かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

姫路城に黄金を13mキャッチ!

2021-09-20 05:11:34 | 埋蔵金

2021年9月20日(月)

赤穂城に埋蔵金が隠されていましたが、昨日(19日)姫路城に行って先ずは堀の外から調べると、黄金を13mキャッチしました。

それで入城チケットを買って城内に入って・・、にの門をくぐって正面左手の隅に黄金をキャッチ!

それから先は立ち入り禁止。

にの門を出て右手に曲がって広がる園庭の地下には、巨大な地底空間が存在していました。

おそらくその地底空間への入口は、ロノ渡櫓入口正面にある大きな「井戸」もその一つでしょうね。

井戸を15メートル下りると西の方への入口が存在していることでしょう。

井戸の周りの空洞探査に要する時間は一分もかかりませんが、ここも立ち入り禁止になっていましたので、それ以上の調査は無理でした。

姫路城では一度も戦乱はなかったということのようですから、必ず地下の大金庫室への入口を見つけるのはそう難しいことではないと私は思います。

八木さん、姫路城が大フィーバーする日がやってくることでしょうね。

大西さん、坂下さん、昨日一昨日の二日間で、国家予算の一年分は見つけてしまったようですよ。今までのと合わせて二年分も・・ということになりますが・・、藤井さんどう思われます。

銀行も金庫室は地下でしょうから、お城の大金庫室も地下にあったとすれば、全国の城跡を探索するとほとんどの場所で黄金をキャッチすることでしょうね。

・・ということで、今日は、大阪城へと行こうと思っていますが・・、どうでしょうかねぇ。

 

      

  

   


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大阪城は藤原不比等の墓に向けて築造されていた

2019-12-26 06:06:08 | かごめかごめの真実とは

2019年12月26日(木)

大阪城はコンパスグラスで15度の方角に向いて建っていました。

この方向には、ピッタリと藤原不比等の墓があります。

姫路城の天守閣は卑弥呼の墓に向けて築造されていました。

難波宮と大阪城は、計算されつくした重要なポイントにありました。

姫路城は卑弥呼の墓へ向けて築造されていましたが、イエス・キリストの墓と岡山のイエス王家の陵墓大阪城との関係の上に位置決めされていましたね。

大阪城が向いている西面の先には、岩神神社の磐座がありました。

岡崎城はマリアの墓に向けて築造されていましたね。

そして、大阪城から聖母マリアの墓までの距離は、152.1㎞と共に同距離でしたね。

大阪城と和歌山城とイエス・キリストの墓は、直角三角形を描き、

和歌山城イエス・キリストの墓と剣山は1:1:√2の直角三角形を描いていました。

間違いなく豊臣秀吉や徳川家康など戦国武将たちは、我が国の歴史とこの国の礎を築いた人たちがどこに眠っているかを知っていました。

そして、その方々の御霊への感謝とお墓を大事に守ってきました。

今、この国に今までにない天変地変や奇怪な事件などが増大しているのは、これらの方々の御霊をないがしろにし、真剣に祀らないからである。

日本人の心 日本人の魂 とは何かを長は襟を正し、真剣に国民に知らしめなければならない。

先祖を敬い、崇め、祀らない国家には、必ず不幸、災難が襲いかかる。

国家の長たるものの務めを果たせないものが、長として君臨することはその国民にとって不幸なことである。

この世は、間違いなく見えない世界から見られている世界である。

秀吉も磐座の秘密を知っていましたね。


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藤原不比等君が卑弥呼の墓に関する情報を教えだしました

2019-12-21 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年12月22日(土)

7日に皆で不比等さんのお墓参りに行ってから、一気にいろんなことを教えられている私です。

不比等さんは大変喜ばれている御様子です。


土塔へ行っただろう、思い出せ!あれが重要なベンチマークだ」と。

 

土塔と藤原不比等の墓と西は、西求女塚古墳。東は崇道天皇陵とは2:1:√3の直角三角形です。

不比等君の墓と西求女塚古墳と崇道天皇陵は正三角形を描きます。 見事です!

