2022年5月13日(金)
ありがたいメールをいただきました。
Subject: 四天王寺に行って来ました。
毎日ブログを楽しみに拝見させて頂いています!
守屋祠は毎月22日だけ開放されています。
用明殿が新しく出来ていたのですが…やっと納得が出来ました!
ありがとうございました。
ツアーを楽しみにしています。 村上史江
村上さん、ありがとうございました。
2022年5月8日(日)
藤原鎌足の墓は、鎌足公古廟から東南東14.88㎞の場所に移されている。
その移し替えられた藤原鎌足の墓から天智天皇の墓までは、36.52㎞。舒明天皇陵までは35.52㎞。斉明天皇の墓までは38.16㎞。
これら4点の関係図はコンパスを想起させる。
そして、四天王寺から手を合わせ崇める山が長老ヶ岳であるが、その長老ヶ岳と藤原鎌足の墓と、その二点から求められる2:1:√3の地点に赤十字山がある。
偶然にしてはあまりにも・・なのです。
フリーメーソンリーのシンボルと言えば、コンパスと定規ですが、やっぱり藤原君がフリーメーソンの核になっていましたねぇ。
2022年4月26日(火)
昨日は朝から一日中、取材で事務所を不在にしていました。
テラファイト卑弥呼を購入して、水を変えたら今までにない美味しいパンができるようになったという神戸のパン屋さんに取材に行って、そしてそれから内藤さんの案内で神河町まで行きました。
二件目は、自給自足の時代が来たとしても皆で助け合っていけるようにと神河町の奥猪篠で芋類を植えに行った場所へと、二件目の取材の場所がその場所でした。
いつ見ても卑弥呼の墓が一番きれいに見える場所での取材でした。
取材を終えて、寺前の駅から特急はまかぜに乗れるように内藤さんに送ってもらって、事務所に着いたのが夕方の5時丁度の時間でした。
・・すると、机の上にコピーされた情報が置いてありました。
篠原千恵子さんからのものでした。その一つが下の新聞記事のコピーでした。
これはなかなか、スルー出来ない情報ですよ。 私には有難いありがたい内容です。
大阪にある四天王寺に武部さんに連れて行ってもらった時に、「物部守屋を祀っているんですよ」と言って、そのお堂に連れて行かれたんですがその時は、工事中で見ることができませんでしたが、武部さんが私にメールでその時、写真を送ってくれました。この武部さんの話と、下の新聞の記事と、私が空海コードで教えられた聖徳太子=蘇我入鹿=皇極天皇の父親は、「物部守屋だった!」という教えと全て重なります。
そして四天王寺で手を合わせる先は、長老ヶ岳という山でありその長老とは、物部守屋=用明天皇だと空海コードが語るその教えと、下の新聞の記事の内容には心が嬉しくも温まるものでした。
「かっての敵へなぜ祈る?」という疑問は、本当のことを今まで教育の場で教えてこなかったということなのです。
数年前に突然として、各大手新聞に一斉に「教育の場で聖徳太子とう人物名は使わないようななる」という記事に対して一斉にブーイングがあがってその意図は現在実行されていませんが、そろそろ歴史の嘘と真実が表にあきらかになる時期に来たということのようです。
四天王寺は聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿の父であり長老と尊ばれた物部守屋(用明天皇)を祀った寺院であることをわかった上で、どうぞ多くの方々にお参りに行ってほしいと私は強く願います。 どうぞ、御参りくださいませ。
四天王寺には物部守屋を祀る祠があると武部さんが教えてくれました。
2022年4月6日(水)
5月28日に役行者ゆかりの地であり絶対的ベンチマークポイントの役行者堂へと行きます。
以前このポイントから比叡山延暦寺根本中堂とイエス・キリストの墓とで正三角形を描いていることを知らされましたが、今度はもっと大きな正三角形が現れました。
この国の『長老とは誰だ!』と役行者は言ってますよ。
