かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

卑弥呼の嫁と二人の孫娘の墓の位置関係

2023-03-19 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2023年3月19日(日)

播磨稲日大郎媛命の墓

播磨稲日大郎媛命の姉の墓

上の二人の母は、安栖里から卑弥呼の男子のところへと嫁いで来られました。その方の墓との3点は1:1:√2の地点にお墓が造営されました。黄色い直角二等辺三角形です。

薄いブルーの三角形は、その方の故郷である安栖里とを結んだ直角三角形です。 単純ですが、意味ある綺麗な三角形の組み合わせです。


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安栖里の笠福神の場所はどこですかぁ・・?

2022-05-04 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2022年5月4日(水)

安栖里に来ているんですけど・・、笠福神の場所が分かりません」と言われる方、多々あります。

昨日も小谷さんから椿さんの携帯にメールがあったとのことでしたが、メールに気づいたのは1時間後だったので、小谷さんは笠福神に会えなかった御様子。

目標は先ず、安栖里にある道の駅「和」ですね。

そしてそこから、南に大きな交差点があって、南の突き当りの壁際の道を右(西)へと上って行って左にカーブして狭い狭い踏切を渡ります。

ちょっと注意が必要です。そして渡って左にカーブして行きます。そこから三叉路が二つありますがまっすぐ進みます。すると右手に大きな住宅の右手前に消火栓標識が立っています。

祠と消火栓の標識の間に、微笑ましい笠福神は立っていま~~す。

そこまで行かれましたら、「十倉先祖塚」までも手を合わせに行きましょうかね。

安栖里は応神天皇の思い出の地でしたよ。

消火栓が目印になりそうですね。

 


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推古天皇のルーツを辿ると安栖里に行き着きます

2022-03-26 01:27:28 | かごめかごめの真実とは

2022年3月26日(土)

古代史を読み解こうとすると、必ず安栖里を通過しなくてはなりません。

安栖里の地名を知らない人は、まだまだ真実の扉を開くことができません。

推古天皇のルーツを辿ると安栖里に行き着きます。


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やっと卑弥呼の孫(姉)の墓へと行けた

2021-09-22 06:02:37 | かごめかごめの真実とは

2021年9月22日(水)

卑弥呼は男の子を一人授かりました。

そして年頃になって素戔嗚尊直系の里である安栖里からお嫁さんが埴岡の里に嫁いできました。

そしてお嫁さんは、二人の娘さんを授かりました。

卑弥呼の二人の孫娘誕生です。さぞかし可愛かったことでしょう。

卑弥呼61歳で初孫誕生でした。卑弥呼の子24歳の時の話でございます。

長女と次女は4歳違いでした。

下の娘さんには、女 女 男 と三人ができました。この男の子が応神天皇です。33歳の時の子供でした。

そして上の娘さんには、女 女 女 男 男 と5人の子宝に恵まれたが、長女と次男は子供の時に亡くなった。

上の娘の次女が20歳で朝鮮高句麗王に嫁いでいった。この姫君が賀志波比売大神である。嫁ぐまで『』で暮らした。

賀志波比売の直系の血を引いていたのが『ジュリアおたあ』である。このことを秀吉も知っていたし家康も知っていた。

高句麗王と賀志波比売との間に生まれた子が、応神天皇の代に19万の民を引き連れて日本にやってきた弓月君こと融通王である。

三女は天皇家に嫁いだ。上の娘の長男が大田田根子である。

 

18日(土)未明私は突然起こされたようであった。

朝鮮半島あたりで時間調整していたかのように停滞していた台風14号は、一気に関門海峡から瀬戸内に入り込んで、18日未明に朝鮮半島から数々の御霊たち御一行様方をお連れしたようであった。

そして前日まで予定していなかった場所を何者かが突然指定してきた。

「真っ先に卑弥呼の孫のお姉ちゃんの墓に行ってほしい・・」と。

今まで母の墓にはお参りして、お姉さん墓へは気になって気になっていましたが、やっとその時が来たと言うことでした。

いつものように朝方まで打ち水をしていたようだった。

それで、12時に武部さんと網干駅で待ち合わせしていたが、着くなり「急きょ予定変更です。真っ先に卑弥呼の孫のお姉さんのお墓に行かなければなりません」と、ナビにセットするための住所と電話番号を書いたメモを見せました。