西求女塚古墳 ・・ 「西にある女性のお墓を求めなさい」と私には聞こえました。

それで、西求女塚古墳と卑弥呼の墓と等距離にある上島が存在します。

五色塚古墳も直角三角形を描きます。

卑弥呼の墓と上島とを結んで、西へ2:1:√3の点を求めると十文字山。

東へその点を求めると、「刑部」。

そして・・、上島と十文字山のライン上にイエス終焉の地があり、この点と上島と卑弥呼の墓は1:1:√2の直角二等辺三角形を描きます。

見事です!

姫路城の天守閣には「刑部明神」が祀られ、そこで手を合わす先は、卑弥呼の墓でした。

姫路城は卑弥呼の墓に向けて設計されていました。

そして卑弥呼の墓(婀月山)の麓にも刑部明神を祀る祠があり、ここで手を合わせても卑弥呼の墓に手を合わせるようになっていました。

卑弥呼の墓と上島と2:1:√3の地点に「刑部」という地名が残っていることも偶然とは考えられません。

刑部氏も古代日本の礎を築かれた方々で、忘れてはならないご先祖様達ですね。

 


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銅鐸で測量ができることを立証しなければなりません

2019-01-07 00:25:01 | かごめかごめの真実とは

2019年1月7日(月)

 6日、Yさんが三脚になる棒を持ってきてくれました。

太さも長さもピッタリで嬉しくなりました。

銅鐸は測量器具なんですね。

下げ振りなんですよ。

考古学者が

舌の材質と形状舌に使用された材質には、現状では青銅製のものと石製のものがみられる。しかし、時期は異なるが愛媛県東宮山古墳出土の馬鐸には有機物(骨)が舌として使用されており、他に木製のものもあったとすると、舌の材質には複数のものが使用されていたと考えられる。

・・と、学説を唱えられていますが、銅鐸が祭祀用であったとしたら、石だったらすぐに壊れてしまいますし、木製だったら音が出にくいことを思われませんかねぇ。

私には不思議で仕方ありません。 まともにこのようなことを言うこと自体、祭祀用に使っていたということを自己否定しているのに気づかないとは・・。

下げ振りだったら、石であっても木であっても、静止していますから問題は起きません。

舌は下げ振りなんですから、ある一定の重りになれば何でも利用できる訳です。

今日は間に合いませんでしたが、巴型銅器や有鉤銅釧(ゆうこうどうくしろ)の模擬品が鉄工所から届けばより完成形になることでしょう。


オオ~~ッ!どこかで議論されているようですね。

ただし、幾つか修正が必要と思います。その一つは銅鐸の吊り方です。有鉤銅釧に気が付いたのはたいしたものだと思いますが、問題は銅鐸の穴に鉤を直に突っ込むと、貴重な銅鐸に傷が付き、何度も繰り返していると変形して穴が大きくなっていってしまう点です。したがって、舌を吊るとされている穴から紐を出して、それに有鉤銅釧と呼ばれている物を引っ掛ければ、この問題は解決すると思います。

もう一つは、俯角と仰角を付けた測量の方法が示されていない点です。目標が同じ高さにあるとは限らないばかりか、多くの場合は上か下に位置しています。その角度を割り出す方法が分かるように提示する写真を載せることで、説得力が増すと思います。

 

銅鐸と銅鏡とさげふりと糸があれば、俯角と仰角も、角度を割り出すこともできますね。

極端に言えば、銅鏡とさげふりと糸があれば、測量はできます! 

人手が最低3人と・・、付属品として、かけやや杭、記録用紙又は板なども必要ですね。

 

伊能忠敬の測量も大いに勉強になりますね。

 

終わって帰ればライトに浮かび上がる姫路城。


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射楯兵主神社(姫路市)はイエスの陵墓に手を合わせるように設計されている

2019-01-06 00:16:58 | 神河町にあるメノラーの地上絵

2019年1月6日(日)

 兵庫県姫路市に播磨国総社である射楯兵主神社(いだてひょうずじんじゃ)があります。

この射楯兵主神社で手を合わせると、見事にイエスの陵墓に手を合わせるようになっています。

コンパスグラスで10度です。


飾磨郡伊和里(姫路市街地周辺)は伊和族(宍粟市一宮町須行名にある、播磨国一宮伊和神社の伊和大神を祀る氏族)の平野部においての拠点であったようで、兵主神は伊和大神であると言われている。出雲系である伊和大神は大己貴神(大国主命)と同一化され、兵主神も大国主命であるといわれるようになったと考えられる。(ウィキペディアより


