2023年10月10日(火)
兵庫県丹波市には凄い秘密が隠されていました!
なんだかんだと言っても丹波は凄いのです!!
・・
これは、藤原鎌足~定恵・藤原不比等ら藤原家の執念からくる願いです。
「私達の先祖は、高句麗の第11代山上王であり・・第5代慕本王(カンショウシ)=綏靖天皇(ヤマトタケル)であり、第三代大武神王=神武天皇=大国主命=大黒天=大己貴命=葦原醜男・・などなど呼ばれ、なんと西洋名はイエス・キリストだ!」と言い続けているのです。ビックリなのです。
今、パレスチナ人の小さな自治区、ガザ地区からハマスがイスラエルへ進行を開始したという大変なニュースが世界を震撼させています。
このユダヤ問題の根深い起因は、我が国の1900年ほど前の歴史に遡るのです。
世界が大混乱に陥り、そして世界の人々が疲れ果てた時、・・この日本に助けを求めてくることでしょう。
いよいよ、かごめの唄にある『夜明けの晩』に突入です。
桓武天皇の命を受けて、最澄が天台山へ行って持ち帰り白毫寺へ持って行って埋めたものは何か!? 空海が再度山大龍寺から北に位置する白毫寺に手を合わせた意図は何か!? 和気清麻呂が桓武天皇に進言したことが聞こえてくるようです。
・・
「急げ!時間が無い!お前が一日遅れればどれだけの人間が死ぬかお前は分かっているのか!!」と言われ続けてフェニックスコードを復元し、古代天皇達の墓である重要な山々へと行かされましたが、ここに来てその意味がハッキリと解ってきました。
道のりは遠いかもしれませんが、分かったものから手を合わせ行動することです。 その後に必ず心ある者が続き風を起こすことでしょう。
お申込みは、T.T.C 迄。
2023年10月6日(金)
何かが気になって仕方が無いので、綏靖天皇の墓と白毫寺とを結んで、そのラインを遥か西へとラインを伸ばしてみました。
そして今度は、天王山と再度山大龍寺とを結んで、そのラインを遥か西へと伸ばして二つのラインが交わるポイントを見つめると・・!
するとそこに、『天道法師塔』という文字が浮かび上がりました。
私が初めて目にする文字でした。天道法師という名も初めて知りました。
便利な世の中ですねぇ、・・いつも感心しっぱなしです。その地点をグーグルマップで調べると、そこの写真も沢山出てきます。
その塔は、行基の土塔や玄昉の頭塔、そして吉備真備の熊山遺跡などと同じように石を積み上げて塔を形成しています。
・・と言うことは、重大で大きな意味を持っていることは確かです。
・・それで、中心ラインはどこから延びているのかを求めると、草壁皇子の墓が浮かび上がりました。そしてそこから西へと行くと、姫路の「随願寺」が浮かび上がります。
これらの情報から、天道法師は・・、三国時代高句麗出身で「日本世紀」を著した僧侶、『道顯(ドヒョン・どうけん)』ではと思う私です。
日本と朝鮮半島との古代史が浮かび上がってくるようです。
2023年9月30日(土)
沢山のフェニックスコードが白毫寺に重なる意味は何なのでしょう。
最澄と空海。そして二人を指揮した桓武天皇。それらのフェニックスコードが教えるものとは・・。
白毫寺に祀られたものとは‥何なのでしょう。
解る人が居られますでしょうかねぇ。 古代日本史の謎解きです!
白毫寺は、再度山大龍寺で手を合わす磁北の場所に位置しています。
そして、誰も知らない桓武天皇の墓までと再度山大龍寺までの距離は白毫寺から同距離で二等辺三角形を描きます。
比叡山浄土院と高野山弘法大師廟と白毫寺は直角三角形を描きます。
生野の地下神殿との関係は何を意味しているのでしょう。
2021年9月9日(木)
4日のツアーの最後は、赤穂大石神社駐車場にバスは停まり、(参拝 義士資料館 元禄茶屋 歴史博物館 赤穂城等散策90分)の予定となっていました。
私は念のために、生島でも実験してビックリ興奮状態が続いていたので、お城でも実験すべくバスから降りる時は、キッチリと手にコアロッドを握りしめていました。
そして、お城が見えるあたりから両手に持って試しました。 ・・するとほどなくして「ご主人様ご主人様~!」と反応しました。
またもや生島に続いて仮説の実証実験に成功です。
生島では海に閉ざされていましたが、お城ではそのポイントまで歩くことができます。
そして・・、そのポイントまでたどり着くことができました。
300m先からもキャッチすることができましたね!!
