かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

藤原不比等君が卑弥呼の墓に関する情報を教えだしました

2019-12-21 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2019年12月22日(土)

7日に皆で不比等さんのお墓参りに行ってから、一気にいろんなことを教えられている私です。

不比等さんは大変喜ばれている御様子です。


土塔へ行っただろう、思い出せ!あれが重要なベンチマークだ」と。

 

土塔と藤原不比等の墓と西は、西求女塚古墳。東は崇道天皇陵とは2:1:√3の直角三角形です。

不比等君の墓と西求女塚古墳と崇道天皇陵は正三角形を描きます。 見事です!

西求女塚古墳 ・・ 「西にある女性のお墓を求めなさい」と私には聞こえました。

それで、西求女塚古墳と卑弥呼の墓と等距離にある上島が存在します。

五色塚古墳も直角三角形を描きます。

卑弥呼の墓と上島とを結んで、西へ2:1:√3の点を求めると十文字山。

東へその点を求めると、「刑部」。

そして・・、上島と十文字山のライン上にイエス終焉の地があり、この点と上島と卑弥呼の墓は1:1:√2の直角二等辺三角形を描きます。

見事です!

姫路城の天守閣には「刑部明神」が祀られ、そこで手を合わす先は、卑弥呼の墓でした。

姫路城は卑弥呼の墓に向けて設計されていました。

そして卑弥呼の墓(婀月山)の麓にも刑部明神を祀る祠があり、ここで手を合わせても卑弥呼の墓に手を合わせるようになっていました。

卑弥呼の墓と上島と2:1:√3の地点に「刑部」という地名が残っていることも偶然とは考えられません。

刑部氏も古代日本の礎を築かれた方々で、忘れてはならないご先祖様達ですね。

 


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台風が来る前に

2018-09-02 19:57:10 | かごめかごめの真実とは

2018年9月3日(月)

明日またまた台風21号が直撃のようすです。

まさにせめぎあいの攻防です。

洋君、頼むぞ!

空海様~~~!!

桶居山に向かって毎朝祈ります。その山の真北には・・。

姫路城の天守で刑部明神に手を合わせると・・。



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姫路城と姫路の街を造った人達は、この国の真の建国者とその方々を守り祀っていました

2018-06-08 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2018年6月8日(金)

 6日(水)夕方、姫路駅の北口から小雨けむる姫路城を眺めていました。

駅からお城へと伸びる幅50m、長さ凡そ840mの大手前通り(駅前幹線)は、日本の道100選にも名を連ねている全線が無電柱化されている姫路のメインストリートです。

いつだったのか、姫路城の天守閣に上がって刑部明神に手を合わせたことを思い返していました

木の柱と柱の側面をコンパスグラスを覗きながら計測して、間違いなく神河町大山にある卑弥呼の陵墓(20度)に手を合わすように向けて築城していることを思い出していました。

そしてその時、天守閣から大手前通りを見下ろしながら、姫路城の向きと通りがずれているのを思い出しながら、この日は駅からお城を眺めながら又それを逆から目視で検証していました。

コンパスグラスでは駅舎の構造のせいなどで計測が場所場所によって大きく狂うこともあって定かではありませんでしたが、地理院地図からは、2度のずれとなっています。

Schloss Himeji

Nicht nur Schreine und Tempel waren so konstruiert, dass das darzureichende Gebet wie von selbst auf wichtige Orte ausgerichtet wird. Auch Schlösser wurden, mit jeweils vertieftem Gebet, unter genauen Planungen und Vermessungen gebaut.

Dies erkennt man sehr genau am Schloss Himeji. In der obersten Etage seines zentralen Burgturms befindet sich ein Schrein namens Osakabe-jinja.

Betet man in diesem Schrein, richtet man sein Gebet genau am 20. Grad auf dem Kompass aus, d.h. in die Richtung der Grabstätte Himikos in Kamikawa-cho.

Ein Schloss ist zwar eine Einrichtung, um Kriege zu führen, aber es könnte sein, dass dieses Schloss Friedensgebete für Himiko darreichen möchte, die sich eher für den Tod entschied, um Kriege zu vermeiden.