宍粟市にある岩上神社は、イエスの陵墓を教えていましたが、岩上神社とイエスの陵墓と射楯兵主神社の三点は、最重要ポイントを教える基本形である2:1:√3の直角三角形を描きます。

偶然でしょうか。 偶然なんかではありませんよ。

又、イエスの陵墓と射楯兵主神社とを結んだライン上には、第四代懿徳天皇の秘密を教える魚のコンターラインがある威徳森があり、吉備真備が開基した廣峯神社があります。

これらも偶然ではありませんよ。

この重要な図形は、東へも南へも大事なベンチマークポイントを伸ばしています。

これらは山であり磐座であり、それから神社寺院、そしてお城までもが霊ライン網を構築して行っています。

そのスタートラインにあるのは、素戔嗚尊(モーセ)の墓であり、大国主命(イエス・キリスト)の墓がスタートラインにあることが分かります。

我が国の先人先輩たちは、どのような政変劇があってもこの日本の歴史の真が残るようにと連綿と引き継いでいます。

大王の任務は、国民を代表して神への祈りが第一であります。

先祖供養であります! 

幕末までは間違いなく行われています。

でも今は・・、なされていないようです。

ちゃんとやらねば・・と、3日には神示しもなされました!!

                                

射楯兵主神社は姫路城の近くにあります。

イエスを表すハートがデザインされています。


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ワンパスよりツーパス

2018-12-25 05:05:05 | ゼロ磁場発生装置テラファイト

2018年12月25日(火)

寒い朝、ネオガイア・テラファイトのお風呂は欠かせません。

シャワーホースを二回通して、浴槽に沈めて少し熱めのお湯を入れながら入浴します。

これが大変気持ちよくて、ウトウトと寝てしまいそうになるほどです。

ワンパスよりツーパス・・お試しあれ。

昼過ぎまで体がポカポカとして仕事ができます。

朝からダッシュできます。

綺麗な朝焼けから・・、玄関を出れば朝日に輝く姫路城。

   



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ご先祖様方は大いに喜ばれ、あなたを応援してくれることでしょう。

2018-10-10 13:54:51 | かごめかごめの真実とは

2018年10月11日(木)

 8日(体育の日) 今まで気になって行けてなかった神社へと一人で上りました。

この場所は、志方町のイエス公的陵墓から西へと車を走らせ、右手北側に見える岩山に見える神社です。

地理的に重要な位置にある神社ですし、神社がどちらに向いて建っているのかが非常に常々興味がありましたので、京見山の鏡岩をみてから、法華山一乗寺へと行く途中にありましたので立ち寄ることにしました。

神社は遠くから見えるのですが、どうやって行くのか道が全然分かりませんでした。

近くでお婆さんと出会ったので、行く道を教えてもらいました。

「ここの神社にお参りすると、大変なご先祖様に手を合わせるようになっていて、大変な御利益があると聞いて来ました」と私。

「ヘ~~ッ、ここに何十年も住んでいるけど、そんなこと聞いたのは初めてですわねぇ」とお婆さん。

「でも良いことがあれば・・」とニコニコ顔のお婆さん。

「真っ直ぐ行ったら行けます」と。

実際、近くまで車で行けたとしても、駐車場がありませんから、幹線道路あたりに車を停めて歩くしかありません。

なかなか分かりづらい場所です。

大事な大事な神社ですから、簡単に部外者が入れないようになっているような気がします。

それほど、重要な場所でした。

 この神社の場所から磁北の位置に聖地神河にイエス・キリストの墓が在ります。

 そしてここ白山神社で手を合わせると、イエスの墓守をしていた卑弥呼の陵墓に手を合わせるようになっていました。コンパスグラスで9度に手を合わすようになっています。

見事です!

下の稲荷神社でイエスに手を合わせ、白山神社で卑弥呼に手を合わす。

そうすると・・ご先祖様方は大いに喜ばれ、あなたを応援してくれることでしょう。だってご先祖の大王様と女王さまに手を合わせるのですから・・。

姫路市飾東町志吹にある白山神社は、重要な意味を持った神社です!!