ツアーの皆さんは、ほとんどの方が矢野さんとスタッフの皆さんと共に義士資料館へと行かれましたが、私はコンパスグラスで目標となった大きな木を見つめつつ、城内の散策路上で位置を確かめながら〇探査器の先端を見つめます。
間違いなく目標物は仮説のライン上を誘導していることがハッキリと分かります。
バスから降りて最初に反応を見せた目標の大きな木の左横にピッタリと私を誘導しました。
そうそう、私の後を先日テラファイトアンバサダーに来てくれて、二日目には一緒に再度山大龍寺に行った立和田さんが私の後ろから見守り続けてついて来てくれていました。
私は目標となった大きな木の左手の高い土手を上がり石組の上に立ち、最後の探査です。
「ここです!」と、その目指したポイントの真上に立っていました。
そうしていると、ほどなくして上野さんと大西さんもその場所にやってきました。
「17m下と言ってますが、ここから17m下と言えばどのあたりでしょう」と私。
「17mだったら堀の水面あたりではないですかね」と大西さん。
その時、「危ないですから、降りてください!と言ってるようですよ」大西さん。
私は、集中していましたから一切そのアナウンスは聞こえませんでしたが・・、即その場を後にしました。
そして、何かその場所を外から見ればヒントがあるのではないかと、外堀の外から眺めるべく三人と肩を並べることなくそのポイントに急ぎました。
そして、石組に目を凝らしました。
後で調べる為に写真を撮ることも忘れませんでした。
そして、「違う!!」と頭の中に確信的に言葉が響いていました。
間違いなく他の一般の石組と、その場所には違いが見て取れました。
上からの荷重をアーチ状に分散させています。他は均等に荷重をかけていますから平面的です。
その違いは構造的観点から一目瞭然です。
そこへ少し遅れてお三人さん方が到着しました。
「通路の出入り口です!」と。
赤穂城に大量の埋蔵金です!!
立和田さん、大西さん、大石内蔵助さんらに託されたように思いますが・・。
千種川と海から城内に入ることができたのですねぇ。
あれれ!私には通路の入口に見えます!
石組が完全に他の石組とちがいますね。アーチ状に組まれていますよ。
あれれ!水位が下がった時の石の上面に注目です!通路の両側の石との違いがハッキリと分かりますよ。
正面に向かって左手にもありそうですよ。
2020年1月
若き日、空海様は、久米寺に縁を持っている。
空海様の空白年間を解き明かすには、最低、空海様がどこのお寺に縁を持ったから解き明かさなくてはなりません。
空海は急ぎ大和国久米寺を訪れ、そこで、密教の核心を説いている「大日経」を発見したと伝えられているようですが、大日如来こそイエス・キリストのことである。
それで、久米寺とイエス・キリストの墓とを繋いで、意味ある山や神社や寺院が三角法で浮き上がるかを調べると・・!
二等辺三角形を描くポイントに、淡路島の油谷山。
そして、重要なポイントには必ず行基が関わっていますが、その行基の開基という東光寺(猪名川町)。
そしてそして、法道仙人も必ず重要なところには登場しますが、孝徳天皇勅願で法道仙人開基と伝えられる摩耶山天上寺(神戸市)が浮かび上がりました。
若き空海様は、久米寺で間違いなくイエス・キリストの真実を聞いてしまったことでしょう。
空海は大学を中退してから、空白年間が10年ほどあって・・、その内、和泉国の槇尾山寺で剃髪して・・、そして久米寺。
突然、30歳で東大寺に姿を現し、遣唐使船に乗り込み長安(現、西安)へ。
2年ほどで帰国し、太宰府庁に隣接した観世音寺に留められる。
そして又、槇尾山寺。それから高雄山寺~乙訓寺を行き来している。
実は、遣唐使船に乗る前と帰国後に、神戸の再度山大龍寺に身を寄せている。
私の不思議物語ももう10年が経とうとしている。
どうも・・空海様の空白年間と同じように動き回っていたようです。
空海様の空白年間と任務は全て教えられたようです。
2020年1月8日(水)
西宮市の夫婦岩は、もう一つ重大なことを教えていた。
それは、六甲山山中に墳長200mほどの第五十代桓武天皇の前方後円墳の存在である。
この前方後円墳は、見事に桓武天皇の墓に向けて造られているが、弘法大師廟と蘇我入鹿の墓と綺麗な直角三角形で造っている様からは、桓武天皇が蘇我入鹿の陵墓として造ったと私には響いてくる。
