2022年2月15日(火)
謎の継体天皇は、投馬国の首長であり初代出雲(伊投媽)の大王、弥弥(彌彌)の血や、応神天皇の血を受け継いでいると言ってますね。
そして・・、蘇我入鹿は継体天皇の血を引いていると空海コードは教えています。
継体天皇の墓から蘇我入鹿の墓までと比叡山延暦寺までの距離は、共に18.56㎞とピッタリ同距離です。
空海コードと申しますか、天台宗系と真言宗系、修験道達の恐るべし世界があるようです。
天皇たちは、恐るべし掟の世界に亡骸を委ねました。
2022年2月15日(火)
謎の継体天皇は、投馬国の首長であり初代出雲(伊投媽)の大王、弥弥(彌彌)の血や、応神天皇の血を受け継いでいると言ってますね。
そして・・、蘇我入鹿は継体天皇の血を引いていると空海コードは教えています。
継体天皇の墓から蘇我入鹿の墓までと比叡山延暦寺までの距離は、共に18.56㎞とピッタリ同距離です。
空海コードと申しますか、天台宗系と真言宗系、修験道達の恐るべし世界があるようです。
天皇たちは、恐るべし掟の世界に亡骸を委ねました。
2022年1月14日(金)
大和国家のスタートは、投馬国の副官 彌彌那利で、その墓は耳成山でした。
図らずも二つに分かれた流れを一つに戻すかのように、天武系と藤原(天智)系とが先人先輩に誓ったように、見事に正三角形を描いています。
今年は、この大切なトライアングルへと巡礼しなくてはならないようです。
まさに「鶴と亀が統った!」旅を理解あるものたちで行う必要が迫ってきたように思います。
不穏な響きが伝わってきます。
2022年1月13日(木)
魏志倭人伝に記載された女王卑弥呼の時代の重鎮4人のお墓の位置関係図です。
2:1:√3の基本形の直角三角形(黄色)と、二等辺三角形(青色)の組み合わせです。
単純ですが、分かりやすい図形です。
彌彌那利の墓は、耳成山です。 ミミナリ・・分かりやすいですねぇ。
大和国家の礎を築いた重要人物4人のお墓の位置決めは絶妙です。
ここから誰も解き得なかった古代史の謎解きは一気に進むか否か!?
俄然おもしろくなってきましたよ。
ワクワク ドキドキ です!
つづく
2021年11月28日(日)
彌彌のピラミッドからは、幅30mの光波をキャッチしました。
投馬国の首長であり、初代 出雲(伊投媽)国の大王 彌彌のピラミッドは、等高線を見る限り優美で雄大である。
石室の大きさと通路入り口部を一度調査してみたいものですね、武部さん。
黄金の推計5万トンです。エッ! 350🦋円!
2021年9月22日(水)
卑弥呼は男の子を一人授かりました。
そして年頃になって素戔嗚尊直系の里である安栖里からお嫁さんが埴岡の里に嫁いできました。
そしてお嫁さんは、二人の娘さんを授かりました。
卑弥呼の二人の孫娘誕生です。さぞかし可愛かったことでしょう。
卑弥呼61歳で初孫誕生でした。卑弥呼の子24歳の時の話でございます。
長女と次女は4歳違いでした。
下の娘さんには、女 女 男 と三人ができました。この男の子が応神天皇です。33歳の時の子供でした。
そして上の娘さんには、女 女 女 男 男 と5人の子宝に恵まれたが、長女と次男は子供の時に亡くなった。
上の娘の次女が20歳で朝鮮高句麗王に嫁いでいった。この姫君が賀志波比売大神である。嫁ぐまで『栗』で暮らした。
賀志波比売の直系の血を引いていたのが『ジュリアおたあ』である。このことを秀吉も知っていたし家康も知っていた。
高句麗王と賀志波比売との間に生まれた子が、応神天皇の代に19万の民を引き連れて日本にやってきた弓月君こと融通王である。
三女は天皇家に嫁いだ。上の娘の長男が大田田根子である。
18日(土)未明私は突然起こされたようであった。
朝鮮半島あたりで時間調整していたかのように停滞していた台風14号は、一気に関門海峡から瀬戸内に入り込んで、18日未明に朝鮮半島から数々の御霊たち御一行様方をお連れしたようであった。
そして前日まで予定していなかった場所を何者かが突然指定してきた。
「真っ先に卑弥呼の孫のお姉ちゃんの墓に行ってほしい・・」と。
今まで妹と母の墓にはお参りして、お姉さん墓へは気になって気になっていましたが、やっとその時が来たと言うことでした。
いつものように朝方まで打ち水をしていたようだった。
それで、12時に武部さんと網干駅で待ち合わせしていたが、着くなり「急きょ予定変更です。真っ先に卑弥呼の孫のお姉さんのお墓に行かなければなりません」と、ナビにセットするための住所と電話番号を書いたメモを見せました。
そして、一泊二日の〇〇調査の旅がスタートしました。
上の図は、卑弥呼のお嫁さんの墓と卑弥呼の孫の姉の墓と妹の墓である。
見事に二等辺三角形を描いています。そして下の図形は、融通王の墓と融通王の御祖母さんにあたる卑弥呼の孫(姉)の墓と投馬国の王、彌彌の墓とが直角三角形を描いて一点が重なっている図形です。
これらは、意味ある二つの三角形です。
童謡赤とんぼのふる里には曼殊沙華の色を上空まで赤とんぼが飛ばしてくれているようでした。