                          

三郎があったら尚良かったのにね。

遠く西の方角には姫路城も見えます。

そして161度方角には、重要な山である桶居山も見えました。 

少しだけ海も見えました。


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台風が来る前に

2018-09-02 19:57:10 | かごめかごめの真実とは

2018年9月3日(月)

明日またまた台風21号が直撃のようすです。

まさにせめぎあいの攻防です。

洋君、頼むぞ!

空海様~~~!!

桶居山に向かって毎朝祈ります。その山の真北には・・。

姫路城の天守で刑部明神に手を合わせると・・。



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播磨、奥播磨の社寺巡りを

2018-07-14 05:42:45 | かごめかごめの真実とは

2018年7月14日(土)

 熊本生まれの私が故郷を離れ、西宮から奈良、神戸と移り住んだ土地には全てにおいて振り返ってみれば大いに意味あるところでした。

そして今、いつも見る光景が特徴ある鋭角に突き出した山の情景の地へと誘われたようです。

今年のはじめごろから非常に気になりだした山、・・それが桶居山です。

桶居山のほぼ真北には、天児屋根命の墓とそのラインの延長上に卑弥呼の居城であり陵墓があります。

又、その桶居山のほぼ磁北に大国主命=イエス・キリストの墓があります。

この特徴ある三角に突き出した山を東に見る位置に姫路城があります。

その姫路城は卑弥呼の陵墓に向けて築造されていましたが、天守から北には広峰山系がイエスや卑弥呼、そしてそれら王家の方々が眠る聖なる山々を守護するかのように立ちはだかっています。

そしてその山系に吉備真備が創建した廣峯(ひろみね)神社があります。

その廣峯神社の東手に、寺伝によれば厩戸皇子(聖徳太子)が高麗僧の慧便(えべん)に命じ開基した増位寺が前身であり、後に行基によって中興されたという随願寺があります。

んん~ん、もうそろそろ厩戸皇子(聖徳太子)は、蘇我入鹿であると言わなければならない時代に入ってきたと思う私ですが、ともあれ・・行基、吉備真備がこの広嶺山系から北が重要な場所であり護り祀らなければならない聖なる地であることを教えています。

当然として若き空海さまは遣唐使船に乗るまでの空白年間をこの地に身を置いての、桓武天皇、和気清麻呂率いる平安京建設の国家プロジェクトに参画していますね。

徹底的に広峰山系の北に位置する社寺の位置や建築の配置と、それらを育む山々との関係から我が国の古代史の扉が開かれることでしょう。

播磨、奥播磨が、いかに日本史・世界史において重要な場所であるかを立証しなければなりません。

先ずは、市川と夢前川の間で広峰山系の北に位置するエリアの社寺巡りを今日からしたいと思います。

   

上の写真一枚はインターネットより・・。

  

 

Whatever is now covered up will be uncovered, and every secret will be made known. (Matthew 10-26)

覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。(マタイ10-26)



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Schloss Himeji   姫路城

2018-07-07 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2018年7月7日(土)

 姫路の本当の名の由来と、姫路城がこれから果たす意味と意義を世界の人達に知ってもらわなければなりません。

世界の平和のために

今、毎日朝夕に姫路城を見ています。

Schloss Himeji

 

Nicht nur Schreine und Tempel waren so konstruiert, dass das darzureichende Gebet wie von selbst auf wichtige Orte ausgerichtet wird. Auch Schlösser wurden, mit jeweils vertieftem Gebet, unter genauen Planungen und Vermessungen gebaut.

Dies erkennt man sehr genau am Schloss Himeji. In der obersten Etage seines zentralen Burgturms befindet sich ein Schrein namens Osakabe-jinja.

Betet man in diesem Schrein, richtet man sein Gebet genau am 20. Grad auf dem Kompass aus, d.h. in die Richtung der Grabstätte Himikos in Kamikawa-cho.

Ein Schloss ist zwar eine Einrichtung, um Kriege zu führen, aber es könnte sein, dass dieses Schloss Friedensgebete für Himiko darreichen möchte, die sich eher für den Tod entschied, um Kriege zu vermeiden.


