2019年3月7日(木)
「あの~、佐用町の天一神社へ行かれたことはありますか」
「もう一つ、養父市の名草神社はご存じですか」と、初めての方から、どうしても私に伝えたいことがあるので・・、と電話がありました。
そして調べてみると・・、なんと! 天一神社と名草神社と同距離の所に、先週の土曜日、播磨稲日大郎姫命の母のお墓参りと共に、その方の故郷である安栖里へとお連れしたばかりでしたからもうビックリ!です。
偶然ではあり得ない情報に本当にビックリ!です。
実は、女王卑弥呼には男の子が一人生まれました。
そして卑弥呼の息子の嫁にと、素戔嗚尊(モーセ)の流れを色濃く引き継ぐ方々の里である安栖里から御姫様が嫁いで来られました。
卑弥呼が岩戸隠れするときに、卑弥呼の息子と卑弥呼の弟も同行しましたから、嫁となったお姫様は、自分のお墓を、その山が見える場所に造りました。
卑弥呼たちと同行することはできませんでしたが、いつまでもその場所を見守り続けていました。
そしてそのお姫様の御霊を弔い、又、その場所が分かるようにと、出雲大社から持ってこられたという名草神社の三重の塔も意味ある場所に建てられています。
安栖里から嫁いで来られたお姫様は、二人の女の子を授かりました。
その下の娘さんが、播磨稲日大郎姫命であり、その方には、女、女、男の子がありました。
その男の子が第15代応神天皇であります。
稲日大郎姫命のお姉さんのお墓は、母と妹の墓と、1:1:√2となる直角二等辺三角形を描く地点に設けられています。
これらのお墓が、誰のお墓に繋がるかの話は、・・続きます。
長谷川様、あなたの情報は、間違いなく神様からのメッセージでした。
大事な情報をありがとうございました。感謝しています。