そして、一泊二日の〇〇調査の旅がスタートしました。

上の図は、卑弥呼のお嫁さんの墓と卑弥呼の孫の姉の墓と妹の墓である。

見事に二等辺三角形を描いています。そして下の図形は、融通王の墓と融通王の御祖母さんにあたる卑弥呼の孫(姉)の墓と投馬国の王、彌彌の墓とが直角三角形を描いて一点が重なっている図形です。

これらは、意味ある二つの三角形です。

童謡赤とんぼのふる里には曼殊沙華の色を上空まで赤とんぼが飛ばしてくれているようでした。

一般の山とは違って重々しさといいますか、神々しく何とも言えない存在感がある山でした。

頂上より左手に〇〇2mキャッチ!しました。

お墓の磁北には目印の山も在りました。

下の写真は、今日、朝5時過ぎのお月さんです。

下の写真はいつだったかなぁ・・。月はいつ見ても同じ面しか見せてくれませんが、今日のお月さんと見比べると微妙に傾きが違いますねぇ。

それにしても月って不思議ですねぇ。

投馬国の首長、彌彌は、孝安天皇である(2024. 5.25加筆)


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三岳山と三峠と・・聖武天皇の墓と光明皇后の地下神殿と・・愛宕山

2021-04-16 04:45:07 | かごめかごめの真実とは

2021年4月16日(金)

過去、私が建築にたずさわっていた時代に大変お世話になった人に、尊敬する佐々木さんが居てる。

伏見山(ぶくみやま)の東にそびえる三岳山との間にある集落の『佐々木』の文字を見ていると、佐々木さんとの思いでが一つ一つ蘇ってくる。

大変頭が良く、思いやりもあり・・、でも仕事には厳格で絶対に妥協しない厳しさをもっていた人でした。

「私もこのような人になりたい」といつも思っていました。

その佐々木さんに数年前に再会する機会を得た時に、「私のルーツはサンカです」と言われて、「やっぱり!」と隠されている神様にやっと出会ったように思えた瞬間でした。

私は、10年ほど前、このかごめの謎解きを始めさせられたころ、「あなたはサンカの人達に早く出会わなければなりません。この本を読みなさい」と、サンカのことが詳しく書かれた4,5センチもあるような分厚い本を霊能者から突然渡されたこともありました。内容が難しすぎて読み切れず、でも‥サンカの人達は古代から天皇を支えてきた人たちであることをその本によって教えられました。

日本の本当の歴史を知っているサンカの人達は、いつか私の中で憧れの人達になっていきました。

私が小さい頃、お祖父さんが、「家は平家の武士だ!貧しくても誇りを持て!貧しくても他人に施しをせよ!!」と教えられたことと通じるものを感じていました。

ここにきてこの地域の地図を眺めていてそれらが非常にシンクロしてなりません。

この流れも、「私のルーツは秦河勝です。もっと秦河勝とそのルーツを知りたいのです」と、私を先日尋ねられた大倉正之助さんに出会ってからの流れでしたから、これもシンクロしているようなのです。

そして・・、「三岳山」の名前に、「思い出せ、思い出せ・・ミ〇ケ!」と、どこかで声が響くような・・。

「んん~~ん、どこで聞いたんだろう・・、どこか見覚えがあるような、聞いたことがあるような・・??!」。

・・!! 思い出したのが、応神天皇が子供の頃暮らした思い出の地であると教えられた安栖里を訪ねて宿泊した和知の駅前の「料理旅館 角屋」さんの部屋の名前でした。

 

そこで神様が、よ~~く 「見解け!」と言われたことを思い出しました。

泊まれる部屋の4室は、「長老」「愛宕」「三峠」・・そして「鶴亀」でした。

これらの4つは、全て謎解きの神様の暗号で、

「長老」は長老ヶ岳

「愛宕」は愛宕山で、今までに謎は解けていました。

ここにきてやっと「三峠」の意味を神様は教えているようです。

「三峠」と「三岳」が私の頭の中で、パチンと重なりました。

も同じように思えたので、それでさっそく三峠山と三岳山と愛宕山の三点を結んでみると・・、! どうでしょう。

三峠山から三岳山、そして愛宕山まで共に32㎞と同距離で、二等辺三角形を描きます。

こうなれば、俄然マウスは勝手に動き出します。

思い出せ、思い出せ! 聖武天皇の墓だ!