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姫路城と姫路の街を造った人達は、この国の真の建国者とその方々を守り祀っていました

2018-06-08 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2018年6月8日(金)

 6日(水)夕方、姫路駅の北口から小雨けむる姫路城を眺めていました。

駅からお城へと伸びる幅50m、長さ凡そ840mの大手前通り(駅前幹線)は、日本の道100選にも名を連ねている全線が無電柱化されている姫路のメインストリートです。

いつだったのか、姫路城の天守閣に上がって刑部明神に手を合わせたことを思い返していました

木の柱と柱の側面をコンパスグラスを覗きながら計測して、間違いなく神河町大山にある卑弥呼の陵墓(20度)に手を合わすように向けて築城していることを思い出していました。

そしてその時、天守閣から大手前通りを見下ろしながら、姫路城の向きと通りがずれているのを思い出しながら、この日は駅からお城を眺めながら又それを逆から目視で検証していました。

コンパスグラスでは駅舎の構造のせいなどで計測が場所場所によって大きく狂うこともあって定かではありませんでしたが、地理院地図からは、2度のずれとなっています。

Schloss Himeji

Nicht nur Schreine und Tempel waren so konstruiert, dass das darzureichende Gebet wie von selbst auf wichtige Orte ausgerichtet wird. Auch Schlösser wurden, mit jeweils vertieftem Gebet, unter genauen Planungen und Vermessungen gebaut.

Dies erkennt man sehr genau am Schloss Himeji. In der obersten Etage seines zentralen Burgturms befindet sich ein Schrein namens Osakabe-jinja.

Betet man in diesem Schrein, richtet man sein Gebet genau am 20. Grad auf dem Kompass aus, d.h. in die Richtung der Grabstätte Himikos in Kamikawa-cho.

Ein Schloss ist zwar eine Einrichtung, um Kriege zu führen, aber es könnte sein, dass dieses Schloss Friedensgebete für Himiko darreichen möchte, die sich eher für den Tod entschied, um Kriege zu vermeiden.

偶然にしてはあまりにも・・。

姫路城は、神河町大山にある卑弥呼さんの陵墓に向けて築造されていましたが、メインストリートである大手前通りは生野の地下神殿に向かって造られています。

この構図は、東京駅の丸の内口前から皇居前の和田倉門まで伸びる行幸通りの構図と全く同じです。

丸の内口から皇居に向かって手を合わせると、ユダヤの人達が神の山と崇める守屋山がある諏訪大社上社本宮に手を合わせるようになっています。

御所に守屋山がピッタリ重なるようになります。

偶然なのでしょうか・・。

上社本宮のご本尊は、中国大連にある遼寧省鞍山市にある道教の聖地千山を見つめ守っていましたね。

千山の神様を守る山 ・・ 守屋山。

おおーーっ、脱線しそうです。 もとの姫路に話を戻さなくてはなりません。

 ・・

これが偶然にも・・、不思議にも・・、姫路の駅から真東に行ったポイントと、なんと、地下神殿がある生野の絶峯の三角点を真南に伸ばして交差するポイントに・・。

おおーーっ、なんと言うことか、志方町山中にあるイエスの公的陵墓が存在しています。

ここにある大歳神社で手を合わせると、なんとなんと、神河町南小田の836m地点山中にあるイエス・キリストの墓に手を合わせるようになっていましたね。

そして、この陵墓の真東に卑弥呼さんの陵墓がありました。

姫路駅からお城に手を合わせると、千山に祀られている九福神様達(七福神)を祀っている生野の地下神殿に手を合わせるようになっています。

卑弥呼さんは実際に神河町の山中に葬られた現人神様達の墓守と、その方々を祀った地下神殿を祀り守るのが女王卑弥呼の務めでした。

邪馬台国の政治政体は奈良纏向で、国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里

つまり、現在の兵庫県朝来市生野町と、神崎郡神河町でした。

50代桓武天皇はじめ、和気清麻呂や最澄、空海様たち、そして秀吉や家康など戦国武将たちもこれらのことを全て知っていましたね

幕末までは・・。

んんーーん、不思議と言えば、2010年8月11日の私の56歳7ヶ月目の日でした。

ことの急激なドラマの幕開けは、その日台風4号で荒れ狂う宗像大社の参道に立った時でした。

「よう来たのう~~!」という声がして、不思議なことが急展開していったのでした。

その宗像大社のご本尊様も、諏訪大社上社本宮のご本尊様同様に道教の聖地千山を向いて居られます。

その宗像大社と諏訪大社上社本宮の二点を結ぶと・・、なんとぉーー! 卑弥呼の陵墓とイエス・キリストの墓の中間点を通ります。

あまりにも・・偶然とは呼べない事実がそこに存在しているのです。

 