偶然にしてはあまりにも・・。

姫路城は、神河町大山にある卑弥呼さんの陵墓に向けて築造されていましたが、メインストリートである大手前通りは生野の地下神殿に向かって造られています。

この構図は、東京駅の丸の内口前から皇居前の和田倉門まで伸びる行幸通りの構図と全く同じです。

丸の内口から皇居に向かって手を合わせると、ユダヤの人達が神の山と崇める守屋山がある諏訪大社上社本宮に手を合わせるようになっています。

御所に守屋山がピッタリ重なるようになります。

偶然なのでしょうか・・。

上社本宮のご本尊は、中国大連にある遼寧省鞍山市にある道教の聖地千山を見つめ守っていましたね。

千山の神様を守る山 ・・ 守屋山。

おおーーっ、脱線しそうです。 もとの姫路に話を戻さなくてはなりません。

 ・・

これが偶然にも・・、不思議にも・・、姫路の駅から真東に行ったポイントと、なんと、地下神殿がある生野の絶峯の三角点を真南に伸ばして交差するポイントに・・。

おおーーっ、なんと言うことか、志方町山中にあるイエスの公的陵墓が存在しています。

ここにある大歳神社で手を合わせると、なんとなんと、神河町南小田の836m地点山中にあるイエス・キリストの墓に手を合わせるようになっていましたね。

そして、この陵墓の真東に卑弥呼さんの陵墓がありました。

姫路駅からお城に手を合わせると、千山に祀られている九福神様達(七福神)を祀っている生野の地下神殿に手を合わせるようになっています。

卑弥呼さんは実際に神河町の山中に葬られた現人神様達の墓守と、その方々を祀った地下神殿を祀り守るのが女王卑弥呼の務めでした。

邪馬台国の政治政体は奈良纏向で、国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里

つまり、現在の兵庫県朝来市生野町と、神崎郡神河町でした。

50代桓武天皇はじめ、和気清麻呂や最澄、空海様たち、そして秀吉や家康など戦国武将たちもこれらのことを全て知っていましたね

幕末までは・・。

んんーーん、不思議と言えば、2010年8月11日の私の56歳7ヶ月目の日でした。

ことの急激なドラマの幕開けは、その日台風4号で荒れ狂う宗像大社の参道に立った時でした。

「よう来たのう~~!」という声がして、不思議なことが急展開していったのでした。

その宗像大社のご本尊様も、諏訪大社上社本宮のご本尊様同様に道教の聖地千山を向いて居られます。

その宗像大社と諏訪大社上社本宮の二点を結ぶと・・、なんとぉーー! 卑弥呼の陵墓とイエス・キリストの墓の中間点を通ります。

あまりにも・・偶然とは呼べない事実がそこに存在しているのです。

 

右の青い点が卑弥呼の陵墓で、左の点がイエス・キリストの墓です


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姫路城に込められた願い

2018-06-06 10:18:23 | かごめかごめの真実とは

2018年6月6日(水)

 最近、姫路へ行くことが多くなりました。

播但線に乗って神河町へと行く車窓から姫路城を遠くに眺めるのも私の楽しみの一つとなりました。

その姫路城の天守閣にある刑部明神に手を合わせると、見事に聖地神河にある卑弥呼さんの陵墓に手を合わせるように築城されていました。

その天守閣から南の方を眺めると、姫路駅へと延びる大通りがありますが、角度が少しずれていることが分かります。

3度ほどずれています。

当然として、お城を造る方角と、そのお城へ上るメインの大通りと、それに連なる道も計画された上で造られているはずです。

姫路駅から姫路城へと伸びる大通りはどこを意識して都市計画されたのでしょうか・・。

姫路城が倭国の御姫様の陵墓を意識して造ったのであれば、その御姫様がお祀りしていた生野の地下神殿を意識して造られている気がしてなりません。

姫路城には、アゲハチョウの紋章の大瓦が展示されたりしていますが、

源平以前よりはるかに歴史がある平家の方々が、平家の御姫様と崇めた卑弥呼さんの思いを成就させるべく姫路を造ったとすれば、全てにおいて納得できます。

姫路城は、卑弥呼さんの陵墓に手を合わせるように築造されました。

お城へと上がるメインの大通りは、卑弥呼さんが祈り祀った生野の地下神殿に向けて造られています。

山々を使って大きな大きな鶴と亀の地上絵が造られた、

しかも、鶴と亀がキスしているシーンが造形された生野町の絶峯という山とを結んだライン(ブルーのライン)の22.5度の傾きと全く同じになっているのは偶然ではないでしょう。