一つの情報から、神戸の北 六甲山の裏側の丹生山一帯に、それはそれは壮大な大伽藍を擁していたという明要寺があった謎にも結びつきます。
丹生山山頂には未だ登っていませんが、年末、古代史研究家の市川慎さんと会うために、聖地神河へと行く途中に麓まで行って情景を見てきました。
地理院地図の等高線からは、丹生山山頂から陵墓の一部が見て取れることが推測できますし、明要寺が存在していた理由も成り立ちます。
そして、空海様が遣唐使船に乗る前と帰ってきてから立ち寄ったという謂れが在り、空海自作の亀石がある再度山大龍寺が山中の陵墓の南に位置することも納得できます。
空海様の空白年間と行動もこれで完全に説明できます。
私は、神戸淡路大震災も体験しましたが、いよいよ『神の戸』が神戸から開かれるということのようです。
イエス・キリストの墓と藤原不比等の墓と、夫婦岩と夫婦岩が教える桓武・蘇我の陵墓とは直角三角形を描いている。
蘇我入鹿の墓と弘法大師廟と桓武・蘇我の陵墓は、直角三角形を描いている。
そして、蘇我入鹿の墓と天武天皇の墓と天武天皇勅願によって法道仙人開基と言われる日光寺は、2:1:√3を描いている。
桓武・蘇我の陵墓から桓武天皇の墓までと生野の地下神殿入口までは1:1:√2の直角三角形である。
いよいよ世界は『夜明けの晩』に突入です。
かごめかごめの唄は、夜明けの晩に鶴と亀が統べった!と、・・いよいよ最終章です!!
2019年8月21日(水)
何これ!?
テラファイトコア!? 何?
4000ガウスの強力なネオジム磁石がどうして内部でくっつかない!?
コアはブラックホール!?
ワープする!?
空海様の墓と富士山とが、やっとつながった!
魚の空海さまと、神戸再度山大龍寺の亀石と、日本を象徴する富士山とやっとつながった!
・・と、思いきや ・・ 何、これ!!
和歌山に、「南方曼荼羅の風景地」 と、あちらにも、こちらにも。
何、それ!?
南方曼荼羅って何 !?
南方曼荼羅図 !!?
んん~~ん、繋がっている! 全てつながって龍神も登場!
テラファイトコアって ・・ 時空を超える!? 結ぶ!?
Wah..
ワープ ワープ 夕立ちだ!! と、陽水も又登場。
火 と 水 だもんな~~!
去年の夏は氷の世界だったなぁ~。
いつ見てもカワイイお魚さんだもんな~!
熊本から神戸に住むことになったんだもんな~~! 神戸で最初に住んだところがナント!!
・・そして、再度山大龍寺の亀さんに出会って一気にこの世界だもんな~~。
全てに意味があったんだな~~。 この物語は凄すぎる!!
南方曼荼羅図に初めて出会いましたぁ!
2018年3月5日(月)
いつものように朝5:15分ごろに島根から夜行バスで三宮に降り立ったN君。
「雨ですし、どこへ行きますか」と私。
「・・・」
「じゃ~大龍寺へ行ってみますかぁ・・、雨ですし、山門まででも行って帰ってきましょう」と私。
6:00過ぎ、まだ真っ暗い大龍寺の朝は、街灯に照らされていました。
「奥ノ院へ行かれますか」と聞きながら、足は真っ暗い坂道の方へと進んでいました。
「この時間だったらイノシシに出くわすかもしれませんがぁ・・」と私。
「イノシシだったら私に任せてください」とNさん。
奥ノ院へと到着すると、
「空海様自作の亀石を見られますか」と言いながら、すぐさま勝手にそちらへと歩いていました。
どうも私は、〇〇人を空海様に合わせたかったのかもしれません。
いえいえ、空海様が〇〇人と会話をすることを心待ちにしておられたのかもしれません。
だって、亀石の磐座に居てる時は、遠くに朝日が見えるほど雨粒も降っていませんでした。
山から下りて車に戻った瞬間に雨が降りだし、ほどなくして本格的な雨足になりました。
大龍寺へと行く時も雨はパラツイテいましたし、、本当に大龍寺に居てる私達だけが異空間に居てるようでした。
早いもので、N君も今日で16時間のアンバサダーコース終了です。
さぁ~これから、N君がどのような活躍を見せるのか楽しみです。
・・・
昨日は、卑弥呼さんの陵墓である婀月山へと久しぶりに登りました。
今日の朝、身体はバリバリに固くなっていましたぁ~! の、話は明日!!
