2019年5月12日(日)
昨日、田舎の兄から電話がかかってきました。
「高価なものをありがとう! 母の日のプレゼントかと思った・・」と兄に言われて初めて母の日を意識しました。
テラファイトコアの誕生物語には、大いに母がかかわっていますので、真っ先に送るべきでしたが、遅くなってしまいました。
「私は、良かよか・・、皆さんに先に渡しなさい」と、近衛兵で出兵したという母の父、田代小次郎さんの性格をよく受け継いでいた母だと私は思っています。
母方の家紋は違い鷹の羽でしたが、上森家は抱き茗荷の家紋でした。
今年3月2日に母は、安栖里から嫁いでこられた御姫様が待っている長谷のお墓へとお参りに行って、お姫様を故郷安栖里へとお連れして宴が終わったころに他界しました。
どうも、安栖里の御姫様たちと共にあの世へと帰られたご様子でした。
母の名は、光子でした。 本当に名前のような人でした。
私は、セミナーで、「私は一切宗教はしていませんし、又、我が家は十字架にかかわる宗教者は誰もいてないのに、地図上に十字架を描かされて・・」と話していましたが、
イエスの生命の樹をいつの日か田舎へと帰って見せた時に、「不思議たいねぇ~、私はここで生まれたば~い」と、生命の樹のいイエソドを指さします。
イエソドは、女性の身体で言えば、まさにあの世から子どもを生み出す大事なところです。
不思議です。そして母は、「私は大牟田で生まれました。そして・・、小学生の頃、親にも兄弟にも誰にも言わず、毎週、近くの教会に通っていました」と話してくれました。
私は、このイエスの生命の樹(カバラ)を地図上に描かされ、全てのセフィロトへと行かされました。
不思議な不思議な物語ですぅ・・。ともあれテラファイトコアをやっと仏壇の前に飾れたようです。
安栖里から嫁いでこられた御姫様とは稲日大郎姫の母で、卑弥呼が入定した後、王家の方々の墓守をされていたことでしょう。