一般の山とは違って重々しさといいますか、神々しく何とも言えない存在感がある山でした。
頂上より左手に〇〇2mキャッチ!しました。
お墓の磁北には目印の山も在りました。
下の写真は、今日、朝5時過ぎのお月さんです。
下の写真はいつだったかなぁ・・。月はいつ見ても同じ面しか見せてくれませんが、今日のお月さんと見比べると微妙に傾きが違いますねぇ。
それにしても月って不思議ですねぇ。
投馬国の首長、彌彌は、孝安天皇である(2024. 5.25加筆)
2021年4月19日(月)
京都府福知山市の山中にある龍ヶ城と三岳山と居母山の三点は、ケプラー三角形に近い直角三角形を描いています。
そして伏見山(ぶくみやま)と呼ばれる彌彌のピラミッドの位置から、龍ヶ城と三岳山と居母山までの距離は、共に3.17㎞と同距離です。
これはもう、計画的配置の何ものでもありません。
日本最大級のピラミッドである彌彌のピラミッドの調査が来るその日を楽しみにしたいと思います。
自然と合体したピラミッド造りです。
・・
昨日、18日(日)はまかぜ3号に乗って、播但線の車窓からの眺めを楽しんであっという間に寺前駅に着いた。
駅にはいつも通り、市川慎さんが車で待ってくれていた。
そこから『栗』へと行ってもらった。 そして・・私にとって車は初めての山道を登って吸い込まれるように森の中へと上りつめて車のタイヤは空回りして止まってしまった。
私は、そこから誰かに誘われるように一人で車を後にした。
そして下にこんもりとした遥拝の丘の降り口に立って、リックを木の根元に置いてそこから特製の地底探知機を取り出して組み立てた。
逸る気持ちを抑えて、滑らないように遥拝の丘へと探知機を持ちながら下りて行った。
そして・・、静寂な参道のくびれたあたりで静止して参道を直角にゆっくりと探知機を持って横切った。
「きっとある!きっとある!!」と思ってすり足で横切り、もう谷に落ちていくあたりで「反応した!!」
・・大発見!!でした。 もう飛び上がるぐらい一日中興奮しっぱなしでしたぁ。
間違いなく大規模な地下神殿が存在する。
地下神殿への通路の幅は2.5mから3mほどです。わずかの時間に数百メートルは確認しましたから・・、巨大な地下神殿が存在している可能性が・・!!
あらためて、入口あたりを探索に出かけたいと思っています。 ワクワク 💓 ドキドキ 💓💓 です!!
みんなで探検しましょうかねぇ、三津谷君にも探知機をもってもらって・・・。
2021年4月15日(木)
聖武天皇の勅命により行基が創建したという真言宗御室派恵日山 円満院(神通寺)の真北に伏見山(ぶくみやま)は位置しています。
この意味は重大です。
そして、ヤナ谷製鉄遺跡や夜久郷の鉱山にまつわる話など京都府福知山市夜久野町畑の歴史に私は興味をそそられます。
富久貴(ふくみ)の滝にも惹きつけられるものがあります。
この地域の歴史は邪馬台国建国にさかのぼる気がしてなりません。
そして、伏見山の東にそびえる三岳山との間に位置する
の歴史も重要です。
投馬国(つまこく)の大王であり初代出雲の大王、 彌彌(ミミ)のピラミッドである伏見山の歴史が見えてきます。
当然、空海はこの地に来ています。
下の図形は、卑弥呼の時代の重要な立役者である、彌彌 彌彌那利 一大率の墓です。
そして・・コヤネの墓との関係図です。
空海コードは、凄い!
青は、二等辺三角形。赤は、2:1:√3の基本形の図形です。
2021年4月14日(水)
投馬国の大王であり初代出雲の大王、 彌彌(ミミ)のピラミッドは、伏見山(ぶくみやま・710m)と呼ばれています。
伏見山(ぶくみやま・710m)の情報を皆さんの記録からうかがい知ることができます。
... in the air アマチュア無線局JF3FGLのSOTA活動記録の情報。
山であそぼっ さんの情報。
彌彌(ミミ)のピラミッドから卑弥呼の陵墓までと、秦始皇帝の地下神殿までは共に38㎞と同距離です。
全て計画的配置です。
空海コードはまだまだ教えます。
また、皆でお墓参りに行ってピラミッドの入口などを調査したいものですね。
2021年4月13日(火)
投馬国の大王、彌彌が眠る彌彌のピラミッドは、日本最大級のピラミッドではないだろうか。
このピラミッドは、京都府福知山市字中佐々木に存在する標高710mの山です。
この山は、岡山県吉備中央町にある鼓山と福井県福井市末広町の鼓山までとの同距離の位置に存在しています。
偶然にしてはあまりにも・・、なのです。
投馬国の大王 彌彌(ミミ)は、初代出雲(伊投媽)の国の大王でもあるようです。
日本最大級の彌彌のピラミッドは雄大ですね。
石室の大きさと通路入り口部を一度調査してみたいものです。
昨日4月12日(月)で、山の作業はいったん中断しました。後日再会の日まで入口は閉ざしました。
2021年1月16日(土)
三角法で古墳や古い神社を繋いでいくと、山々には古代ピラミッドだらけですよぉ!
投馬国の王、彌彌の親族の墓でしょうか、亀岡にも高さ50m級の大きなピラミッド(墓)が在りますよ。