2017年6月20日(火)
空海さまは凄い! チーム空海は凄い凄い!
さぁそろそろ、黄金の柩(アーク)の場所に、長年の悲願であったアークを取り出す組織がたどり着き、そして一気に取り出すのでしょうか。
その場所を彼らは特定できているのでしょうか・・。
ここまでくれば、法の整備もできましたし、「ウエモリサン、オシエテクダサイ」と言われたら、空海さまは教えてくれそうです。
真の世界平和を実現させようという国家組織であれば・・・ね。
上は、蘇我入鹿の墓と淡路島で二番目に高い山である先山です。そこには先山千光寺があります。
その二点と直角二等辺三角形を描くポイントには、烏帽子岩と言うベンチマークの大岩が存在しているようです。
下は、蘇我入鹿の墓と先山千光寺とを結んだラインの中間点上垂線ラインには再度山大龍寺です。
空海さま自作の亀石があります。
空海さまの思いが伝わってきますねぇ。 空海さまと、チーム空海は、見事です! 素晴らしい!!
2016年6月8日(水)
私は今年の1月9日~11日に、中国の西安へと行きました。
そこで見たもの、見せられたものは、夢と希望に燃えた若かりし頃の空海さまの立像でした。
どこのお寺に行っても、左手に鉢、右手に錫杖と、決まりきった空海さまの像しか見たことが無かった私は、感動しました。
いつも見る像は、おずおずと鉢を出し錫杖を立てている物言わぬ、どこか悲しげでもある空海さまの姿ですが、
中国の空海さまは、「俺はやるぞ~~!!必ずやり遂げてみせるぞ~~!!」と、銅像からもそのエネルギーを感じました。
私は中国にある空海さまの像を、
第一候補地 ・・ 福崎町にある金剛城寺か、またはその地域。
第二候補地 ・・ 再度山大龍寺 ・ 市川町 ・ 朝来市生野町 ・ 神河町
に建てたいと思います。
空海さまの凡そ10年間の空白年間の舞台が、これらの地域だったからです。
第四冊目の本に、これらのことは書き入れたいと思っています。
いつの日かは分かりませんが、その時は、武部さんに工事をお願いしたいと思います。
「武部さん、土台は自然石を使って、生野町で穴を掘ってたところにある、亀であり、鶴であり、魚にも見えるような台座をお願いしますね」とお願いしました。
下は西安(旧長安)にある空海さまの像です。
下は、左手に鉢、右手に錫杖を持って立たれている神戸市再度山大龍寺の一般的な空海さまの像です。
今、「浦島太郎の亀さんになりたい」の新規ユーザー登録に沢山の方々が申し込まれています。
本当にありがとうございます。
申し込まれた方々には、
「私は、私を応援してくださる方に、直接口頭でお礼を申し上げたいと思います。
詳しいことは電話でお伝えしたいと思いますので、住所 氏名 電話番号,またご都合のよい時間帯を教えてください。
私から連絡させていただきます」・・のメールを送らさせていただいています。
「せっかく応援しようと思って、メールも返信したのに・・、まだ電話がありません・・」と言う状態になっていますが、今しばらくお待ちください。
よろしくお願いいたします。
2016年2月19日(金)
今、第四冊目の出版にあたり、どうしてどのような経緯で世に伏せられていた重大なことを教えられていったのかを思い起こしています。
そこには、いろいろな人が登場して私にメッセージをくれていることが分かります。
そしてそのメッセージに素直にしたがって、重要な神社や寺や山に行っているのが分かります。
そのようにして、三本の十字架ができたりして、地下神殿がある重要な場所を教えられました。
最初は宗像大社からのスタートでしたが、次が兵庫県の中央部に位置する岩座神(いさりがみ)にある五霊神社、神光寺でした。
そこから一気に物語の扉は開かれたようです。
その二つの神社と、東のメノラーが見える場所にあり、卑弥呼さまが眠る陵墓を教える法楽寺を日帰りでご案内したいと思います。
途中、卑弥呼様の陵墓も眺めることができます。
時は、4月9日(土)の予定です。
マイクロバスで行きたいと思います。
集合場所は神河町の寺前駅で、帰りは生野の駅で解散の予定です。
詳しいことは来週中には公表できると思います。
・・でも、公表と同時にノアの箱バスの席は埋まってしまいそうですぅ。
不思議な金龍