役行者の父は、聖徳太子=蘇我入鹿=皇極天皇でしたが、その聖徳太子が建立した四天王寺で手を合わせて祈る場所は『長老ヶ岳』でした。
四天王寺の場所と建築配置は絶妙な設計の上に造営されています。
役行者は、『お祖父さんが長老だ!』とおっしゃっていますが・・、お祖父さんって誰!? つづく
2022年2月25日(金)
四天王寺の建築配置は、長老ヶ岳に手を合わせるように造営されています。
その長老ヶ岳のコンターラインは、ヘビの鎌首をあしらっていました。
そして、推古天皇陵と長老ヶ岳とを結んだライン上に蘇我入鹿の亡骸は埋葬されました。
そして推古天皇陵、蘇我入鹿の墓とヘビの鎌首をあしらった長老ヶ岳のラインと直角に西へ行った場所に、巨大な蛇の地上絵をあしらった段ヶ峰があります。
段ヶ峰は、ユダヤの12部族の中で、王様の北、あるいは頭上を守護する任務であるシンボルがマムシのダン族の墓です。
峰はへブル語でお墓の意味であり、段ヶ峰はダン族のお墓という意味です。
推古天皇陵と長老ヶ岳と段ヶ峰は、ケプラー三角形を描きます。
そして、蘇我入鹿は、長老ヶ岳と段ヶ峰との三点で正五角形の一部となる三角形のポイントに決められました。
四天王寺の建築の流れからして、これらの場所の決定と配置から、長老ヶ岳のコンターラインが蛇の鎌首をあしらっていることが言いきれます。
そして、女性初の天皇である推古天皇も第35代皇極天皇であり聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿もユダヤのダン族の血脈であることをはっきりと言い示しています。
乙巳の変というクーデターの一つの要因は、大いにユダヤの部族闘争にあるようです。
我国も含め世界の紛争の歴史の中で、大いにマムシのダン族に由来するように思う私です。
クリミヤ紛争の底流に、そしてこれから各地域で起き出す世界紛争の底流にマムシのダン族の闘争心を感じるのは私だけでしょうか。
夜明けの晩に突入です。
そこで・・、私の役割は・・、私の存在は・・。
でも・・地上絵はグーグルマップからは見えないように改ざんされてしまいました。
2021年4月6日(火)
昨日、4月5日(月)朝9時前に、宮崎君から電話。
「今日は、山ですか?」・・と。
「今日は、事務所です」と私。
「昨日は赤穂に泊まることになりまして、どうしても上森さんにお会いしたいという方が居られまして・・、お連れしてもよいですか」・・と宮崎君。
「良いですよ」
・・と言うことで、お昼過ぎに宮崎君がやってきた。
それからほどなくして、ご夫妻がやって来られた。
出された名刺には、『大倉正之助』。
やってこられて、挨拶もそこそこに、近くの焼き肉店へと昼食に。
すぐさま事務所にもどり、話は勝手に進んでいました。
昼食の時もそうでしたが、事務所でも、
「あなた!失礼でしょう・・」と奥様。
何度でも、ご主人様は、シータ波に近いスローα状態で・・。
「良いんですよ、今、神様が来て居られますから・・、私はいつも事務所に来たら眠らされるんです。失礼でもありませんよ」と私。
気遣う奥様に何度となく同じ言葉を言う私でした。
んん~~ん、ドラマは急展開の模様です。
大倉さんが見せてくれた家系図の始まりには、『秦河勝』の名前が書いてありました。
丁度一週間前のブログに、秦河勝の墓である赤穂の生島と、聖武天皇の墓と弘法大師廟と卑弥呼の墓のことを書きましたが、そのことから話が始まったようでした。
大倉さんは、昨日4日、日曜日に大避神社での和楽の奉納演奏に来られたとのことで、生島へも渡られたとのことでした。
間違いなく、ルーツを辿れば「秦河勝」のようでしたから、私はいろいろと伝えてあげました。
「秦河勝のご先祖様である弓月王のお母さんの母の墓はどこにあるかご存じですか」
・・「知りません」。
「弓月王のお祖母さんの妹さんの陵墓は、宮内庁が管理しています」
「その方たちの母親の墓は、ここです。2:1:√3の直角三角形を描きます」