姫路城と姫路を創った先人達は、播磨国風土記に記された埴岡の里の秘密をよ~~くご存じでしたね。

その証が、姫路という地名にも表現されているということです。

姫路城に込められた先人達の願いを成就させるときが来たようですが・・。

 

Schloss Himeji

Nicht nur Schreine und Tempel waren so konstruiert, dass das darzureichende Gebet wie von selbst auf wichtige Orte ausgerichtet wird. Auch Schlösser wurden, mit jeweils vertieftem Gebet, unter genauen Planungen und Vermessungen gebaut.

Dies erkennt man sehr genau am Schloss Himeji. In der obersten Etage seines zentralen Burgturms befindet sich ein Schrein namens Osakabe-jinja.

Betet man in diesem Schrein, richtet man sein Gebet genau am 20. Grad auf dem Kompass aus, d.h. in die Richtung der Grabstätte Himikos in Kamikawa-cho.

Ein Schloss ist zwar eine Einrichtung, um Kriege zu führen, aber es könnte sein, dass dieses Schloss Friedensgebete für Himiko darreichen möchte, die sich eher für den Tod entschied, um Kriege zu vermeiden.

 

 


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神河町は世界的遺産の宝庫です。 2018第3号  3月31日発行

2018-03-29 10:26:45 | かごめかごめの真実とは

2018年3月29日(木)

 朝刊各紙にビラを入れます。

大山地区にある標高779mのドーム状に見える山、それが卑弥呼の陵墓です。

 

私は昨年の町長選挙に出馬しました。

初めての駅立ちには長谷駅を選びました。もちろん数人しか乗降者が

いないと知ってのことでした。そこで私は忘れることができない大きな

感動を得ることができました。

ホームに上がってきた学生さんに、「君、この山を越えたところに

卑弥呼の墓があるのを知ってるかい?」と尋ねると、「知っています」と

キッパリ答えてくれました。私は長谷駅に立ったことと、

町長選挙を通じて町民の方々に卑弥呼の墓や大国主命の墓などが

あることを伝えようとしたことが間違いではなかったことを実感しました。

卑弥呼の陵墓は、大山地区にある七宝寺から西正面に見える

標高779m地点にあるドーム状の山です。

魏志倭人伝には、「卑弥呼はすでに死んだ。大いに塚を造った。径(さしわたし)は百余歩」と記載されていますが、2012年6月24日に神河町の有志の方々が測量してくれた墳丘長さ150m、高さ15m、後円部径100m、上円部径50m は、魏志倭人伝に書かれている墓の径と合致していますし、そこには山椒がたくさん自生していて、大猿やキジがいたという記述の情景は、現在でも当てはまります。

また、レーダーで地底探査も行いましたが、人工的な山であり、そこからは非鉄金属反応も捉えることができました。

私は、この山に婀月山(あづきやま)と名前を付けました。

そして今この婀月山の表土を取り除いて調査をしていますが、どこをはがしても表土の下から割栗石が出てきます。

何度か学芸員の方に会って説明もいたしましたが、「779mの高い山頂には古墳はありえません」と、聞く耳を持ちません。

でも、考古学者が現況を見れば、それは人工物であり古墳であることはもう一目瞭然です。現代の考古学の常識を覆す大発見が神河町大山にあるのです。

実は女王卑弥呼は、南小田の山頂にある大国主命などの墓守が主な役割でした。政治政体が奈良巻向で、国事国体は、播磨国風土記に記された埴岡の里なのでした。

魏志倭人伝の記述内容は100%正しいものです。

比叡山延暦寺根本中堂でご本尊様に手を合わせると、南小田にある大国主命に手を合わせるようになっていると前回書きましたが、実は、卑弥呼の陵墓も全く重なります。そして・・、姫路城の天守に刑部明神が祀られていますが、ここで手を合わせると、見事に卑弥呼の陵墓に手を合わせるようになっています。 つまり、姫路城は卑弥呼の陵墓に手を合わせるように築造されているということです。陵墓の麓にも刑部さんが祀られていますが、ここで手を合わせても卑弥呼に手を合わせるようになっています。偶然でしょうか。