右の青い点が卑弥呼の陵墓で、左の点がイエス・キリストの墓です


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姫路城に込められた願い

2018-06-06 10:18:23 | かごめかごめの真実とは

2018年6月6日(水)

 最近、姫路へ行くことが多くなりました。

播但線に乗って神河町へと行く車窓から姫路城を遠くに眺めるのも私の楽しみの一つとなりました。

その姫路城の天守閣にある刑部明神に手を合わせると、見事に聖地神河にある卑弥呼さんの陵墓に手を合わせるように築城されていました。

その天守閣から南の方を眺めると、姫路駅へと延びる大通りがありますが、角度が少しずれていることが分かります。

3度ほどずれています。

当然として、お城を造る方角と、そのお城へ上るメインの大通りと、それに連なる道も計画された上で造られているはずです。

姫路駅から姫路城へと伸びる大通りはどこを意識して都市計画されたのでしょうか・・。

姫路城が倭国の御姫様の陵墓を意識して造ったのであれば、その御姫様がお祀りしていた生野の地下神殿を意識して造られている気がしてなりません。

姫路城には、アゲハチョウの紋章の大瓦が展示されたりしていますが、

源平以前よりはるかに歴史がある平家の方々が、平家の御姫様と崇めた卑弥呼さんの思いを成就させるべく姫路を造ったとすれば、全てにおいて納得できます。

姫路城は、卑弥呼さんの陵墓に手を合わせるように築造されました。

お城へと上がるメインの大通りは、卑弥呼さんが祈り祀った生野の地下神殿に向けて造られています。

山々を使って大きな大きな鶴と亀の地上絵が造られた、

しかも、鶴と亀がキスしているシーンが造形された生野町の絶峯という山とを結んだライン(ブルーのライン)の22.5度の傾きと全く同じになっているのは偶然ではないでしょう。

姫路城と姫路を創った先人達は、播磨国風土記に記された埴岡の里の秘密をよ~~くご存じでしたね。

その証が、姫路という地名にも表現されているということです。

姫路城に込められた先人達の願いを成就させるときが来たようですが・・。

 

Schloss Himeji

Nicht nur Schreine und Tempel waren so konstruiert, dass das darzureichende Gebet wie von selbst auf wichtige Orte ausgerichtet wird. Auch Schlösser wurden, mit jeweils vertieftem Gebet, unter genauen Planungen und Vermessungen gebaut.

Dies erkennt man sehr genau am Schloss Himeji. In der obersten Etage seines zentralen Burgturms befindet sich ein Schrein namens Osakabe-jinja.

Betet man in diesem Schrein, richtet man sein Gebet genau am 20. Grad auf dem Kompass aus, d.h. in die Richtung der Grabstätte Himikos in Kamikawa-cho.

Ein Schloss ist zwar eine Einrichtung, um Kriege zu führen, aber es könnte sein, dass dieses Schloss Friedensgebete für Himiko darreichen möchte, die sich eher für den Tod entschied, um Kriege zu vermeiden.

 

 


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神河町は世界的遺産の宝庫です。 2018第3号  3月31日発行

2018-03-29 10:26:45 | かごめかごめの真実とは

2018年3月29日(木)

 朝刊各紙にビラを入れます。

大山地区にある標高779mのドーム状に見える山、それが卑弥呼の陵墓です。

 