愛宕山に向けて十字架の地下神殿が造られている光明皇后の地下神殿の光明山だ!

結べ、結べ!」と聞こえてきます。

・・ので、結んでみると・・!

三岳山から大本の綾部本部の禁足地である聖武天皇の墓までと、光明皇后の地下神殿までの距離は共に21.6㎞と同距離の二等辺三角形を描きます。

偶然?

このようなことは偶然では起こり得ません。

空海コードは凄すぎる!のです。


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秦河勝のルーツを知りたい

2021-04-06 05:15:30 | かごめかごめの真実とは

2021年4月6日(火)

昨日、4月5日(月)朝9時前に、宮崎君から電話。

「今日は、山ですか?」・・と。

「今日は、事務所です」と私。

「昨日は赤穂に泊まることになりまして、どうしても上森さんにお会いしたいという方が居られまして・・、お連れしてもよいですか」・・と宮崎君。

「良いですよ」

・・と言うことで、お昼過ぎに宮崎君がやってきた。

それからほどなくして、ご夫妻がやって来られた。

出された名刺には、『大倉正之助』。

 

やってこられて、挨拶もそこそこに、近くの焼き肉店へと昼食に。

すぐさま事務所にもどり、話は勝手に進んでいました。

昼食の時もそうでしたが、事務所でも、

「あなた!失礼でしょう・・」と奥様。

何度でも、ご主人様は、シータ波に近いスローα状態で・・。

「良いんですよ、今、神様が来て居られますから・・、私はいつも事務所に来たら眠らされるんです。失礼でもありませんよ」と私。

気遣う奥様に何度となく同じ言葉を言う私でした。

 

んん~~ん、ドラマは急展開の模様です。

大倉さんが見せてくれた家系図の始まりには、『秦河勝』の名前が書いてありました。

丁度一週間前のブログに、秦河勝の墓である赤穂の生島と、聖武天皇の墓と弘法大師廟と卑弥呼の墓のことを書きましたが、そのことから話が始まったようでした。

大倉さんは、昨日4日、日曜日に大避神社での和楽の奉納演奏に来られたとのことで、生島へも渡られたとのことでした。

間違いなく、ルーツを辿れば「秦河勝」のようでしたから、私はいろいろと伝えてあげました。

「秦河勝のご先祖様である弓月王のお母さんの母の墓はどこにあるかご存じですか」

・・「知りません」。

「弓月王のお祖母さんの妹さんの陵墓は、宮内庁が管理しています」

「その方たちの母親の墓は、ここです。2:1:√3の直角三角形を描きます」

「その方は、安栖里から卑弥呼さんの息子の嫁に嫁いで来られました」

「卑弥呼には男の子が一人居ました。そこにモーセの直系の家系であるお姫様が嫁いでこられまして、女の子が二人できました」

「下の娘さんには、女、女、男が生まれまして、その男の子が応神天皇です」

「上の女の子には、女、女、女・・」もう話はついていけませんよね。

「上のお姉さんの子供が、高句麗の王様に嫁がれまして、生まれたのが弓月王です」

「弓月王の母方は、卑弥呼に繋がりイエスの四男で第四代懿徳天皇に繋がり、父方もイエスに繋がり・・」

・・このような話・・、到底、話についていけません。

意識はもう、もうろうとしてしまいます。

当然至極の状態なのでした。

私はこの時、秦河勝と、そのご先祖様である弓月王とを混同して喋っていました。

それをきっかけに次々と大きな発見へと繋がっていきました。

昨日の会話を綴ると、小冊子一冊が出来上がる内容でした。

でも、話の内容から分かったことは、間違いなくバチカンは、イエスの直系である人物たちのことを知っているようです。

本人が知らなくても、バチカンは知っていますね。

だって、ご夫妻は、バチカンの大事な節目の年に、日本代表でバチカンに呼ばれています。

ご本人様たちは、「どうして私たちが招待されたのか分からない」と言って居られましたが、私には十分にそれは理解できます。

 