「その方は、安栖里から卑弥呼さんの息子の嫁に嫁いで来られました」
「卑弥呼には男の子が一人居ました。そこにモーセの直系の家系であるお姫様が嫁いでこられまして、女の子が二人できました」
「下の娘さんには、女、女、男が生まれまして、その男の子が応神天皇です」
「上の女の子には、女、女、女・・」もう話はついていけませんよね。
「上のお姉さんの子供が、高句麗の王様に嫁がれまして、生まれたのが弓月王です」
「弓月王の母方は、卑弥呼に繋がりイエスの四男で第四代懿徳天皇に繋がり、父方もイエスに繋がり・・」
・・このような話・・、到底、話についていけません。
意識はもう、もうろうとしてしまいます。
当然至極の状態なのでした。
私はこの時、秦河勝と、そのご先祖様である弓月王とを混同して喋っていました。
それをきっかけに次々と大きな発見へと繋がっていきました。
昨日の会話を綴ると、小冊子一冊が出来上がる内容でした。
でも、話の内容から分かったことは、間違いなくバチカンは、イエスの直系である人物たちのことを知っているようです。
本人が知らなくても、バチカンは知っていますね。
だって、ご夫妻は、バチカンの大事な節目の年に、日本代表でバチカンに呼ばれています。
ご本人様たちは、「どうして私たちが招待されたのか分からない」と言って居られましたが、私には十分にそれは理解できます。
八木さんの数霊の予告、当たってますよ。
藤田さん、メールありがとうございます。
藤田さんのルーツにまで話は行きつきました。
私との会話からすぐにその方へ電話して居られました。
「電話が通じませんので、メールを入れておきました・・」と。
皆さん、かごめのドラマの中で、台本通りに演じて居られますねぇ。
鎌足公古廟から移し替えられた藤原鎌足の墓の話から、「赤十字山って!?・・あるんですかぁ・・」と驚いておられましたねぇ。
「長老ヶ岳では、宮崎君は不思議な体験をしています。四天王寺で手を合わす先は、その長老ヶ岳です」と。
この国の長老って藤原鎌足であり、その子孫が赤十字と大いに関わっていることを教えています。
2020年12月12日(土)
法隆寺の五重塔と四天王寺の五重塔と醍醐寺の五重塔の三点は、見事に直角三角形を描いています。
法隆寺と四天王寺と平等院鳳凰堂も直角三角形を描きます。
これらは偶然にできるものでもありませんし、計画的配置と言えるものでしょう。
こう考えると、四天王寺と法隆寺の五重塔から浮かび上がるもう一点のどこかに大事な点があるはずです。
ありました! でも・・言えません。書けません。
明日のツアーで話するのか・・、しないのか。
もうちょっと伏せておくのか・・。
法隆寺五重塔には何がありましたかぁ~!?
さぁ~明日、194!
2020年12月10日(木)
不思議とツアー前に発見があります。
ツアーの資料を矢野さんがいつも作ってくれますが、私がどうして藤原不比等の墓を探すことができたのかは、「興福寺北円堂は藤原不比等の一周忌に際して創建されたんです」と矢野さんの教えてもらってからでした。
そのことを昨日の朝、矢野さんと会話していて、またまた響いてきたようで、
興福寺五重塔の意味は・・?
四天王寺五重塔の意味は・・?
高野山金剛峯寺根本大塔の意味は・・?
・・と、どこからか問われたようで、地理院地図にその3点を結んでみると・・!!
どうでしょう、三点は見事に2:1:√3の基本形である直角三角形です。
もうビックリです。 ビックリ ビックリ ビックリです!!
このビックリは、それで終わることなく、 もうビックリ ビックリの連続でした。
「法隆寺の五重塔には何がありましたか!?」・・とも響いてきましたよぉ!
でも・・
ここでは書けません。教えられません。到底書けません。
ああ~~~、早くみんなに話した~~~い! という大発見でした。
今度のツアーの資料の内容はスゴイ! 凄い! 凄すぎる~~~!!
