2017年8月25日(金)
8月11日から西播磨の佐用町へ行って泊り、翌朝一番には瑠璃寺へと行きました。
そしてそこから厳長姫神社へ行って、次に行ったところが萬勝院でした。
そこから神河町にある第4代懿徳天皇の陵墓へと行くにあたり、宍粟市にある伊和神社へお参りしてから行くことにしました。
だって、今回の旅は、「厳長姫神社」へと行くことでしたから、若鮎荘のおかみさんにもらった地図をながめていたら、伊和神社の「伊和」と「厳」の音霊は同じですから、何か呼んでいる気がしてそのようにしました。
始めて行く伊和神社でしたが、神社の建物には何か違和感が付きまとうものがあり、釈然としませんでした。
それで、道路から90度折れ曲がるように進む参道のコーナーから入り口の鳥居の方角をずっと眺めていました。
「何かが・・、おかしい?? 何なんだろう・・??」と、思っているところに、後ろの森の方から武部さんの声です。
振り向くと、武部さんの顔がニンマリとしていました。 声も弾んでいましたねぇ。
それで呼ばれる方に行ってみると・・・!!
それはそれは凄い磐座群でした。 正直、建物よりも価値あるものだと私には思えてしまいました。
実に立派な磐座で、意味あるポイントとそれぞれが教える大事な方角を岩の配置で私達に教えているようです。
じっくり、測量なり調査、観察すれば、大事な大事なメッセージが残されているようです。 きっとそうだと直感しました。
それで厳長姫神社と伊和神社を結んで導かれたところは、姫路城の北に位置する廣峯神社でした。
そして伊和神社と廣峯神社から導かれたところは、朝来市生野町にある山神宮でした。
この場所は、大本の出口王仁三郎が探していた場所とピッタリ重なります。
いよいよ・・、「とうりゃんせ」の舞台に射しかかってきているようですよ。
図形が綺麗ですねぇ!