して・・と。                                          

 

3月28日(土)は、博多での講演会です!

TRACES OF THE PHOENIX ・・ 先を急がねばなりません。


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蘇我入鹿の終焉の場所と桓武天皇誕生の地さえも分かるようになっていま~~す

2020-01-09 05:31:34 | かごめかごめの真実とは

2020年1月9日(木)

イエス・キリストの墓から蘇我入鹿の墓までと、一番霊山寺までの距離は、共に107㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。

日光寺と八十八番大窪寺と、鬼の俎は直角三角形を描きまます。

蘇我入鹿の墓と桓武天皇の墓と日光寺は、基本形である2:1:√3の直角三角形を描きます。

桓武天皇を祀る桓武伊和神社と桓武天皇の墓と一番霊山寺は、1:1:√2に近い直角三角形を描きます。

そして・・、八十八番大窪寺と蘇我入鹿の墓と、謎である鬼の俎(まないた)は直角三角形を描きます。


私 :「蘇我入鹿さんは鬼の俎のあたりで息を引き取られたのですか」

 主:「どうして分かりましたか」

私 :「蘇我入鹿さんのお墓は松尾寺の補陀落山でしたね」

 主:「んん~~ん、どうして・・!?」

私 :「八十八番大窪寺で手を合わす先はイエス終焉の地でしたね。八十八番は最後の地を教えるんですよね」

   「八十八番大窪寺と蘇我入鹿の墓と鬼の俎は直角三角形を描くんですよね。・・そうでしょう」

 主:「よく分かりましたね」


私 :「ところで、桓武天皇は桓武伊和神社あたりで亡くなったという言い伝えがありますが、違うようですね

 主:「どうしてですか」

私 :「八十八番大窪寺とは図形が描けないんですね。でも一番霊山寺と桓武天皇の墓とでは見事に1:1:√2の直角三角形が描けます」

   「スタートの1番ですから、桓武伊和神社あたりで桓武天皇はお生まれになったと教えていますね」

 主:「よく分かりましたねぇ」

私 :「図形から、イエス・キリストも桓武天皇もそうです!と太鼓判を押しているかのようです」

 主:「でも・・よく解けましたねぇ」


・・と、会話していると・・、何か気になって事務所の外を見ると、一瞬だけ晴れて大きな虹が・・・。

誰かが見ていますねぇ。 聞いています。

そして、必ずグッドタイミングで虹などを見せて「OKです!」とサインをくれます。


「皆さん、外に虹ですよ」と、私。

「わぁ~~綺麗!!」と、皆さんがワイワイガヤガヤ。


この体験を重ねると、実に楽しく嬉しくなります。  

見えない何者かの存在が喜ぶ様を見る時、それはそれは嬉しくも心が喜びに包まれます。

「ありがとうございます。これで良いのですね」と私。

・・すると、一瞬の虹も消えてもとのどんよりとした冬空に戻りました。


この世は、目に見えない世界から見られている世界です!


鬼の俎(おにのまないた)



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桓武天皇の陵墓が六甲山山中に造られていた!! いよいよ『神の戸』が神戸から開かれる!!

2020-01-08 05:20:51 | かごめかごめの真実とは

2020年1月8日(水)

西宮市の夫婦岩は、もう一つ重大なことを教えていた。

それは、六甲山山中に墳長200mほどの第五十代桓武天皇の前方後円墳の存在である。

この前方後円墳は、見事に桓武天皇の墓に向けて造られているが、弘法大師廟と蘇我入鹿の墓と綺麗な直角三角形で造っている様からは、桓武天皇が蘇我入鹿の陵墓として造ったと私には響いてくる。

一つの情報から、神戸の北 六甲山の裏側の丹生山一帯に、それはそれは壮大な大伽藍を擁していたという明要寺があった謎にも結びつきます。

丹生山山頂には未だ登っていませんが、年末、古代史研究家の市川慎さんと会うために、聖地神河へと行く途中に麓まで行って情景を見てきました。


地理院地図の等高線からは、丹生山山頂から陵墓の一部が見て取れることが推測できますし、明要寺が存在していた理由も成り立ちます。

そして、空海様が遣唐使船に乗る前と帰ってきてから立ち寄ったという謂れが在り、空海自作の亀石がある再度山大龍寺が山中の陵墓の南に位置することも納得できます。

空海様の空白年間と行動もこれで完全に説明できます。

私は、神戸淡路大震災も体験しましたが、いよいよ『神の戸』が神戸から開かれるということのようです。

 

