2020年1月8日(水)
西宮市の夫婦岩は、もう一つ重大なことを教えていた。
それは、六甲山山中に墳長200mほどの第五十代桓武天皇の前方後円墳の存在である。
この前方後円墳は、見事に桓武天皇の墓に向けて造られているが、弘法大師廟と蘇我入鹿の墓と綺麗な直角三角形で造っている様からは、桓武天皇が蘇我入鹿の陵墓として造ったと私には響いてくる。
一つの情報から、神戸の北 六甲山の裏側の丹生山一帯に、それはそれは壮大な大伽藍を擁していたという明要寺があった謎にも結びつきます。
丹生山山頂には未だ登っていませんが、年末、古代史研究家の市川慎さんと会うために、聖地神河へと行く途中に麓まで行って情景を見てきました。
地理院地図の等高線からは、丹生山山頂から陵墓の一部が見て取れることが推測できますし、明要寺が存在していた理由も成り立ちます。
そして、空海様が遣唐使船に乗る前と帰ってきてから立ち寄ったという謂れが在り、空海自作の亀石がある再度山大龍寺が山中の陵墓の南に位置することも納得できます。
空海様の空白年間と行動もこれで完全に説明できます。
私は、神戸淡路大震災も体験しましたが、いよいよ『神の戸』が神戸から開かれるということのようです。
イエス・キリストの墓と藤原不比等の墓と、夫婦岩と夫婦岩が教える桓武・蘇我の陵墓とは直角三角形を描いている。
蘇我入鹿の墓と弘法大師廟と桓武・蘇我の陵墓は、直角三角形を描いている。
そして、蘇我入鹿の墓と天武天皇の墓と天武天皇勅願によって法道仙人開基と言われる日光寺は、2:1:√3を描いている。
桓武・蘇我の陵墓から桓武天皇の墓までと生野の地下神殿入口までは1:1:√2の直角三角形である。
いよいよ世界は『夜明けの晩』に突入です。
かごめかごめの唄は、夜明けの晩に鶴と亀が統べった!と、・・いよいよ最終章です!!