私は昨年の町長選挙に出馬しました。

初めての駅立ちには長谷駅を選びました。もちろん数人しか乗降者が

いないと知ってのことでした。そこで私は忘れることができない大きな

感動を得ることができました。

ホームに上がってきた学生さんに、「君、この山を越えたところに

卑弥呼の墓があるのを知ってるかい?」と尋ねると、「知っています」と

キッパリ答えてくれました。私は長谷駅に立ったことと、

町長選挙を通じて町民の方々に卑弥呼の墓や大国主命の墓などが

あることを伝えようとしたことが間違いではなかったことを実感しました。

卑弥呼の陵墓は、大山地区にある七宝寺から西正面に見える

標高779m地点にあるドーム状の山です。

魏志倭人伝には、「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と記載されていますが、2012年6月24日に神河町の有志の方々が測量してくれた墳丘長さ150m、高さ15m、後円部径100m、上円部径50m は、魏志倭人伝に書かれている墓の径と合致していますし、そこには山椒がたくさん自生していて、大猿やキジがいたという記述の情景は、現在でも当てはまります。

また、レーダーで地底探査も行いましたが、人工的な山であり、そこからは非鉄金属反応も捉えることができました。

私は、この山に婀月山(あづきやま)と名前を付けました。

そして今この婀月山の表土を取り除いて調査をしていますが、どこをはがしても表土の下から割栗石が出てきます。

何度か学芸員の方に会って説明もいたしましたが、「779mの高い山頂には古墳はありえません」と、聞く耳を持ちません。

でも、考古学者が現況を見れば、それは人工物であり古墳であることはもう一目瞭然です。現代の考古学の常識を覆す大発見が神河町大山にあるのです。

実は女王卑弥呼は、南小田の山頂にある大国主命などの墓守が主な役割でした。政治政体が奈良巻向で、国事国体は、播磨国風土記に記された埴岡の里なのでした。

魏志倭人伝の記述内容は100%正しいものです。

比叡山延暦寺根本中堂でご本尊様に手を合わせると、南小田にある大国主命に手を合わせるようになっていると前回書きましたが、実は、卑弥呼の陵墓も全く重なります。そして・・、姫路城の天守に刑部明神が祀られていますが、ここで手を合わせると、見事に卑弥呼の陵墓に手を合わせるようになっています。 つまり、姫路城は卑弥呼の陵墓に手を合わせるように築造されているということです。陵墓の麓にも刑部さんが祀られていますが、ここで手を合わせても卑弥呼に手を合わせるようになっています。偶然でしょうか。

また、卑弥呼の陵墓から、伊勢神宮内宮までの距離と、出雲大社までの距離とは、どちらもおおよそ193㎞で等距離です。 偶然でしょうか。 いえいえそうではありません。 これは緻密な設計の上での位置決めがなされているということです。

神河町は素晴らしい世界的歴史遺産の町なのです。

これらの歴史遺産を表に出すことで、ガイド業、民泊業などを通じて雇用の創出や、町だけでなく、我が国の活性化にも貢献できるものと私は思っています。

他から何をしてもらうかでなく、自分がこの町のために、この国のために何ができるかを、ビジネスを通して実践してみたいと思います。

神河町は誇りある素晴らしい町です。ご要望がありましたら聖地神河ひろばで、または、各地区の会館で映像を見ていただきながらご説明させていただきます。

どうぞ、お気軽にお声かけしてください。


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刑部明神と卑弥呼おばさん

2017-11-13 05:13:36 | かごめかごめの真実とは

2017年11月13日(月)

 昨日は、大山地区の「からんころんの石」の祭りを見に行きました。

今まで何度も、卑弥呼さんの陵墓が綺麗に見える七宝寺へと行っていますが、この祭りに行ったのは初めてでした。 この言い伝えには、何かもどかしいような、でも心温まるものを私は感じます。

何かこの世とあの世の不思議なやり取りを垣間見るような、そしてそこに登場する女性は、卑弥呼おばさんでもあるようで気になって仕方ありません。 詳しことは後日書いてみたいと思います。

・・・

ここに参列した人の中で、一番の長老が私に一冊の本を見せてくれました。

「私はこの本を、時間があれば見ているんです」と見せてくれた本が、なんと私の一冊目の本でした。

表紙は色あせていましたが、・・「エ~~ッ、この本は私が書いた本です」。

もう私は嬉しいこともですが、その偶然に驚くばかりでした。

「この本は何度読んでも難しいですぅ・・、でも何度も何度も読んでいます」と穏やかな表情で話してくれました。

そして二人で卑弥呼の陵墓を見つめながら、語らっていました

そうそう、祭りには神河町の教育長さんも来て居られました。

そして私が、「不死鳥のあしあと」に姫路城の天守で祀られている刑部明神の話をすると、「ここには3か所ぐらい刑部さんを祀っているところがありますよ」と、教えてもらったので、教えてもらった一か所へと行ってみました。