八木さんの数霊の予告、当たってますよ。

藤田さん、メールありがとうございます。

藤田さんのルーツにまで話は行きつきました。

私との会話からすぐにその方へ電話して居られました。

「電話が通じませんので、メールを入れておきました・・」と。

皆さん、かごめのドラマの中で、台本通りに演じて居られますねぇ。

鎌足公古廟から移し替えられた藤原鎌足の墓の話から、「赤十字山って!?・・あるんですかぁ・・」と驚いておられましたねぇ。

「長老ヶ岳では、宮崎君は不思議な体験をしています。四天王寺で手を合わす先は、その長老ヶ岳です」と。

この国の長老って藤原鎌足であり、その子孫が赤十字と大いに関わっていることを教えています。


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壬申の乱の謎が解けそうだ

2020-11-11 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

[English]

2020年11月11日(火)

先日、額田王の墓へと行った時、お墓の上で中原椿さんが、

「ここは誰の墓ですか?」と。

私は、「エッ!? ぬかたのおおきみ の墓です」と言うと、

「愛知県にも岡崎の近くに額田郡という地域があります」と教えてくれました。

エッ!!」

・・壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)が伊勢、伊賀、美濃、尾張、三河方面に援軍を求めたこと。

そして、これらの地の豪族たちの協力が得られたことが弘文天皇(大友皇子)側に伝わるや、弘文天皇側の従者たちは怯えて戦意を喪失したという。

私には、この謎がづっと頭の片隅にあった。・・「なぜだろう・・??」と。

その謎が、額田王の墓の上で椿さんが発した言葉で、「もしかしたら・・」と、三角法でその謎が解けるのではないかと後日、ネットで「額田郡」の歴史を調べて、地理院地図で調べると、やはり思った通り浮かび上がりました。

それが、下の図形です。 ここから謎の祢がたどれそうです。

額田郡を調べると京ヶ峯という山の存在が浮かび上がりました。

『峯』とは、へブル語でお墓の事ですから、額田王と大いに関わりの深い大部族の首長の墓なのでしょう。

そのような関係から三角法でのもう一点を求めると、安栖里が浮かび上がりました。

安栖里と言えば、卑弥呼の息子の嫁の里で、卑弥呼が岩戸隠れしたあとに応神天皇が幼少の頃に過ごした思い出の地でした。

まさか・・、もしかして・・、と安栖里(500m)の山(墓)と京ヶ峯との二点からタレスの定理で求めるラインを見ていくと、ズバリ天武天皇の墓が存在しています。

このことは、天武天皇と額田王は、濃い血縁関係であることが読み解けます。

 

 


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定恵の墓と光明皇后の墓から安栖里・龍心寺

2020-08-02 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

[English]

2020年8月2日(日)

昨日、定恵の墓へとお墓参りに行きました。

そして今日は、光明皇后のお墓参りである。

・・

「幼稚院を作っておくれ」

定恵の墓と光明皇后の墓との二点のタレスの定理から導き出された場所は、安栖里・龍心寺だった。

そこは、「安栖里村龍心寺幼稚院の開設 : 京都府和知町における我が国最初の公立幼稚園」というタイトルの情報がネットから飛び出してきました。

この情報は本当なのだろうか・・。

本当に我が国最初の公立幼稚園であれば、定恵と光明皇后の秘密と安栖里が古代王家の方々にとっていかに重要な場所であったかの証明となるだろう。

見えないものが見えてくるようである。


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母の日のプレゼントに

2019-05-12 06:16:12 | かごめかごめの真実とは

2019年5月12日(日)