こんなこと書いていいの~~?!
・・・・というお話は、ツアーのバスの中で話してみたいと思いま~~す。
2020年9月17日(木)
12日(土)、橘三千代の墓参りを済ませてから、釈迦山百済寺へと行った。
武部さんもうなるほどの立派な庭園がそこにはあった。
武部さんが庭園の散策をしている間、私は、足を休める唯一のひと時を、販売されていた餌を全て買って鯉に餌をやって楽しんだ。
武部さんは元気である。
開園時間も少なくなって、本堂に行く時間も無理なほどであったが、上って行った。
そして私は、コンパスグラスで建物の角度を計測した。
本堂では、私たちが来るのを連絡を受けていたようで、係の人が戸締りするのを待っていてくれた。
私は本堂の中に入って、ひと時正座してそして両手をついてごご本尊さまに深々頭を垂れて挨拶をした。
本堂は241°に向けて建っていた。人は61°に向かって手を合わすが、ご本尊様は241°方向を見つめていた。
ご本尊様が見つめ見守っている先には、四天王寺があり、光明皇后の地下神殿と百済寺と四天王寺の三点は、直角三角形を描いている。
又、光明皇后の地下神殿と百済寺と東大寺大仏殿の三点も直角三角形を描いている。
これは、計画的配置である。
2020年5月3日(日)
ちょうど1年前の5月3日でしたね。藤原不比等公千三百年御遠忌に行って、不思議な体験をしたのは・・。
その日からさかのぼること2ヶ月半ほど前でしようか・・。
藤原不比等公の墓を特定できたのは、武部さんが昨年2月21日のプログに四天王寺のことを書いたことがきっかけでした。
そのブログの中で、太安萬侶の墓のことを武部さんが書いていたことでした。 そこから一気に不比等公の墓が特定できました。
昨年の3月の中ほどだったと思います。
私の2019年3月17日のブログに、『藤原不比等の墓もあった!』と書いています。
そして、3月19日、20日のブログに初めて藤原不比等公の墓の位置を示した図形を載せました。
今日で一年かぁ・・、龍神様~~~、弥勒様~~~、「もうおうちから皆さんを出してもらっても良いのではないでしょうかねぇ」。
2019年12月7日(土)
今日、藤原不比等公のお墓に全国から集まられた方々をご案内します。
さぞかし見えない世界の方々は、向こうから見て居られ喜ばれることでしょう。
何枚もの図形を時系列で並べてみましたが、どのような流れでお墓を発見し、そのポイントがゆるぎないものになって行ったかを知ることができます。
思い起こせば、法隆寺の謎解きから四天王寺の謎解きへと発展して行き、そこで武部さんのブログの「太安万侶の墓」が四天王寺と天照大神の墓である神野山を結んだライン上にあるという内容がきっかけでした。
太安万侶は古事記を編纂した人物ですから、不比等君と時間をかけていろいろ画策していると思われますから、太安万侶の墓が必ず不比等君のお墓を教えてくれると思いました。
そしてその閃きは正しいものでした。
それは、この大地に三角法で全てが網羅されていますから、父である藤原鎌足の墓や、同じ時代に生きた大友皇子(弘文天皇)の終焉の地や、先人先輩たちが残してくれた歴史の真実を全てしっていた空海様が開いた高野山の金堂や大師廟とを結べば必ず浮かび上がることが想像できましたからそれは、いともたやすいことでした。
求めるお墓の位置は、すぐに求められました。
これら一連の流れから、素晴らしい神々の計画を垣間見ることができます。
今日、勇気ある方々と真っ先に感謝の足跡を残してきます!