 

イエス・キリストの墓藤原不比等の墓と、夫婦岩と夫婦岩が教える桓武・蘇我の陵墓とは直角三角形を描いている。

蘇我入鹿の墓と弘法大師廟と桓武・蘇我の陵墓は、直角三角形を描いている。

そして、蘇我入鹿の墓と天武天皇の墓と天武天皇勅願によって法道仙人開基と言われる日光寺は、2:1:√3を描いている。

桓武・蘇我の陵墓から桓武天皇の墓までと生野の地下神殿入口までは1:1:√2の直角三角形である。

いよいよ世界は『夜明けの晩』に突入です。

かごめかごめの唄は、夜明けの晩に鶴と亀が統べった!と、・・いよいよ最終章です!!




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藤原不比等と稗田阿礼は双子の兄弟だった

2019-12-20 06:05:53 | かごめかごめの真実とは

2019年12月20日(金)

古事記編纂に携わった稗田阿礼は暗殺され、亡骸は外川八幡神社に葬られました。

無惨な殺され方をした蘇我入鹿の亡骸は、松尾寺の補陀落山でした。

稗田阿礼が育てられた場所は、賣太神社(めたじんじゃ)がある稗田環濠集落でした。

そして稗田阿礼の亡骸を葬る場所は、蘇我入鹿の墓賣太神社と等距離になる場所が選定されました。

その場所が外川八幡神社です。

これらのこと全てを知っている行基さんは、蘇我入鹿と稗田阿礼と直角三角形になる場所にお墓を造りました。

藤原不比等の墓と稗田阿礼と神戸市北区の山中にある双子山は、綺麗な直角三角形を描きます。

そして、行基の発願で起工された久修園院(くしゅうおんいん)は、不比等と阿礼が眠る中間点に位置しています。

久修園院もそうでしたが、空海さま所縁の乙訓寺も藤原不比等の墓と双子山とで直角三角形を描きます。

藤原不比等と稗田阿礼は双子の兄弟だった!」と私たちに教えています。

乙訓寺が造られ、空海さまも呼ばれたことは重大です。 

伊保さん、いつも遠くからありがとうございます。

私たちは、素晴らしい旅路を歩んでいますよ。


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乙訓寺が教えるものとは・・

2019-07-01 06:38:22 | かごめかごめの真実とは

2019年7月1日(月)

真言宗豊山派 大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)は長谷寺の末寺で、推古天皇の 勅願で聖徳太子が開いたといわれる乙訓地方最古の寺です。

延暦4年(785)に長岡京の 都造りの中心人物であった藤原種継(たねつぐ)暗殺の疑いで早良親王が幽閉された寺でも あります。また、弘仁2年(811)には空海(弘法大師)が別当に任じられ、訪れた最澄と 密教について法論を交わしたとされています。  ・・長岡京市観光協会webサイトより


乙巳の変で殺された蘇我入鹿は聖徳太子として崇められました。 

その暗殺の宮に居た、のちの斉明天皇の子が天武天皇です。

そして・・天武天皇の父こそ蘇我入鹿なのです。

蘇我入鹿の墓は松尾寺の補陀落山でしたが、その松尾寺から乙訓寺までの距離と天武天皇の墓である衣笠山までは共に凡そ34㎞と同距離です。

この二等辺三角形の図形を「見よ!」と言ってます。

蘇我入鹿の墓には、法隆寺の西円堂から手を合わすように設計されていました。

愛した男性が目の前で殺害されるという乙巳の変はあまりにも惨いショッキングな場面です。

この場面にこそ歴史の真実がありました。

蘇我入鹿を暗殺したのは、これまた斉明天皇の子である中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)です。

歴史では天智天皇の弟が天武天皇となっていますが、実はその逆が真実ということです。

天武天皇が天智天皇より先に生まれています。生みの親は同じですが、父親が違うのです。

天智天皇と藤原鎌足の利害関係は完全に一致していました。

ですから、その後の壬申の乱は起こるべくして起きるのでした。

蘇我入鹿は、マリアの墓イエスの陵墓生野の地下神殿など全て知っていましたね。

下の図形も綺麗な二等辺三角形を描いています。


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