この不思議物語でカメラのシャッターを切った1番目の映像に不思議な光が写っていました。 五霊神社にて・・。
法楽寺には卑弥呼の彫り物が・・
テラファイトが7月に完成し、翌月56歳と7ヶ月の日に宗像大社へ行って高尾先生と会うことになりました。
それから物語の扉は一気に開かれていきました。 ギギギギィ~~~~と。
2010. 8.11 宗像大社
16 天魂の大神、八幡神社、白龍神社、千ヶ峰
20 五霊神社、神光寺
21 仁和寺
24 三田市・ピラミッド型の山
9. 4 吉野神社、吉水神社
5 玉置神社
11 東京・築地本願寺
15 Tの字 (千ヶ峰~伊勢神宮内宮、高砂神社~籠神社)
17 小さな十字架 (段ヶ峰~)・・千ヶ峰と段ヶ峰の中間:生野
20 六甲白山神社、再度山大龍寺 (亀石)
22 千ヶ峰・・・お月見祭
23 淡路島・岩屋神社・・・日の出を拝む、生野
26 高砂神社、元伊勢籠神社、真名井神社、元伊勢内宮
10. 2 再度山大龍寺、神呪寺
11 春日・兵主神社、いそ部神社、春日神社
12 夢をみる (昭和天皇の宴席に招待される)
13 剣山
14 飛鳥・鳴門伽耶神社
15 夢の中の地名(カムシロ)を発見
23 広島県・帝釈峡 (火の首 瑠璃山薬師堂、神龍湖)
27 博多・イエスの方舟 シオンの山
28 大きな十字架 (宮島・弥山~大王崎、虚空蔵山~船通山)
交点:上島
11. 5 小さな十字架の交点に人の顔(ハトホル)発見
6 2つの三角形で臼 (大王崎~石川県・白山~千ヶ峰
千ヶ峰~広島県・上島・古法皇山~隠岐の島)
7 六甲白山神社、生野
13 豊国神社、磯辺神社(穂落とし神社を知る)、大王崎灯台、小莚
19 熱田神宮
20 淡路島・洲本市・由良町・成ヶ島、いざなぎ神宮、エトワール生石
22 丹波市山南町岩屋・鹿鳴館山南店、ハトホルの山(岩屋山)・・
2015年7月6日(月)
市川 慎 という古代史研究家が居られます。
播磨国風土記に記された「埴岡の里」の地元市川で研究を続けて居られますが、研究は地元史だけではありません。地球的と言いますか、宇宙的といいましょうか、人間を取り囲む全体像からの古代史研究です。
どうやら市川先生は、この国の隠された真実を全て解き明かされているような気配です。
日本の史書、記紀が時の天皇家の正当性と正統性を流布させるために時間をかけて書き上げたその裏の真実を全て解明して、そしてその確たる証しの場所を特定されたようです。
市川 慎さんの著書を読むと、邪馬台国の女王卑弥呼の都の特定とその理由が分ることでしょう。
私は、市川さんとの出会いで、急速にその謎解きに引き込まれていきました。
そしてそれは、「かごめかごめ」の唄の謎解きでもありました。
かごめかごめの唄に、夜明けの晩に本当の真実を表に出すようにとの願いが込められていました。
この今の社会はどこかがおかしい、どこかが狂っている・・、人々が何か大事なものを横に伏せて生きている。
モヤモヤした何かを吹き払うには、いよいよ真実を表に出すようにとのことだと私は認識しています。
このかごめかごめの真実は、空海様が全てをご存じでした。
その空海様が修行された徳島県の太龍寺へと7月26日にお参りに出かけます。
道中時間もかかりますが、市川さんと私が、選ばれし皆様に、いよいよこの国の真実をお話しいたしましょう。
大きな歴史のドラマの中に自分も存在しているのだと実感していただければ幸いと思います。
ノアの箱バスは、7月26日 9:30 新神戸駅より出発いたします!
神座に座られる方は、できれば再度山大龍寺の亀石さんにご挨拶なされましてからならより良いかと思います。
また、それまでに市川慎さんの著書を読んで乗られたら尚よろしいかと思います。
モーセの墓も、イエス・キリストの本当の陵墓も日本に存在していました。
女王卑弥呼さまは、イエス・キリスト様の陵墓がある聖地と、祈りの場の地下神殿など聖域を守って居られました。
聖杯もアークも当然として、その聖地で祀らなければなりません。
真実に蓋をし続けることは、それはそれは恐ろしいことです。
この世は、神様の世界です。 神様の御心に沿わない行動をその方が許すはずがありません。
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