昨日、田舎の兄から電話がかかってきました。

「高価なものをありがとう! 母の日のプレゼントかと思った・・」と兄に言われて初めて母の日を意識しました。

テラファイトコアの誕生物語には、大いに母がかかわっていますので、真っ先に送るべきでしたが、遅くなってしまいました。

「私は、良かよか・・、皆さんに先に渡しなさい」と、近衛兵で出兵したという母の父、田代小次郎さんの性格をよく受け継いでいた母だと私は思っています。

母方の家紋は違い鷹の羽でしたが、上森家は抱き茗荷の家紋でした。

今年3月2日に母は、安栖里から嫁いでこられた御姫様が待っている長谷のお墓へとお参りに行って、お姫様を故郷安栖里へとお連れして宴が終わったころに他界しました。

どうも、安栖里の御姫様たちと共にあの世へと帰られたご様子でした。

母の名は、光子でした。 本当に名前のような人でした。

私は、セミナーで、「私は一切宗教はしていませんし、又、我が家は十字架にかかわる宗教者は誰もいてないのに、地図上に十字架を描かされて・・」と話していましたが、

イエスの生命の樹をいつの日か田舎へと帰って見せた時に、「不思議たいねぇ~、私はここで生まれたば~い」と、生命の樹のいイエソドを指さします。

イエソドは、女性の身体で言えば、まさにあの世から子どもを生み出す大事なところです。

不思議です。そして母は、「私は大牟田で生まれました。そして・・、小学生の頃、親にも兄弟にも誰にも言わず、毎週、近くの教会に通っていました」と話してくれました。

私は、このイエスの生命の樹(カバラ)を地図上に描かされ、全てのセフィロトへと行かされました。

不思議な不思議な物語ですぅ・・。ともあれテラファイトコアをやっと仏壇の前に飾れたようです。

安栖里から嫁いでこられた御姫様とは稲日大郎姫の母で、卑弥呼が入定した後、王家の方々の墓守をされていたことでしょう。



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十倉さんの故郷は、応神天皇の故郷であり応神天皇の御祖母さんの故郷です

2019-04-29 07:04:09 | かごめかごめの真実とは

2019年4月29日(月)

 「今、安栖里に来ているんですが・・、笠福神の場所が探してもわからないんですが・・」と、いつも奥様と一緒に私のブログにでてくる場所を巡っているA木原さん。

安栖里応神天皇の故郷で・・、と道行く人に尋ねてもわかるわけないですよね」と・・。

十倉先祖塚へは行かれましたか」と私。

「最初はわかりませんでしたが、見つけていきました」とAさん。

・・

Aさんは、笠福神を探し出したでしょうかねぇ。

333の山にも上ってみたいと言っていましたが、笠福神に手を合わせたら、333のお墓に手を合わせるようになっています。

Aさんとは、粟〇〇さんで、粟は、「三束の粟を加えた鹿」に繋がり、素戔嗚尊=モーセに繋がります。

十倉さんの先祖塚がある安栖里は、モーセ王族の故郷でもあり、AさんにもそのDNAが流れていることでしょう。


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偶然ではあり得ない情報にビックリ

2019-03-06 18:01:46 | かごめかごめの真実とは

2019年3月7日(木)

「あの~、佐用町の天一神社へ行かれたことはありますか」

「もう一つ、養父市の名草神社はご存じですか」と、初めての方から、どうしても私に伝えたいことがあるので・・、と電話がありました。

そして調べてみると・・、なんと! 天一神社と名草神社と同距離の所に、先週の土曜日、播磨稲日大郎姫命の母のお墓参りと共に、その方の故郷である安栖里へとお連れしたばかりでしたからもうビックリ!です。

偶然ではあり得ない情報に本当にビックリ!です。

実は、女王卑弥呼には男の子が一人生まれました。

そして卑弥呼の息子の嫁にと、素戔嗚尊(モーセ)の流れを色濃く引き継ぐ方々の里である安栖里から御姫様が嫁いで来られました。

卑弥呼が岩戸隠れするときに、卑弥呼の息子と卑弥呼の弟も同行しましたから、嫁となったお姫様は、自分のお墓を、その山が見える場所に造りました。

卑弥呼たちと同行することはできませんでしたが、いつまでもその場所を見守り続けていました。

そしてそのお姫様の御霊を弔い、又、その場所が分かるようにと、出雲大社から持ってこられたという名草神社の三重の塔も意味ある場所に建てられています。

安栖里から嫁いで来られたお姫様は、二人の女の子を授かりました。

その下の娘さんが、播磨稲日大郎姫命であり、その方には、女、女、男の子がありました。

その男の子が第15代応神天皇であります。

稲日大郎姫命のお姉さんのお墓は、母と妹の墓と、1:1:√2となる直角二等辺三角形を描く地点に設けられています。

これらのお墓が、誰のお墓に繋がるかの話は、・・続きます。


長谷川様、あなたの情報は、間違いなく神様からのメッセージでした。

大事な情報をありがとうございました。感謝しています。


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お姫様は宴が終わった頃に・・

2019-03-05 20:40:20 | かごめかごめの真実とは

2019年3月5日(火)