赤い鳥居にお社。

そこで手を合わせると、卑弥呼おばさんに手を合わせるようになっていました。

からんころんのお話の中に登場する女性は、ますます卑弥呼おばさんではと思う私です。

神河町には沢山の神社やお寺、そして塚やそこに伝わる沢山の伝承が残っています。

神河町は素晴らしいところです。

今まで私は、この町にはレンタカーは無いものばかりと思っていましたが、レンタカーがあることが分かりました。

㈱播但自動車整備工場 TEL 0790-32-0070

電話をいただけましたら、寺前駅まで持っていきますよ」と、言うことでした。 

・・・

明日からいよいよ私の選挙戦です。 

ここのレンタカー店は、私の事務所のすぐ近くにありますから、面白いドラマを見ることもできるかもしれません。

遠方より来られる方は、このレンタカーの情報は朗報です!

さぁ~~!! 今日も今から、いつもの交差点に立ちます。

お月さまも、「頑張るんですよ!」と、言って居られる様子にて・・。

・・・

 そうそう、町を回っていて耳にするのは・・・。

私は、あれほど、大事な山やイワクラを壊してはならない、まして「スキー場などとんでもない」必ず祟りがあると言っていたのに・・。

長年続いてきた行事でも、人が死んだり、神社が壊れたりしていると町では噂していますよ。

しかもお亡くなりになられた方は、町長さんがお住まいの地区の人で・・・と。

以前、町役場の中で、卑弥呼の祟りの話もヒソヒソとささやかれたりしたこともあるようでしたねぇ。

神河町の皆さんは、この機会にもう一度、亡くなられた方や、この町の原風景を今に残してくれた先人たちに手を合わせて祈らなくてはなりません。 合掌。 

 

        


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厳と伊和 ・・ この導きから教えられたもの

2017-08-25 11:15:16 | かごめかごめの真実とは

2017年8月25日(金)

 8月11日から西播磨の佐用町へ行って泊り、翌朝一番には瑠璃寺へと行きました。

そしてそこから厳長姫神社へ行って、次に行ったところが萬勝院でした。

そこから神河町にある第4代懿徳天皇の陵墓へと行くにあたり、宍粟市にある伊和神社へお参りしてから行くことにしました。

だって、今回の旅は、「厳長姫神社」へと行くことでしたから、若鮎荘のおかみさんにもらった地図をながめていたら、伊和神社の「伊和」と「厳」の音霊は同じですから、何か呼んでいる気がしてそのようにしました。

始めて行く伊和神社でしたが、神社の建物には何か違和感が付きまとうものがあり、釈然としませんでした。

それで、道路から90度折れ曲がるように進む参道のコーナーから入り口の鳥居の方角をずっと眺めていました。

「何かが・・、おかしい?? 何なんだろう・・??」と、思っているところに、後ろの森の方から武部さんの声です。

振り向くと、武部さんの顔がニンマリとしていました。 声も弾んでいましたねぇ。

それで呼ばれる方に行ってみると・・・!!

それはそれは凄い磐座群でした。 正直、建物よりも価値あるものだと私には思えてしまいました。

実に立派な磐座で、意味あるポイントとそれぞれが教える大事な方角を岩の配置で私達に教えているようです。

じっくり、測量なり調査、観察すれば、大事な大事なメッセージが残されているようです。 きっとそうだと直感しました。

それで厳長姫神社と伊和神社を結んで導かれたところは、姫路城の北に位置する廣峯神社でした。

そして伊和神社と廣峯神社から導かれたところは、朝来市生野町にある山神宮でした。

この場所は、大本の出口王仁三郎が探していた場所とピッタリ重なります。

いよいよ・・、「とうりゃんせ」の舞台に射しかかってきているようですよ。

 図形が綺麗ですねぇ!

  


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