2017年11月30日(木)
26日(日)に神戸でセミナーがありましたが、その時、とあることで「許せない!」と大きな声で語気を強めて叫んだ私でした。
その瞬間、応神天皇陵がある堺市から来られていたSさんが、突然嘔吐されました。
いえいえ厳密に言えば、Sさんの異変から私の口を使って、言ったのかもしれません。
「許せない!」と。
いつも私はSさんに、「あなたはイエスの血を濃く受け継いでいますね」と言いますが、応神天皇はまさにイエスの直系です。
第15代応神天皇は、私が教えられていることでは、景行天皇と播磨稲日大郎姫命との間に、女 女 男と三人の子供に恵まれましたが、その男の子が応神天皇です。
世の人達が教えらていることは、全く違った世界のお話のようです。
卑弥呼さんは、男の子を一人儲けましたが、お嫁さんは、素戔嗚命の血をくむ安栖里から現在の神河へと嫁がれてきました。
そしてその間に、2人の娘子が誕生しました。その妹にあたる子が播磨稲日大郎姫命です。
お姉さんと妹とお母さんのお墓の三点を結ぶと綺麗な直角二等辺三角形を描きます。
卑弥呼さんの岩戸隠れに同行したのは、卑弥呼の一人息子と弟でした。
ですから、息子の嫁である播磨稲日大郎姫命の母は、卑弥呼の陵墓から北北西の山の上にお墓を造りました。
いつまでもそこから見える場所にとどまっていたかったのでしょうね。
応神天皇のご先祖様達が眠る王家の丘に、自分も共に眠りたいと思うのは至極当然のことです。
応神天皇もご先祖様達のお墓参りを欠かすことがなかったことでしょう。
そしてこの祀りごとは、第50代桓武天皇の時代に一度仕切り直しをして、最澄、空海さま達に祀りごとを託していました。
その後も、弟子たちがそれを受け継ぎ、天皇家の人々の御霊を供養し続けてきました。
それが・・「何だ! 許せない!!」と、応神天皇が大変に激怒されたご様子でした。
Sさん、お役目、御勤めご苦労様でした。
次の日から、ずっと応神天皇とかかわりのあった人達の陵墓を、三角法で教えられ続けました。
・・・
2022年5月 今城塚古墳は義慈王=舒明天皇の御陵でした。
イエス王家の血を引く方々は、自分のお墓をどこに造営するか、又は、別に本当の亡骸をどこに埋めるかで、そのルーツを追いかけることができるようにしていました。
これは、厳格で厳密です。
このようなことから応神天皇の5代直系と言われる継体天皇の陵墓は、今城塚古墳が正解です。
だれも知る由もない、応神天皇の亡骸が入れられたという神河町にある山の三角点からマリアの墓までの距離と、今城塚古墳までの距離は、共に80.30㎞と全く同じです。
そして、今城塚古墳が向いている方角は、神河町に眠る応神天皇の亡骸が埋められた場所にキッチリと向けて造営されています。
宮内庁が継体天皇の陵墓と言っている近くの太田三丁目の陵墓は、王家の方々が真のルーツを教える法則に一切合致していません。
間違っています。
「継体天皇の陵墓は、今城塚古墳が正しい!」と王家の方々が伝承した法則は教えています。
又、マリアの墓と継体天皇の陵墓である今城塚古墳との丁度中間点に甲山があります。
この山も間違いなく意味ある場所に人工的に築かれた山であることは間違いありません。