3月2日(土)、やっと1800年ほど前の素戔嗚尊の流れを汲むお姫様のお墓へとお墓参りに行くことが出来ました。

そして、御姫様の故郷である安栖里へとお連れすることが出来ました。

皆さんがお姫様の帰りを待っておられた様子でした。

宴も終わり、そしてお姫様は、やっと安住の世界へと帰って行かれました。 宴が終わった夜8:47分のことでした。




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巨大な龍の背中に乗って下りてきます

2018-02-11 09:17:18 | かごめかごめの真実とは

2018年2月12日(月)

 昨日は東のメノラーへと行きましたが、今日は西のメノラー探索です。

道教の聖地千山に匹敵するような秘境かもしれない市川町の美佐から入って、重要な拠点の探索です。

時間があれば亀ヶ壺の滝の上部にも行けるかもしれません。

このエリアは、正に古代の重要な儀式を執り行う神聖な場所だったことでしょう。

それを証明するものは、神様の木である巨大な榊の原型のメノラーがあり、神様に捧げる神聖なる水を溜める大きな壺が造形されていたり、伝承も残っていることです。

そのエリアに仁徳天皇の父であり、応神天皇の子である絶対的権力者の墓があっても何も不思議ではありません。

当然至極です。

大国主命=イエス・キリストの血を引いた女王卑弥呼は、男の子を生みました。

その男の子にスサノオノミコトの血を引くお嫁さんが、安栖里から現在の神河町の栗に嫁いで来られました。

そのお嫁さんは、2人の女の子を生みました。

その下の女の子は、女、女、男の子を授かりました。

その男の子こそが、応神天皇です。

卑弥呼の居城は、現在の神河町の栗でした。

卑弥呼は、この国が真っ二つに割れて戦が始まる危機的状況を回避するために、2年半ほどかかって自分で陵墓を造営し、自分から進んで陵墓に入って岩戸を閉めさせました。

残った孫娘達は、安全な場所である母親の故郷である安栖里に子供たちを連れて帰って育てました。

応神天皇稜が、安栖里に向けて造営されているのは、そのことを私たちに教えています。

「どうして、イエスの墓や女王卑弥呼の墓などが、神河町一帯にあるのですか」と皆さんが言われますが、その地の北である生野町一帯にこそ、はるか上空からしか見ることができない鶴と亀、龍(玄武)やハトホルなどの巨大な意味ある地上絵が現存し、現代の私たちの奥底に潜む信仰心こそ世界の宗教の原点であり、日本神道の祀り方の原形が、そこ播磨国風土記に記された埴岡の里にあり、そのエリアの山々は琴座やオリオン座、小犬、大犬座など天体の星々を地上の星としてもっと壮大なスケールで布置させ関連性を持たせていました。

誰も消すことが出来ないこの世の真実が地球というキャンパスに描かれていました。


今日は西のメノラーの探索です。

西のメノラーには巨大な龍(蛇)が造形されていますが、稜線の頂からその龍の背中に乗って下りてきます。

龍の背中には何があるのか、頭部には何があるのか楽しみです。

 

どこに龍が造られているか分かりますかぁ!?


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播磨稲日大郎姫命は、卑弥呼の孫娘である

2017-12-08 18:56:59 | かごめかごめの真実とは

2017年12月9日(土)

下の図は、神河町にある重箱石が教える古代王家の方々のルーツと墓の位置を割り出す基本図の一つです。

詳細は省略します。

下図は、秦河勝の墓と播磨稲日大郎姫命の陵墓から割り出される、近親者の墓の位置図です。

秦河勝の墓とされている生島は、代々、秦氏のご先祖様たちが眠る大事な島と言うことでしょう。

上は播磨稲日大郎姫命の姉の墓である。

このポイントから、秦河勝の墓である赤穂の生島までと、神河町の南小田の上にあるイエスの四男で第四代懿徳天皇の墓までは同距離。

そして、このポイントから播磨稲日大郎姫命の陵墓までと、神河町の長谷にある卑弥呼の息子に安栖里から嫁いできたお嫁さんの墓とは、1:1:√2の直角二等辺三角形である。

私には、秦河勝のご先祖様を辿れば、播磨稲日大郎姫命の姉に繋がり、ルーツに懿徳天皇がいることを教えている。

播磨稲日大郎姫と景行天皇との間に、女、女、男が生まれ、その男の子が応神天皇でしたから、応神天皇と秦河勝のご先祖様はいとこ同士ということでした。

ですから、歴史の上でも、応神天皇の代に19万の民を従えて秦河勝のご先祖様が日本へとやってきたことは納得がいくし、又、秦河勝のご先祖様達、秦氏は京の都の建設に多大な貢献をしていますが、晩年は赤穂に移り住み、お墓が兵庫県赤穂市の生島にあることも理解できます。