また、卑弥呼の陵墓から、伊勢神宮内宮までの距離と、出雲大社までの距離とは、どちらもおおよそ193㎞で等距離です。 偶然でしょうか。 いえいえそうではありません。 これは緻密な設計の上での位置決めがなされているということです。

神河町は素晴らしい世界的歴史遺産の町なのです。

これらの歴史遺産を表に出すことで、ガイド業、民泊業などを通じて雇用の創出や、町だけでなく、我が国の活性化にも貢献できるものと私は思っています。

他から何をしてもらうかでなく、自分がこの町のために、この国のために何ができるかを、ビジネスを通して実践してみたいと思います。

神河町は誇りある素晴らしい町です。ご要望がありましたら聖地神河ひろばで、または、各地区の会館で映像を見ていただきながらご説明させていただきます。

どうぞ、お気軽にお声かけしてください。


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刑部明神と卑弥呼おばさん

2017-11-13 05:13:36 | かごめかごめの真実とは

2017年11月13日(月)

 昨日は、大山地区の「からんころんの石」の祭りを見に行きました。

今まで何度も、卑弥呼さんの陵墓が綺麗に見える七宝寺へと行っていますが、この祭りに行ったのは初めてでした。 この言い伝えには、何かもどかしいような、でも心温まるものを私は感じます。

何かこの世とあの世の不思議なやり取りを垣間見るような、そしてそこに登場する女性は、卑弥呼おばさんでもあるようで気になって仕方ありません。 詳しことは後日書いてみたいと思います。

・・・

ここに参列した人の中で、一番の長老が私に一冊の本を見せてくれました。

「私はこの本を、時間があれば見ているんです」と見せてくれた本が、なんと私の一冊目の本でした。

表紙は色あせていましたが、・・「エ~~ッ、この本は私が書いた本です」。

もう私は嬉しいこともですが、その偶然に驚くばかりでした。

「この本は何度読んでも難しいですぅ・・、でも何度も何度も読んでいます」と穏やかな表情で話してくれました。

そして二人で卑弥呼の陵墓を見つめながら、語らっていました

そうそう、祭りには神河町の教育長さんも来て居られました。

そして私が、「不死鳥のあしあと」に姫路城の天守で祀られている刑部明神の話をすると、「ここには3か所ぐらい刑部さんを祀っているところがありますよ」と、教えてもらったので、教えてもらった一か所へと行ってみました。

赤い鳥居にお社。

そこで手を合わせると、卑弥呼おばさんに手を合わせるようになっていました。

からんころんのお話の中に登場する女性は、ますます卑弥呼おばさんではと思う私です。

神河町には沢山の神社やお寺、そして塚やそこに伝わる沢山の伝承が残っています。

神河町は素晴らしいところです。

今まで私は、この町にはレンタカーは無いものばかりと思っていましたが、レンタカーがあることが分かりました。

㈱播但自動車整備工場 TEL 0790-32-0070

電話をいただけましたら、寺前駅まで持っていきますよ」と、言うことでした。 

・・・

明日からいよいよ私の選挙戦です。 

ここのレンタカー店は、私の事務所のすぐ近くにありますから、面白いドラマを見ることもできるかもしれません。

遠方より来られる方は、このレンタカーの情報は朗報です!

さぁ~~!! 今日も今から、いつもの交差点に立ちます。

お月さまも、「頑張るんですよ!」と、言って居られる様子にて・・。

・・・

 そうそう、町を回っていて耳にするのは・・・。

私は、あれほど、大事な山やイワクラを壊してはならない、まして「スキー場などとんでもない」必ず祟りがあると言っていたのに・・。

長年続いてきた行事でも、人が死んだり、神社が壊れたりしていると町では噂していますよ。

しかもお亡くなりになられた方は、町長さんがお住まいの地区の人で・・・と。

以前、町役場の中で、卑弥呼の祟りの話もヒソヒソとささやかれたりしたこともあるようでしたねぇ。

神河町の皆さんは、この機会にもう一度、亡くなられた方や、この町の原風景を今に残してくれた先人たちに手を合わせて祈らなくてはなりません。 合掌。 

 

        


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