2019年12月2日(月)
長老ヶ岳のコンターラインは、「鎌」の形になっています。
四天王寺で手を合わせて祈る先は、この鎌ヶ岳です。
四天王寺の設計の最大の意図は、鎌ヶ岳に人々が手を合わせて祈る配置でした。
又、 法隆寺五重塔の相輪には1.2mの4本の鎌が飾られていました。
そして法隆寺の八角堂の夢殿は、藤原鎌足公古廟から移し替えられた藤原鎌足の墓に手を合わせるようになっていました。
これら二つの寺院は、藤原鎌足を尊崇する設計となっています。
藤原鎌足は、「長老」であり、長老ヶ岳と鎌足の長男定恵と次男不比等の墓の三点は、正三角形の一部をなす36度54度90度の直角三角形を描きます。
そして移し替えられた藤原鎌足と定恵と不比等の三人の墓は、夜空に輝く夏の大三角形の角度の配置となっています。
これらのことが描ける配置を作るには、偶然ではありえず、時間をかけた大いなる強い意志が伝わってきます。
2019年11月27日(水)
23日(土) 高貴な人が眠る大事な古墳である山を見る為に、麓の観福寺の電話番号をカーナビにセットして神戸から車を走らせました。
どうして行ったのか!?
・・それは・・、四天王寺で手を合わす先は、鎌の形をしたコンタラインの長老ヶ岳でした。
その長老ヶ岳と鎌ヶ岳にある藤原不比等の墓と、36度54度90度の正五角形の一部をなす綺麗な直角三角形を描く場所に、前方後円墳があり、その山裾に、観福寺があったからです。
今年の春、藤原不比等公1300年法要に呼ばれるにあたり、藤原不比等の墓の特定をし、それに続いて、長男の定恵の足取りを追い求めていました。
そのきっかけになったのは、定恵にまつわる山梨県早川町の西山温泉でした。
そのような流れから、定恵の墓が浮かび上がってきました。
以前私は、紀貫之の墓が、どうして比叡山延暦寺根本中堂の東の山中にあるのかが不思議でなりませんでしたが、ここに来て、紀貫之は定恵の秘密も全て知っていたということが証明されそうです。
梵字の「ア」「ウン」には大きな意味を感じます。
小さいですが、「ホ・キ」の山もありました。(下)
2019年9月7日(土)
私にはいつの間にか、もうクセが付いてしまいました。
事故や事件、地震や火山噴火、そして大雨や台風など・・、
隠された我が国の真実の歴史を教えるべく、大王や天皇、そして賢者達の墓とその霊ラインを教える為の現象と映ります。
京急線の事故がニュースで知らされるなり、身体はとっさにパソコンに向かい、国土地理院地図を開いて、事故現場を印します。
そしてその事象が何を私に訴えているのかの意味を解きます。
今回も見事です。
京急線事故現場と空海の墓を結んで同距離地点に何があるのかを調べると、京都府にある長老ヶ岳です。
長老ヶ岳から376㎞~378㎞に両地点があります。
最近の私は、空海様の墓の立証作業を行っていますが、そのことの証明を藤原不比等君が「それで良し!」と言ってるようです。
藤原不比等の墓は、京都府南丹市の鎌ヶ岳に在ります。 「鎌」です。
その不比等君の墓からコンパスグラスで340度方向へ24㎞の地点に長老ヶ岳があります。
この長老ヶ岳は、「鎌」の形のコンターラインをしています。これはもうそのように造形されたものと私には映ります。
だって先人達は、魚を描いたり、ウサギを描いたりしているんですから、鎌は容易いでしょう。
「何、容易いだと!バカ者!!」と怒られそうですが、間違いなく苦心して山を造成、整形しています。
そしてその場所に大勢の民たちが手を合わすように、仕掛けをしました。
それは・・、四天王寺から手を合わせるように設計しました。
大阪の四天王寺は、コンパスグラスで4度に手を合わせるように設計されています。
そうです、四天王寺から長老ヶ岳に手を合わせる設計と配置がなされています。
そして基軸から90度の方向に、奈良県の山添村にある神野山です。
この神野山こそ、わが国で祀る天照大御神であり、アブラハムの父租テラの墓なのです。
見事な位置決めと設計の意図が四天王寺の建築にはなされています。
そして長老ヶ岳が教えるものとは・・、あまりにもドラマです!
凄すぎます!!
早、11月のツアーは満席状態です。 女性はキャンセル待ちで、男性があと若干名という状態です。