彼ら古代王家の人達は、どんな政変劇があっても、その先祖の大事な大事なご先祖様たちが眠る、女王卑弥呼や大国主命=イエス・キリストの墓に辿りつくように、この大地に、そして山頂に三角法を駆使して造っていました。

崇める という字は、このことを教えていますし、

祟る という字も又、このことを教えています。

御霊は、山の上に祀られていると言うことです。

特に神河町の方々は、朝な夕なに山に向かって手を合わされることを望みます。


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継体天皇の陵墓

2017-11-30 10:14:44 | かごめかごめの真実とは

2017年11月30日(木)

26日(日)に神戸でセミナーがありましたが、その時、とあることで「許せない!」と大きな声で語気を強めて叫んだ私でした。

その瞬間、応神天皇陵がある堺市から来られていたSさんが、突然嘔吐されました。

いえいえ厳密に言えば、Sさんの異変から私の口を使って、言ったのかもしれません。

「許せない!」と。

いつも私はSさんに、「あなたはイエスの血を濃く受け継いでいますね」と言いますが、応神天皇はまさにイエスの直系です。

第15代応神天皇は、私が教えられていることでは、景行天皇と播磨稲日大郎姫命との間に、女 女 男と三人の子供に恵まれましたが、その男の子が応神天皇です。

世の人達が教えらていることは、全く違った世界のお話のようです。

卑弥呼さんは、男の子を一人儲けましたが、お嫁さんは、素戔嗚命の血をくむ安栖里から現在の神河へと嫁がれてきました。

そしてその間に、2人の娘子が誕生しました。その妹にあたる子が播磨稲日大郎姫命です。

お姉さんと妹とお母さんのお墓の三点を結ぶと綺麗な直角二等辺三角形を描きます。

卑弥呼さんの岩戸隠れに同行したのは、卑弥呼の一人息子と弟でした。

ですから、息子の嫁である播磨稲日大郎姫命の母は、卑弥呼の陵墓から北北西の山の上にお墓を造りました。

いつまでもそこから見える場所にとどまっていたかったのでしょうね。

応神天皇のご先祖様達が眠る王家の丘に、自分も共に眠りたいと思うのは至極当然のことです。

応神天皇もご先祖様達のお墓参りを欠かすことがなかったことでしょう。

そしてこの祀りごとは、第50代桓武天皇の時代に一度仕切り直しをして、最澄、空海さま達に祀りごとを託していました。

その後も、弟子たちがそれを受け継ぎ、天皇家の人々の御霊を供養し続けてきました。

それが・・「何だ! 許せない!!」と、応神天皇が大変に激怒されたご様子でした。

Sさん、お役目、御勤めご苦労様でした。

次の日から、ずっと応神天皇とかかわりのあった人達の陵墓を、三角法で教えられ続けました。

・・・

2022年5月  今城塚古墳は義慈王=舒明天皇の御陵でした。

イエス王家の血を引く方々は、自分のお墓をどこに造営するか、又は、別に本当の亡骸をどこに埋めるかで、そのルーツを追いかけることができるようにしていました。

これは、厳格で厳密です。

このようなことから応神天皇の5代直系と言われる継体天皇の陵墓は、今城塚古墳が正解です。

だれも知る由もない、応神天皇の亡骸が入れられたという神河町にある山の三角点からマリアの墓までの距離と、今城塚古墳までの距離は、共に80.30㎞と全く同じです。

そして、今城塚古墳が向いている方角は、神河町に眠る応神天皇の亡骸が埋められた場所にキッチリと向けて造営されています。

宮内庁が継体天皇の陵墓と言っている近くの太田三丁目の陵墓は、王家の方々が真のルーツを教える法則に一切合致していません。

間違っています。

「継体天皇の陵墓は、今城塚古墳が正しい!」と王家の方々が伝承した法則は教えています。

又、マリアの墓継体天皇の陵墓である今城塚古墳との丁度中間点に甲山があります。

この山も間違いなく意味ある場所に人工的に築かれた山であることは間違いありません。


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